第5話「誕生日会」

久しぶりに顔を出した教会は、二年前と何も変わらない。皆優しく迎え入れ、「お誕生日おめでとう」と祝福してくれた。


エレノアの声が聞けないのを残念がる者は多かったが、両親が流した噂のおかげで「可哀想に」と憐れまれるだけで、無理に歌って欲しいと強請る子供も居ない。


「声が聞けないのは残念ですが、想っていたより元気そうで安心しました」


穏やかに微笑む神父。この街の教会を取り纏める初老の男性は、とても穏やかな人だ。


『ご無沙汰しております、ベネット神父』

「はい、お久しぶりです」


エレノアが差し出すメモをにこにこと嬉しそうに見つめながら、筆談でも再び会話出来る事を喜んでくれた。

自分も話したいとソワソワしている子供たちを手招きすると、ベネット神父は新入りを紹介してくれた。


「ウォーレンです。昨年我が教会に来たのですよ」


エレノアを警戒するような顔をした少年が一人、ベネットに背中を押されて前に出る。むすっと面白くなさそうな顔をする彼の黒髪は、顔を隠すように長く伸びていた。


『はじめまして』

「…何、この人」


差し出されたメモをちらりと見るが、ウォーレンと紹介された少年は不満げな顔のままベネットを見上げる。


「エヴァンズ家のお嬢様、エレノア様だよ。酷い風邪で喉を痛めてしまわれてね。こうして筆談していらっしゃるんだ」

「ふうん」

「申し訳ございません。この子は文字が読めませんので…」


そうか、良い家の子供ならまだしも、教会が運営する孤児院にいるような子供が文字を読める筈がない。

それをすぐに思い付けない程、自分は恵まれているのだという事が、何だか恥ずかしかった。


「お姉ちゃん、私の事覚えてる?」


ウォーレンの後ろから出て来た少女に、エレノアは嬉しそうな顔をする。もっと小さかった筈だが、この二年のうちにすっかり成長していたようだ。

覚えている。こくこくと何度も頷き、少女の名をメモに書いて見せた。


『アンナ』


見せた格好のまま止まるエレノアに、アンナは困った顔をしてみせた。アンナも文字が読めないのだろう。


「なかなか勉強が進まなくて…」


孤児院では、教会に仕えるシスターたちが子供たちに簡単な勉強や家事などを教えている筈だ。だが、この教会のシスターは数が足りず、子供たちばかりが増えていた。


幼い子供の面倒を見るのは、長年この教会に暮らしている年長者たちの役目となり、シスターたちに勉強を教わる時間を失っているのだと、ベネットは言った。


『何かお手伝い出来ませんか』

「いえいえ、毎年多額の寄付を頂いておりますから、そのお心だけで充分です」


やんわりと断るベネットに、エレノアはしょんぼりと肩を落とす。

落ち込んでしまったエレノアの周りに、わらわらと子供たちが群がった。


「お姉ちゃん、お誕生日おめでとう!」

「皆でご馳走作ったんだ、早く行こう」

「本日の主役様だぞー」


きゃいきゃいと楽しそうに笑いながら、子供たちはエレノアの背中を押して建物から出る。教会の庭に準備されていた、ささやかなエレノアの誕生日会の会場の真ん中で、エレノアは真っ白な百合の花を手渡される。

ぱちくりと目を瞬かせ、花を手渡してくれた相手を凝視した。


「おめでとう、エリー」


ライアン。そう名前を呼ぼうと口を開く。勿論それが音になる事は無く。そのままぱくんと閉じられた。

一輪だけの百合の花。そう大きくはないそれを嬉しそうに顔に寄せ、決して音は出さずに「ありがとう」と唇を動かす。


照れたように赤くなった顔を背けながら、ライアンはぽりぽりと後頭部を掻いた。


「何、俺たち邪魔?」

「馬鹿、子供が大人を揶揄うんじゃない」


周りで冷やかす子供たちを追い払うように、ライアンは子供たちを順番に追いかけ回す。良いとこの坊をやっているライアンだが、エレノアが教会に通っている時から一緒になって教会に通っていた。


エヴァンズ家もブルックス家も裕福な家で、毎年教会には多額の寄付をしていた。国の一番端、波音の街と呼ばれるこの街唯一の教会は、孤児院だったり一時的な託児所という面も持っている。金はどれだけあっても足りないのだ。


エレノアの父は「ノブレス・オブリージュというやつだよ」と朗らかに笑っていたが、ベネットやシスター達は申し訳なさそうな顔をしていた事をよく覚えている。

「娘と息子がお世話になっているから」という名目で、少しでも寄付を受け取りやすいようにしようと言い出したのはエレノアで、ライアンはそれに巻き込まれた形なのだが、いつの間にやらライアンはこの教会によく馴染んだようだ。


「ライアン、ちょっと相談があるんだが…良いかい」

「はい、何でしょう」


あ、外行きの顔。

普段少々雑な男のくせに、成人した頃から時々大人のような顔をする事があった。エレノアはその顔を「外行きの顔」と呼んでいる。


きちんと丁寧な言葉を遣い、真面目な顔で会話をする。自分が引き籠っている間、ライアンは一人でどんどん大人になっていたのだろう。何故だかそれが、寂しい。


「壁の絵が日に焼けてしまってね。修復を依頼したいんだが…」

「一度見せて頂けませんか?」


ライアンの家は画商だ。家業だと目を輝かせ、ライアンはいそいそとベネットと共に教会の中へ入って行く。

一瞬目が合ったが、ライアンはひらりと手を振るだけだった。


「お姉ちゃんどうしたの?」


どうもしない。ふるふると首を振り、にっこりと微笑みかけると、幼い少女は不思議そうな顔をした。きっとこの子も文字は読めないだろう。どうやって意思の疎通をしようか考え、エレノアは困ったように遠くを見た。


「申し訳ありません、本日は少々庭が騒がしいのですが…」


遠くで誰かの声がした。

どうしたのかとそちらに視線を向けると、困惑顔の男女がシスターの一人に止められている所だった。


「ちょっとお祈りがしたかったのだけれど…入ったらいけない?」

「いいえ、神はいつでも迷える子羊をお迎えになります」


見た事のある顔。クリーム色の髪をしたシャーロットと、その兄であるディランだ。

顔見知りが来たと嬉しそうな顔をしながら、エレノアは急ぎ足で二人の元へ寄った。


「あら、エレノア様。ごきげんよう」

「こんにちは、エヴァンズ嬢。お祈りですか?」


ふるふると首を振り、エレノアは仕舞っていたペンとメモを取り出して急いで文字を綴る。それを二人の前に突き出して、にっこりと微笑んだ。


「まあ、今日はエレノア様のお誕生日でしたのね。おめでとうございます」


綻ぶような笑顔を浮かべながら、シャーロットは素直におめでとうと小さく拍手をしてくれる。

ディランは何か考えるような素振りをしてみせると、「ちょっと失礼」と一言掛けて何処かへ歩いて行ってしまった。


「私たち、ちょっとお祈りをしに来ましたの。お祈りが済んだら、すぐにお暇しますわね」


兄が戻り次第になるけれどと付け足し、シャーロットは何処かへ行ってしまった兄を探すようにきょろきょろと周囲を見回す。


庭の方で賑やかな声がするのが気になるのか、声の方に視線を向けている事に気付き、エレノアはちょいちょいと手招きをして「来てくれ」と誘う。


「どうかなさいまして?」


レースの手袋をしたシャーロットが、片手を頬に添えて小首を傾げる。

何ともそういう仕草が似合うなと感心しながら、エレノアは遠慮なしにシャーロットの手を引いた。


「まあ、本当に賑やかだこと」


大勢の子供たちが集まり、並べられ始めているご馳走に目を奪われている光景に、シャーロットは感嘆の声を上げる。

誰だろうと不思議そうな顔をする子供たちに、こんにちはと挨拶をすると、今度はエレノアに向き直る。


「もしかして、エレノア様のお誕生日をお祝いしていらっしゃったのですか?」


こくこくと頷き、さらさらとペンを走らせる。良かったら参加していかないかと誘うつもりで。


「折角のお誕生日なのに、贈り物も無しで申し訳ありません」


そんな事気にしないでほしい。またお話してもらえればそれで良い。どうかそれが伝わってほしいと願いながら、エレノアは何度もふるふると首を横に振る。


『おはなし、またして』

「私で宜しいのですか?沢山お友達がいらっしゃるのに…」

『貴女、友達』


慌てるとどうにもきちんとした文が書けなくなる。拙い単語ばかりを並べ始めたエレノアに、慣れていないシャーロットは困り顔だ。


「どうしたエリー。友達か?」


ベネットとの話が終わったのか、戻ってきたライアンが今にも泣きそうな顔をしたエレノアの隣に立つ。

シャーロットに向かって小さく頭を下げると、エレノアが持っていたメモに視線を向ける。


「あー…成程」


流石長年一緒の幼馴染様だ。エレノアが言いたい事を何となく理解したのか、困惑した顔のシャーロットに簡単に通訳してくれた。


「貴女と友人になりたいそうです」

「私と…?」


ぶんぶんと頭を振るエレノアの勢いに少々引いているが、シャーロットは嬉しそうに微笑んでそっと手を差し出してくれた。


「お茶会にいつ誘おうか、悩んでおりましたの」

「是非誘ってやってください。筆談だから話すのに少し苦労しますが、元々こいつはお喋り好きなので」


感極まって泣きそうになりながら新しい友人の手を握るエレノアを優しく見つめながら、ライアンはぽんぽんと頭を撫でる。その目はとても優しく、穏やかだ。


「…お二人は、その…ご婚約されていらっしゃるのですか?」


シャーロットの問いに、エレノアはぱちくりと目を瞬かせる。ライアンと二人で顔を見合わせ、二人揃って吹き出すと、揃って「無い無い」と首を振った。


「妹みたいなものです。俺たちは幼馴染なんですよ」

『お隣さん』

「まあ、そうでしたの。とても仲が宜しいように見えたもので」


ライアンと婚約なんてあり得ない。これから一年の間に心の底から自分を愛してくれる相手を見つけなければならないのだ。幼馴染と婚約しているのかなんて問われるならば、少し距離感というものを考え直すべきだろうか。


「ああ良かった、ここに居たか」

「お兄様」


少し息を乱したディランが、庭に顔を覗かせる。また客人かと子供たちは視線を向けてくるのだが、ディランはそれを気にもせず、真直ぐにエレノアの前に歩み寄る。


「お誕生日おめでとうございます、エヴァンズ嬢」


そう言って、ディランは小さな花束を差し出した。ピンクと白で纏められた小さな花束。きっと街の花屋まで急いでくれたのだろう。


生まれて初めて花束を貰った。穏やかに微笑むディランに手渡された花束を見つめながら、エレノアはほんのりと頬を染める。


『ありがとうございます』


さらさらとメモに書き、ぐいとディランに押し付けると、エレノアはさっとライアンの背中に隠れた。

男の人に耐性なんて無い。この間のパーティーで挨拶のキスをされただけでむず痒かったのに、こんなに可愛らしい花束を贈られたらもっとむず痒くなった。


「エヴァンズ嬢?お気に召さなかったかな」

「あー…違いますね、照れてるだけです」


出ろと背中から無理矢理出されるエレノアの顔は赤い。ちょろいと思われても仕方ないだろうなと思いながら、ちろりとディランの顔を見ると、彼はとても嬉しそうに微笑んでくれた。


「もう少し時間があれば、もっと素敵な物をお贈り出来たんですけれど」

『嬉しいです』


ふるふると首を振りながら書いたそれを、そっとディランに向ける。

一緒にそれを覗き込んだシャーロットは、にやにやと緩む口元を抑えながら、そっと兄の隣から離れていく。あまり見るものでは無いと判断したのだろう。


「何か好きな物はありませんか?改めて贈らせてください」

『いりません。このお花が嬉しいです』

「何だよ、俺の時と全然違うじゃないか」


不満げなライアンがうりうりと頭を掻き回す。やめろと腕を振り回すのだが、完全に下げられた頭では狙いを定める事が出来なかった。


ぐいぐいとエレノアの頭を押さえつけながら、ライアンは品定めをするようにディランを睨みつける。その顔は酷く冷たく、見てしまったシスターの一人が視線を逸らしていたのだが、エレノアがそれを見る事は無いだろう。


「エヴァンズ嬢のご友人ですか?」

「幼馴染のライアン・ブルックスです。どうぞお見知りおきを」

「ディラン・バーンズだ。宜しく」


ライアンが画商の息子である事を知っているのだろう。名前を聞いてすぐに口調を崩すあたり、きちんと頭の中にこの街の有力家の名前が刻まれているらしい。


「女性をそう乱暴に扱うのは、紳士としてどうかと思うんだが」

「昔からこういう扱いでして。エリー、髪ぐしゃぐしゃだな。直して貰ってこい」


誰のせいだ。ぎっと睨みながら頭を上げたエレノアは、静かな男のバトルに気付く事なくディランに頭を下げて教会の中へ入って行く。シスターの一人を捕まえ、ぐしゃぐしゃにされた頭を直してほしいとジェスチャーで伝えると、シスターは快く直してくれた。


「素敵な花束ね」


嬉しそうに微笑むエレノアの髪を纏めながら、シスターは微笑む。

伯爵家の御令嬢であるエレノアが、ただの花束でこんなにも喜ぶと思っていなかったからだ。もっと高価な物を当たり前のように贈られている少女が、初めて異性から贈られた花束に大喜びしている。


いつまでもこんな純真な子でありますように。そう願いながら、シスターは黙々とエレノアの髪を編むのだった。

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