再会

 まるで透明人間になった気分だ。みんな私を避けていく。誰も、私と目を合わせない。


 暖房が効いて温かいはずの教室の中、雪乃ゆきのは視線を落とした。白い陶器でできた花瓶には、白い菊の花。それはこの教室の誰かが飾ったものだった。はらはらっと、首を垂れる白い菊から花弁が数枚、机に落ちた。


 雪乃がいる席の隣では、つい最近まで一緒にお弁当を食べていた仲良しグループの陽奈はるな明日香あすか美琴みことが机をくっつけお弁当を食べている。雪乃の視線に気づいたのか、美琴がチラッと雪乃の方に視線を向けた。だが、目が合うことはない。


「いまはさ、その話やめとこ」美琴が小声で言い、視線を元に戻す。「だね」と明日香が頷き、「あ、それでさ、昨日わたしがあげたインスタみた?」と陽菜が話題を変えた。三人は雪乃の存在などそこにはないかのように話をしている。こんなにそばにいるのに。雪乃のことはいないも同然に。


 雪乃は唇をかんだ。目の奥が痛む。白い菊の花が歪み、やがてただの白一色となった。瞬きを堪えて、雪乃は思う。なんで、私がこんな仕打ちを受けなくてはならないのか。その理由がいまだに分からなかった。


 ブレザーの胸ポケットから生徒手帳を抜き取り、そっと表紙をめくる。私立芝岡学園高等学校と書かれた下に、小さな四角い顔写真がついている。入学式後、この写真を撮ったときはまだ眼鏡をかけていた。真面目そうな赤抜けないモブ。雪乃は自分の顔写真を見て改めてそう思った。前髪は厚くも薄くもない毛量が真っ直ぐに切り揃っていて、黒いままのストレートヘアーが耳を隠している。細いフレームの丸ぶち眼鏡は近眼レンズだからか、その奥の目は実際よりも小さく見えた。いまはコンタクトレンズに変えている。


 コンタクトにしたのは入学式を終えてすぐのことだった。別に、高校デビューをしようと思っていたわけではない。そのまま眼鏡で何も問題ないと思っていた。ただ、周りの女子のコンタクト率が高く、それも、黒目が大きく見えるようなコンタクトレンズをつけている女子が多かった。雪乃はそれに倣った。


 芝岡学園の偏差値は低くない。苦しい受験を乗り越えた先の入学だった。同じ中学校から芝岡高校に入学した友人はいなかった。ぼっちは嫌だ。クラスメイトとはやく打ち解けたいと、雪乃は思った。だから自分から声をかけ、なるべくはやい段階で仲良しグループを作るのに成功した。


 ——ねぇねぇ、良かったら、お弁当一緒に食べない?

 ——私もそのアニメ見てるよぉ。え、誰推し?

 ——部活なに入るか、もう決めた? 


 あの頃の楽しそうな、そして、緊張していた自分の声が、頭蓋の中で反響する。あの頃は、そしてつい最近までは、仲良し四人グループの中にいて、楽しい高校ライフを過ごしていた。みんなで見学に行った演劇部にその流れで入って、程なくして全員幽霊部員になった。部活よりも楽しいことがある。学校帰りはスタバに寄って、新作フラペチーノ片手に写真を撮った。テスト勉強は誰かの家に集まって、結局お菓子を食べながらだべって終わる楽しい時間だった。それなのに、なんでいま私は一人きりなのだろう。どこで、歯車が狂ってしまったのだろう。


 涙がはらっと目の縁からこぼれて、さっと手のひらで擦った。無視されて泣いてるなんて絶対に気づかれたくない。と、思ったけれど、三人は雪乃のことなど気にしてはくれなかった。


 三人だけじゃない。このクラスの全員が雪乃のことを完全に無視していた。担任の先生も、机の上の花瓶を見ても何も言ってはくれない。ただ、憐むような視線を萎れかけた菊の花に投げてよこすだけだった。


 雪乃の居場所は、もうここにはなかった。

 雪乃は音も立てず席を立ち、教室を出た。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る