第19話「分かり切っていたこと」
二人の間に言葉は無い。
そんなものなど無くとも想い合っているだとか、何を考えているか分かるだとか、そんな事ではなくて、ただ互いに何も話せないだけだった。
波と風の音だけが響く。
パクパクと口を動かし、言葉を失っているディランは何も言えない。
再び口を閉ざしたエレノアは、酷く哀しそうな顔をディランに向けるだけ。
望んでいた時を迎えた筈だった。たった一度キスをして、呪いが解けると思っていたのだ。だがそれは叶わなかった。
何となく分かっていたのだ。ディランが相手では呪いは解けないと。それでもライアンに頼りたくなくて、何とかしてディランに呪いを解いてほしかった。正直言ってしまえば、ライアンでなければ誰でも良かったのだ。
ディラン・バーンズという男は、呪いを解きたいという理由だけで選ばれた憐れな子羊なのである。
「どう…は?何…」
漸く絞り出した声は言葉になっていない。混乱を隠せないディランは自分の口元を抑えながらブツブツと何かを呟き続けている。
「呪い…?俺じゃない?どういう…」
『説明しますね』
困り顔のエレノアに差し出された紙を読んでいるのかいないのか、ディランはへなへなとその場にしゃがみ込む。
そんなにショックを受ける程酷い声だっただろうか。それはそれで傷付くななんてどうでも良い事を考えながら、エレノアは幾つかの事情を簡単に掻い摘んで箇条書きにしていく。
魔女の呪いによってこんな声になった事。
十八歳の誕生日までに呪いを解かなければ、一生この声のままである事。
心から愛してくれる男にキスをされるのが、この呪いを解く方法である事。
だから貴方に愛されたかった。
差し出された紙に視線を落としたまま動かないディランは何を考えているのだろう。
怒るだろうか。本気では無かったと嘲笑うだろうか。それとも、呪われている女にキスなんてして呪いが伝染するとでも言われるだろうか。
「…私を、利用する為に近付いたと?」
そうだ。
肯定するように頷くが、下を向いているディランにそれが見えているのか疑問だ。
「成程…呪いを解いてくれさえすれば、相手は誰でも良かったのですね」
その答えも是だ。こくりと頷くが、やはりディランはうつむいたまま動かない。
どうしようと困り始めた頃、ディランは小さく笑いだす。
手に持った紙をくしゃりと握りしめながら、ディランは面白くて仕方ないと言いたげに笑った。
「それは私では無理ですね!呪いを解くための条件が揃っていませんから!」
うっすらと目尻に涙を溜める程笑い、にたりと笑う顔をエレノアに向ける。
見た事の無いディランの顔。何だか怖いと思ってしまうような笑顔に、エレノアは半歩後ろに下がった。
「ああ、大丈夫心配しないで。別に取って食ったりしません。腹が膨れる生き物は森に行けばそれなりにいますから」
普段のディランは紳士だ。とても優しく、貧乏だとしてもきちんと教育を受けた貴族令息らしく振舞っていた。
文字は少々悪筆だが、子供やエレノアに対する態度も表情も言葉遣いも、紳士らしく丁寧なものだった筈。
それなのに、今のディランは少々荒い。恐らくこちらが素なのだろう。砂浜に座り込み、声を漏らして笑うその姿は、紳士というより街のどこにでもいる男といったように見えた。
「心から愛してくれる男、でしたっけ?それは私には無理です。私はエヴァンズ嬢を愛していません」
そこまできっぱりと言われてしまうと何だか微妙だ。
眉間に皺を寄せ、文句を書こうとエレノアがもう一度ペンを握り直す。
「ああ、それも正直言って面倒なんですよ。会話をするのにわざわざ文字を読んで、それに返事をするのは本当に煩わしかった」
「…それは申し訳なかったわ」
「本当に酷い声だ。エヴァンズの金糸雀」
こんなにもあっさりと態度を変えてくるのは想定外だが、ここまで綺麗に態度を豹変されると少々面白い。
筆談する人間を相手にコミュニケーションを取るのは確かに面倒だろう。
面と向かって言われた事は無いが、恐らく誰もがそう思っているに違いない。エレノアだって、書いている側だが面倒で仕方が無いのだから。
「貴方の素は此方?」
「ええ、まあそうです。紳士らしくせよという教えの元育ちましたが、窮屈で仕方ないったら」
「まあ、気持ちは分かります」
淑女らしくしなさいと言われる窮屈さを、エレノアも何となく知っている。呪われてからはあまり煩く言われなくなったが、幼い頃は少しはしゃいだだけで口煩く言われたものだ。
「残念でしたね、呪いが解けなくて」
「ええ本当に。また初めからやり直しです。誰か良い殿方ご存知ではありませんか」
「さあ…貧乏男爵家の私には、伯爵家の御令嬢に紹介出来るような友人はおりませんので」
砂浜に座り込んだまま、ディランは片膝を立ててエレノアに向かって微笑む。
いつものくすんだ金の髪が風に揺られて踊る。その姿は綺麗だと思うのに、優しく微笑む唇から紡がれる言葉はあまり優しくはない。
「酷い人だ。こんなに善良な男を利用する為だけに近付くなんて!」
「…これは独り言ですが、貴方も何か目的があって私に近付いたのではないのですか?私の事は愛していなくとも、私の後ろにある財産は愛している…とか」
エレノアの後ろには、エヴァンズ邸が陽の光を浴びている。街のどの家よりも大きな屋敷。伯爵家の分家に当たるエヴァンズ家の令嬢ならば、婚家に持ち込まれる持参金はかなりの額になるだろう。
考えなかったわけではない。バーンズ家は貧乏男爵家。たまたまとはいえ、エヴァンズ家の令嬢であるエレノアと接点を持ったのだから、エレノアとの仲を進展させ嫁いでもらおうと考えているのなら、やけに進展するのが早い事も納得いく。
「何だ、感づいてましたか」
「もう少し時間をください、今度はきっと呪いが解ける程愛してみせますとでも言ってくだされば、嫁ぐ可能性は欠片程残りましたのに」
「それもそうですね。ちょっとやり直しても良いですか?」
「駄目ですね」
ぽんぽんと小気味よく交わされる会話。久しぶりの感覚だ。
話している内容は別として、久しぶりの「普通の会話」はエレノアの頬を緩ませる。
もっと楽しい話が出来れば良かったのだが、それは無理な話だろう。
「互いに利用する為に近付き、互いに失敗したわけですか。これで我が家も安泰だと思ったんですが」
「残念でしたわね」
「ええ本当に。呪いという話で少々気が動転しました」
そうでなければもう少しうまくやったのに、なんて笑いながら、ディランはやれやれと首を横に振った。
「でもそれなら、もっと簡単に呪いは解けるでしょうに」
「…というと?」
「ライアン・ブルックスがいるじゃないか。彼はどう見ても貴女に溺れているのに」
本気で不思議そうな顔をして、ディランは小首を傾げる。
そう言われても、ライアンはあくまで幼馴染でいつかは離れていく相手なのだ。
互いに親の決めた相手と結婚をして、別々の道を歩んで行く。だからライアンに頼ってはいけないのだ。
「観劇に行った日の彼、今にも私を殺しそうな顔で睨みつけて怖かったですよ」
思い出したのか、くっくと喉を鳴らして笑う。確かにあの日のライアンはやけに不機嫌そうだったが、流石に殺しはしないだろう。
「教会で貴女の誕生日をお祝いしていた日も、彼は上から下まで私を観察して品定めして…失礼だと思いませんか?」
「幼馴染が大変失礼をいたしました」
よく喋る男だ。僅かに目を細めてディランを見下ろすエレノアの表情が面白いのか、ディランは少々機嫌良さげに笑う。
「何を思って彼に頼らないのかは知りませんが、さっきも言った通り私は貴女ではなく、貴女の家の財産を愛している。呪いが解けず、永遠にその酷い声で生きて行く事になったら、是非我が家にご連絡を」
嫁の貰い手もなくなってしまうでしょう?
そう続けるディランに向かって、エレノアは遠慮なく砂を蹴った。顔にかかったのか心底嫌そうな顔をして顔を払っているが、これは流石に言いすぎなのだから仕方が無い。
「今の言葉はこれで無かった事にしてあげるわ」
「お優しい女性で有難いですね」
口に砂が入ったのだろう。行儀悪くペッと唾を吐き、ディランはゆらりと立ち上がる。
流石に砂をかけるのはやりすぎただろうか。身構えながら警戒するエレノアに、ディランはにたりと微笑んで手を差し出す。
「目論見は失敗に終わりましたが、私はまだ貴女を諦められない。十八歳の誕生日に呪いが解けていなかったら、正式に我が家から婚約を申し出ます」
「私の持参金を、諦めきれないのでしょう?」
「よくお分かりで」
守銭奴め。じとりと睨みつけるが、思っていたより悪い感情はディランに抱けない。
小馬鹿にしたような態度は取られているが、もし駄目なら逃げ場になると申し出てくれているのだろうと解釈してしまった。
それはきっと、これまでのディランの行動のせいなのだろう。
花を贈ってくれたのも、観劇に連れ出してくれたあの日も、教会で子供たちに囲まれて過ごす時間も、互いに目的があって下心を隠しながらではあったが、楽しいと思えていた。
素のディランは今のディランで、これまでのディランは所謂「外向け」というやつだったのだろう。
演技をしていたのかもしれないが、楽しませようとしてくれていたのは演技ではなかったかもしれない。
それに、嘘の求愛をするのに場所を変えた。
教会で話す事も出来たのに、場所を変えた事がエレノアにとって好感を持てる行動だったのだ。
嘘を言うのに天の父に見られている事を気にしたのだろう。教会の中で偽りの愛を騙らなかったというだけで、ディラン・バーンズという男はそんなに悪い男ではないように思ってしまうのは、エレノアが世間知らずなお嬢様だからだろうか。
「ああそうだ…さっきのキス、どうかライアン・ブルックスにはご内密に」
「どうして?」
「殺されるから」
自分の喉をかき切る仕草をしながら笑うディランは、やはり男爵家子息には見えなかった。
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