第32話 光り輝く盾の正体

 私は大きな鶴に姿を変えた湿原の魔女の背中に乗っている。視界は白けていた。


どこを飛んでいるかも分からないほど眩い光の中であったので、思わず彼の背中に顔を伏せた。


相棒の狼とは違う毛並みの触り心地である。スベスベとしていて刺繍糸の束を触った時に似ている。



 光から身を守りながらぼんやりとしていると着地する音がした。体がふわりと浮いてゆっくりと地に足がつく。



「ネリネ、あの木々を抜けた先に君のご主人様がいる。僕は君を信じているよ」



 鶴はそう言い残すと光に包まれてどこかへ消えた。


 それと同じように私が来ていたパーカーも消えた。



「ありがとうございます。また会えますよね」



 聞こえたかは分からないが私は感謝の気持ちを口にした。ネモネとはまたどこかで会えるような気がしてならないのだ。



 一息吐き出し、気持ちを入れ替える。

そしてネモネが指差した方向に目を向ける。


木々というよりか沢山の木の根っこが入り組んでいるように見える。


複雑に絡み合った根はツルで作ったリースみたいになっている。真ん中がぽかりと空いているので、あそこから入れそうである。


私はリースへ近づく。洞穴のように狭い空間をしゃがみながら移動する。壁が近づいてくる。どんどんと先細りになっているからだ。


それに加えて壁や地面は黒いヘドロ塗れであるので歩きづらい。


体勢が辛いので避けるのにも限界がくる。



 足にヘドロが触れる。


すると頭に何かが流れ込んでくる。

酷くノイズまじりで聞き取ることができない。


ただ悪意を全く感じないのだ。

海の魔女の音波には明確な悪意が籠っていた。だから酷い頭痛に襲われるのだ。


このノイズは必死に私に何かを伝えようとしていると感じる。


それこそ相棒の狼との念話に一番近い。


私はヘドロを気にすることをやめてどんどん木の根の間を通り抜けた。




 先程までの場所とは空気感が違う。


魔力が感知できない私にすら、ここが重く濃度の高い魔力で満ちている場所だということが分かる。


身体がとても重く感じる。

その異質な空気感に反応したようで、Sentinelが独りでに展開された。


光り輝く盾は慌ただしく私の周囲をグルグルと回り出した。


まるでどこを守ったらよいかわからないという様子だ。


私は怯えるように震える盾に触れる。



「大丈夫です。見た目以上に酷い場所ではないような気がしますよ。どこか懐かしいのです」



 空気感以上に目に映るもの全てが酷いところである。


枯れるどころか腐敗しているかのような紫色の根っこが壁も地面も天井もどこへでも、びっしりと張り巡らせている。


ただ、生命力を感じるのだ。

私の家の枯れてしまった草木たちとは大違いである。

枯れているように見えるがヒシヒシと感じる力強さがある。


奥の方には大きな大木が見えた。


この根っこたちはあの大木から伸びているものだということがわかる。



 一つ一つ状況を整理していくと、それほど悪い場所には思えなくなってくる。


身体に感じる重みに不快感を感じなくなる。


気持ちがよい重みなのだ。


そう、まるで誰かに抱きしめられているかのようである。


私の思考が流れ込んだのか盾は落ち着きを取り戻して、フワフワと私の隣に浮くようになった。



「頼りにしていますよ……」



 本来であれば私の隣にはルガティが居て欲しかった。とても心細い。


私の寂しさを埋めるように盾は狼へと姿を変えた。



「その必要はありませんよ。全然似ていませんし、決して貴方のことを頼りにしていないわけではないですよ」



 ただ、こういう人の心がわからない所はそっくりである。私の言葉を受けるとすぐに盾の姿に戻った。

 私が大木へと歩みを進めるているとあちらから誰かがやってくる。



「やぁ、遅かったじゃないか。ここへは長居したくないんだ、魔力を吸われ続けていてとても気分が悪いからね」


「──海の魔女」



 魔女がこちらへ近づいてくる。全身白一色の彼女はこの暗い空間の中で異彩を放っている。



「うん。その様子だとあのペテン師の魔法を打ち破ったようだ。しかも、フハハ──魔女の匂いが増えている! みんな君にお熱のようだね。これではあの人になんと言われるか」


「何とでも言ってください。ここにご主人様がいることは分かっているんです! どこにいるのですか」


「ああ、そうだね。元々君と私たちの目的は一緒なんだ。森の魔女を自由にしたい。そこに君という不確定要素を極力近づけたくはなかったので回りくどい方法を取ったが、どちらにせよ結果だけを見れば変わらないことなんだ」



 何を言っているのかがわからなかった。



「まぁ、実際に見てもらうのが早いかな。こちらへおいで。そうそう、ここで私は魔法は使えない。使おうとするとその場から吸収されていくからね」



 海の魔女が右手を上げて掌から水を作り出すと、水が消えるように光となって大木の方まで向かっていった。木に魔法を吸い取られているようであった。


私は魔女の指示に従うように大木まで近づいた。


近づくほどに胸がザワザワとする。この胸のざわめきを無視するように進んだ。


海の魔女から感じた気迫のようなものがここでは薄く感じる。


魔力を吸われているというのは保有している体内の魔力のことも指すのだろうか。


だとすると並みの魔法使いであれば体内の魔力を一瞬で持っていかれてしまうのだろう。先程対峙した時と表情も出立ちもあまり変わりがないのは彼女が強大な魔女であることの何よりの証拠なのだ。



「ほらあそこ。木に取り込まれている人が見えるだろう」



 木の上の方を見ると、確かにそんなような物体が見え──。



「───!!!」



 私は思わず膝から崩れ落ちた。



 変わり果てた姿であるが、あれがご主人様であることを全身の細胞が告げている。

黒く禍々しい大木と同じ色に見えるほどに肌は変色していて、元々細かった体はさらにやせ細って少し小突けば折れてしまいそうである。



磔の姿勢で大木に同化するように根やツタが絡みついている。

視界がクラクラと白飛びしそうになる。

心臓は跳ね上がり続けている。

いつもの倍の速度で血液を送り出しているようだ。息をするのも苦しい。



「そんなに気を落とすことではないよ。あれでも彼女は生きている。この場にいる誰よりも元気だよ」



 こいつは何を言っている!あんな状態で元気だとほざくのか。



 私は煩い心臓を抑えながらSentinelから剣を生成し、目の前の不快な魔女に斬りかかった。


しかしその攻撃は空を撫でるだけであった。



「魔法が使えない今だったら君の方に分があるかもしれない。ただ、そんな状態で私のことが斬れるとでも思ったのかい?」



 剣を振り抜いた勢いのまま、地面に倒れ込んだ私に魔女は冷ややかな視線を送る。

もう顔を上げたくない。



「君にはこれから彼女へSentinelを返してもらいたいんだ」


「そんなことして何の意味があるのですか……」


「言っただろう。彼女は生きている。今はとある大きな魔法の詠唱の最中なのだよ。自分の保有している魔力量を超えた大きな魔法だから、その代償を払わされていると言ったらわかるかな」



 そもそも自分の魔力量を超えて消費する魔法を行使することなどできるのだろうか。どんなに正確に詠唱した所で自身の保有する魔力量を超えた消費量の魔法を更新することはできないと私でも知っていることだ。



「彼女はこの魔法を行使できる魔力量を持っているはずなんだ。それがあの時点ではなぜか欠損していたんだ。それなら魔法は行使されないはず。私は長らく疑問だったのだよ。まるでここではない別のどこかに魔力を貯蔵している場所があるようでね。君が現れてようやくこの謎が解けたんだ」



「君が持っているSentinelこそがその貯蔵庫だよ! それは凄まじいほどの魔力の塊だ。おそらく彼女のほぼすべての魔力が込められている。全く気狂いもいいところだ。これは防衛魔法の極致などではない。むしろ今はそちらが本体だというに等しい存在だ!」



 私は右手に握られた剣を見る。

精度の高い自動防御と防衛魔法の再現。

それ自身が意思を持っているかのような挙動を見せる。魔女はこのSentinelもご主人様のもうひとつの姿だというのだ。



「そんな話信じられない!」



 しかし私はこの説を否定するだけの情報を持ち合わせていない。

むしろそう考えると合点がいく要素がいくつもある。


他者に付与できて悪意ある攻撃に対して自動で発動する防衛魔法を行使する魔法。

そんなものが存在すると考えるよりも、誰かの意思が宿っていてそれが魔法を行使していると考える方があり得る話であろう。



「あなたの話は分かりました。Sentinelを返せばご主人様に魔力が帰り、魔力不足のペナルティを払うことができて何らかの魔法が行使される。その結果ご主人様は自由になるということですね」


「そんなところだね。君はご主人様に会うことができる。私は大魔法の発動を見届けることができる」


「教えてくださいよ。ご主人様が行使しようとしている魔法って、どんな魔法なのですか」


「彼女は世界を終わらせる魔法だと言っていたね」


「なんですかそれ、話が変わりますよ」


「いや、初めから君に選択肢はない。木の裏側へ回ってみるといい。君はすぐにでもSentinelを彼女へ返すはずだ」



 私は立ち上がって言われるままに着の裏側へと回る。


大きな木なので剣をボードに変形させてそれに乗って移動した。

裏側の木の根元には何人かが座っていた。

近づいてよく見てみると、まるで木に取り込まれていくようであった。


木の根っこが人々の体に巻き付いて少しずつ同化させようとしていた。


私は一人に近づいて根っこに触れて救出を試みるがびくともしない。



「そんな!」



 ボードの上で剣を生成して斬り付ける。刃が通らない。



「ネリネ、三つ隣の人を見てみるといい。君もよく知っている人物だ」



 言われるがままその人を見る。



「──エ、エマさん!!!」



 力なく身体は木の中に取り込まれて顔だけが出ている状態の女の人であった。

彼女はご主人様とディルクナード騎士団長の友人で、いままで私の面倒を見てくれていた大切な私にとって家族のような人であった。



 私は何度も剣を木に突き刺そうとするがどうやっても通らない。魔力を吸い終えたあとは生命エネルギーすらも取り込もうというのか。



「どうすればよいのですか!!!」



 悲痛な叫びであった。



「何回も言っているじゃないか、簡単な話だよ。君がSentinelを返せばいいのだ」



 とことこと余裕そうに歩いてきた海の魔女が私の叫びに反応する。


 私はボードを走らせて大木の正面に大急ぎで向かう。身体が勝手に動く。


エマの命の危機を見せつけて、私の選択肢をなくして否応なくご主人様にSentinelを返えさせることが目的なのだろう。


ご主人様がどんな意図をもって世界を終わらせる魔法を使おうとしたか、どうしてペナルティ覚悟で魔法の詠唱を始めたか。


私ではわからないことだらけである。


しかもこの海の魔女がどれだけ本当のことを話しているかも判断できない。


それでも私の行動一つで私の大切な人の命が助かる可能性があるのならば、私は迷わずそれを選ぶ。

ご主人様は私のわがままを許してくれるだろうか。



 大木の正面に付いた。もう一度磔のご主人様のことを見る。



「いつまでそこで寝ているのですか! 寝坊助なのも大概にしてくださいよ! ほらさっさ起きてくださいよ! ご主人様!!!」



 私はご主人様に向かってSentinelの全てを射出した。




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