第6話「幼馴染」
教会でのささやかな誕生日パーティーをした翌日、朝からエヴァンズ家の玄関は賑やかだった。
何だこれは。眉間に深々と皺を寄せ、大騒ぎになっている原因、ライアンをじとりと睨む。
「おはようエリー」
おはようじゃない。何だこの騒ぎは。そう言いたいのに、今日も今日とて忌まわしいダミ声。ぐっと唇を引き結び、エレノアは使用人たちがあたふたしながら運んでいる山のような花たちを指差した。
「うん?ああ…綺麗だったから」
プレゼントのつもりなのだろうか。だとしたらこの量はやりすぎだろう。ただの嫌がらせになってしまっている。
頭を抱え、盛大な溜息を吐くエレノアの前で、思っていた反応が来なかったライアンは困惑顔だ。
気に入らなかったかとおずおずエレノアの顔を覗き込みに来るが、気に入る気に入らないの問題以前に、量が可笑しいと気付かせるにはどうすべきか。
騒ぎになっている事に気付き、何事だと慌てて部屋を出てしまったせいでペンもメモも手元にない。
勿論声を出す事なんて出来ない。ではどうするか。少し考え、エレノアはそっとライアンの手を取った。
掌を上に向け、そこに人差し指で文字を書く。ゆっくり、大きく、一文字ずつ書かれている事に気付くと、ライアンはぶつぶつと呟きながらエレノアの言いたい事を理解しようと努力してくれた。
「り、りょう。量?合ってる?」
こくりと頷くエレノアに「よし」と嬉しそうに笑うと、ライアンは続けろと手を広げた。
「大きい」
べしんとライアンの手を叩き、苛々とした顔を向けるエレノアに、ライアンはどうしようかと後頭部を掻く。
単語を繋げろとジェスチャーするのだが、伝わっているのかすら怪しいものだ。
「…もしかして、多かったか」
やっと気づいたか。使用人も呆れ顔だが、折角だから屋敷中に飾らせていただきますと気を使う声がした。
眉間に皺を寄せ、腕を組んで仁王立ちをするエレノアを前に、ライアンはしょんぼりと肩を落とす。
もう子供ではないのに、落ち込むライアンはまるで叱られた子供のようだ。
「昨日喜んでたから…」
ディランに花を貰って喜んでいたから、花が好きならばと昨日のうちに手配しておいたのだと、ライアンは言う。
花は好きだ。だが量が多すぎては流石に困る。数人の使用人が何度も往復して玄関から裏口へ運ばなければならない量は、嬉しいよりも迷惑の方が上回る。
「…ディランって男に貰ったから、嬉しいとか?」
何だ突然。また眉間に皺を刻み、落ち込んだ顔のままのライアンをうりうりと突く。視線をうろつかせ、じっと見つめるエレノアの視線から逃れるように思えた。
それが腹立たしくて、エレノアはぐいとライアンの頬を両手で挟んで自分に向ける。
馬鹿。
口の動きだけでそう言うと、ライアンは何を言われたのか分かったらしい。「何だと」といつものようにエレノアの頭を掻き回し、いつまでも子供のようだと使用人に呆れられるまで、二人のじゃれ合いは続いた。
◆◆◆
何度も確認するが、本来ライアンとは忙しい男の筈だ。
本来家業を継ぐ為に勉強に追われる毎日の筈で、こうして幼馴染とのんびりお茶をしている時間は無い筈だ。
「流石エヴァンズ家。良い茶葉使ってるなあ」
ブルックス家だって同じような茶葉を使っている癖に。そう言いたげな目を向けながら、エレノアは静かにカップを傾ける。
朝食を済ませてからそう時間は経っていないが、ライアンが花と一緒に持ってきた焼き菓子は不思議とするする胃に収まっていく。
このまま食べているとドレスのサイズが合わなくなりそうだが、持って来てくれたライアンは美味しそうに菓子を頬張るエレノアの横顔を満足げに眺める。
「気に入った?」
『美味しい』
「じゃあまた持ってくる。取引先の子爵家で食べたんだけど、美味しかったから帰りに買って来たんだ」
『仕事してたのね』
「失礼だな…」
さらさらとメモに文字を書いていくエレノアの為、ライアンが持ってきたのは片手で摘まめる小さな菓子だった。利き手である右手はペンを握り、左手で小さな菓子を摘まむ。
二人でお茶をする時は、決まってライアンがエレノアの右側に居た。
「右側にいれば、エリーの言葉をすぐに読めるから」
そう言ってくれたのが、エレノアにとってとても嬉しい事を、ライアンは知らない。
誰もがエレノアを「可哀想」と言った。だがライアンは一度も可哀想と言わなかった。勿論心配する言葉は掛けてくれたが、魔女の呪いのせいだと知ると「呪いを解こう」と真っ先に励ましてくれた人だった。
子供の頃から、ライアンはいつだってエレノアの味方をしてくれた。
他所の女の子とちょっとした言い合いをしても、ライアンはゆっくりと話を聞き、仲直りしておいでと送り出してくれた。両親と喧嘩をした時も、落ち着くまで傍にいて、一緒に謝りに行ってくれる。
要は優しい兄なのだ。年齢は一つしか変わらないが、兄のいないエレノアにとって、頼れる兄で一番の仲良し。
きっと呪いを解くために協力しろと言えば、二つ返事で了承してくれるだろう。勿論試しにキスしてみようかというライアンの申し出はあの日断ったし、今後も頼むことは無いだろう。
『呪いを解きたいんだけど』
トントンとテーブルを叩き、エレノアはちょいとメモをライアンに向ける。
「え?ああ、そうだな。あと一年切ったわけだし、本気で頑張らないと」
『協力して』
「良いけど…何、キスすれば良い?」
熱湯をかけてやろうか、それとも手に握ったペンを体の何処かに刺してやろうか。眉間に皺を寄せ、令嬢がして良い顔ではない顔をするエレノアに、ライアンは小さく詫びながら溜息を吐く。
「何してほしいんだ?」
『誰か良い人居ない?』
「俺に聞くなよ…」
げんなりと頭を抱え、ライアンは小さく唸る。ライアンの交友関係ならば、まだ独身で婚約者も居ない男はそこそこの人数居るだろう。
出来れば年齢が近く、伯爵家の令嬢が嫁いでも問題ない家柄の男が望みだが、この際呪いが解けるなら少々歳が離れていても構わない。
という内容を箇条書きにしようとしたところで、ライアンの手がひょいとエレノアのペンを摘まんで取り上げた。
返して。
思わず叫びそうになり、エレノアは慌てて口を押えて座り直す。聞かせたくない。聞かれたくない。ライアンには聞かれたくない。いつまでも彼の記憶に残る自分の声は、金糸雀と謳われた自慢の声であってほしいから。
「あ、やっぱり。インク切れかけてる。部屋に新しいのあるか?」
軸を捻り、インクの残量を確認するライアンがエレノアに問う。
メモに書かれた文字が掠れているのが気になっただけで、取り上げるつもりでは無かったらしい。
あったような、無かったような。首を傾げて思い出そうとするエレノアを見て、ライアンは「把握しとけ」と小言を零して立ち上がる。
「俺の部屋にあるから替えてくる。ちょっと借りるぞ」
そう言って、ライアンはさっさと自分の家を目指して庭を横切って走り出す。
互いの家を隔てる高い塀。その一部分は、エレノアが子供の頃から壊れたままだ。
両家の父親同士が、子供たちの仲が良いからとそのままにしてくれたおかげで、わざわざ遠回りせずに行き来出来ている。流石に大人になると隙間は狭くなったし、重たいドレスを着ているエレノアは通り抜けられなくなったが、ライアンは未だに無理矢理通り抜けてはエレノアに構いに来るのだ。
「仲が宜しいですねえ」
お茶のお代わりを持ってきたソフィーが、遠くなったライアンの背中を眺めながら笑う。昔から仕えているのだから、ソフィーはライアンとも馴染みなのだ。
「いっそのこと、ライアン様とご結婚されれば宜しいのに」
ソフィーの軽口はいつもの事だが、流石に飲もうとしていたお茶を吹きかけた。
小さく噎せるエレノアに咎めるような視線を向けられたソフィーは小さく詫びるが、「お似合いだと思いますけれど…」と付け足す事を忘れない。
『ただの幼馴染』
そう書くつもりでテーブルの上を探ったが、ペンはライアンが持って行ってしまったのを思い出す。今は何も言い返せない。他の使用人に声を聞かれるのが嫌なのだ。
もし会話に夢中になっている間にライアンが戻って来てしまったら。声を聞かれてしまったら。きっと、もうライアンと顔を合わせる事は出来ないだろう。
いつまでも綺麗な声のままで覚えていて欲しい。それは、この二年と少しの間守り続けてきた、エレノアなりの意地だった。
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