第7話「交流と約束」
やる事はそれなりにある。毎日退屈だった日常を打破すべく、エレノアは少しずつ自分のやる事を増やしていった。
まだ人と交流するのは怖いというか、勇気が出ないが、教会に行くことが増えた。今日もたっぷりのメモを小さなポシェットに突っ込み、元気よく教会の扉を開いたのだった。
「お姉ちゃん遊ぼう!」
『何して遊ぶ?』
「読めないったら」
そうだった。子供たちの殆どは文字を読めない。教える大人が居ないのだから当たり前なのだが、これから先大人になってから文字が読めていた方が色々と便利だろう。
そう考えると、エレノアは教会の庭に子供たちを集め、芝生の上に座り込んだ。
「どうしたのお姉ちゃん?」
何をするんだと不思議そうな顔をしたアンナという少女が、エレノアの前に座る。
にんまりと笑ったエレノアは、さらさらとメモにペンを走らせると、そのメモをアンナに渡す。
「読めないよ…」
困り顔のアンナに、エレノアはトントンと紙を叩き、アンナを指差す。それを何度か繰り返し、今度は自分の名前を紙に書くと、紙と自分を交互に指差した。
「何してるんだ?」
「わかんない…」
アンナの隣で困惑していたハリーという少年にも、彼の名前を書いて紙とハリーの顔を交互に指差す。
それを周りに集まった子供たち全員に繰り返した。
「書いてあるの、皆違うね」
そう呟いた子供に、エレノアはぱちぱちと拍手をしてみせる。
もう一度エレノアの名前を書いた紙と自分を指差すと、アンナが口を開いた。
「名前?」
正解!
ぱちぱちと何度も拍手をするエレノアを見て、アンナは自分の答えが正解だった事を察して嬉しそうに微笑む。自分の名前が書かれた紙を嬉しそうに眺め、「アンナ」と文字を指で追いながら発音する。
周りの子供たちも、渡された紙に書かれているのが自分の名前であると気付き、嬉しそうな顔をしたり、不思議そうな顔をする。文字が読めないのなら、まずは身近な物をお手本にしながら教えてやれば良い。
昔自分が文字を教わった時、家庭教師にそう教えられた事を覚えていて良かった。
今度は何をお手本にしようかと周囲を見回し、庭に落ちていたボールを手にすると、紙に大きく「ボール」と書いた。
もう子供たちもそれが何と書いてあるのか理解したようで、これは、あれはとどんどん物を持って来てはどう書くのかとエレノアに迫った。
「どれがどれだか分かんなくなっちゃった」
そう誰かが呟くまで、そう時間は掛からなかった。
◆◆◆
子供たちに文字を教える時間は週に一度。手頃なおやつを抱え、せっせと課題を作っては子供たちを教会の庭に集める。
神父もシスターも、申し訳ないと言いながらも子供たちの面倒を見てもらえるのは助かるのか、エレノアが来ている間にそれぞれの仕事を片付ける。
「こんにちは」
今日は少し冷えるからと、教会の中で子供たちに囲まれていたエレノアは、ふいに掛けられた声に振り向いた。
ゆったりと微笑みながら、ちょっとした授業をしているエレノアの手元を覗き込むディランだった。
『こんにちは』
「子供たちと仲が良いのですね」
『文字を』
「教えてもらってるの!」
エレノアの書く文字がまだ途中だというのに、子供たちはディランに愛想よく教えてやっている。
自分の名前が書けるようになった。大好きなものを書けるようになった。今はこれを練習中。
わらわらとあちこちから飛んでくる言葉を全て聞ける筈が無いのに、ディランは出来るだけ返事をしようと子供たちに視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「参ったな、俺より綺麗な字を書く子がいる」
そういえば悪筆だと言っていたと思い出し、エレノアはふっと小さく吹き出す。子供たちは自分が一番上手だとそれぞれ紙をディランに向け、褒められると嬉しそうな顔をしてまたペンを握り出す。
褒めてもらえるとやる気が出るらしい。声を出せないエレノアは、褒めてやりたくても上手く褒めてやれない。
小さく拍手をしてやるだとか、頭を撫でてやる事しか出来ないが、ディランはきちんと言葉にして褒めてやれる。それが何だか羨ましかった。
「エヴァンズ嬢は良い先生なのですね」
『光栄です。少ししか教えてあげられませんが』
「何事も始めが肝心と言いますから。こうして学ぶ事を楽しいと思えるのはとても良い事だと思います」
それとなくエレノアも褒めてくれるディランは、何か用事があってここに来ただろうに、そっとエレノアの隣に座る。
机に置かれていたペンを取ると、さらさらと何か書いて子供たちに見せて笑う。
「読める?」
「よめなーい」
「ディランって読むんだ。よろしくね」
初めて見るディランの文字は、想像していたよりは綺麗だった。だが、もう少し文字の練習をした方が良いなというのが本音だ。
「エヴァンズ嬢に見られると、少し恥ずかしいですね。文字を書くのは苦手なんです」
照れ臭そうな顔をして、あまり見ないでほしいと言いたげにそっとエレノアの視線から紙を外す。
その仕草がどうにも可愛らしいと思ってしまうのだが、それを本人に伝えたら、きっと恥をかかせてしまう。それは避けた方が良さそうだ。
『何か用事があったのではないのですか?』
そう書いてディランに見せると、彼は何てことはなさそうにへらりと笑う。
「ちょっと気晴らしに散歩をしていただけです。近くまで来たので、お祈りでもして帰ろうかと思っただけで」
若いのになんて信心深い人だろう。ほうと感心するエレノアに、ディランはにっこりと微笑みかける。
『貴女とお話出来た。寄ってみて正解でした』
子供の前だからと気を使ったのだろう。さらさらとそう書くと、ディランはそっとエレノアにその紙を差し出す。
途端に赤くなったエレノアの顔を不思議そうに見つめながら、子供たちは揃って首を傾げた。
「このお勉強会は毎日やっているのかな?」
「ううん、週に一度だよ」
「そうか、次は来週かな?」
こくこくと頷くエレノアに、ディランは少し考える素振りをして、そっとエレノアの手を取った。
「私も来て宜しいですか?」
簡単な文字を教えるだけ。ただそれだけの授業共呼べるか分からないこの集まりに参加してどうすると言うのだろう。既にディランは問題なく、少々悪筆だが文字は書けている。
不思議そうな顔をしているエレノアが何を考えているのか分かったのか、ディランは眉尻を下げながら笑った。
「悪筆なので、少しばかり練習を」
子供たちと一緒なら、楽しくやれそうでしょう?
そう続けたディランの顔を見つめながら、エレノアは小さく頷いた。もしかしたら、もう少し仲良くなれるかもしれない。男爵家の嫡男ならば、結婚相手として申し分無いだろう。
結婚云々は考えないにしても、同じ年頃の異性と仲良くなるのは、忌まわしい呪いを解く第一歩。断る理由など欠片も無かった。
「楽しそうな集まりに参加させていただきますし、何かエヴァンズ嬢のお手伝いをさせていただけませんか?」
お手伝いと言われても、特に頼むような事は何も無い。子供たちに出す課題は全て自分で準備出来ているし、教会から頼まれている事も無い。
黙ったきり何か書く素振りも見せないエレノアに、ディランはあれこれと提案してくれた。
「何か欲しい物があれば手配するお手伝いをするだとか、探し物のお手伝いですとか…私に出来る事は、エヴァンズ家では当たり前に出来る事かもしれませんが」
役立てそうにないですねと笑うディランは、うーんと何か無いかと考えているらしい。子供たちは既に飽きているのか、それぞれ自分の名前を只管書いたり、空いている所に絵を描いたりして遊んでいる。
「私に出来る事があれば、何でも仰ってください」
では私を愛してください。
そう言ってしまったら頭のおかしい女だと思われるだろう。だが今望むのはそれだけなのだ。心の底から愛してくれて、十八の誕生日までにキスをしてほしい。そうでなければ、一生元の声は戻って来ない。
誰か紹介してください、愛してくれる人を探してください。呪いを解いて。
そう言えたら、それを叶えてもらえたら良いのに。言える筈も無い願いを胸の奥に押し込めて、エレノアはペンを握った。
『またお花をください』
「花で良いのですか?」
こくんと頷くエレノアに、ディランは目を瞬かせる。
伯爵家の令嬢が強請るには、少々子供っぽかっただろうかと恥ずかしくなるが、誕生日に花を貰ったのが嬉しかったのだ。
あの時貰ったピンクのスイートピーが可愛らしくて気に入った。ライアンから山のように贈られた花はガーベラだったが、どちらもピンク色の可愛らしい花だった。
「では、またお贈りしますね」
そう約束すると、ディランはまた穏やかに微笑む。毎週この人に会う。その度に花を贈られる。そう考えただけで、エレノアの頬はほんのりと熱を持った。
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