第157話3人の食卓

「おーい、紫苑晩御飯だよ」


浩一郎の声にはーいと紫苑は返事をした。碁の勉強中だった。


「そろそろ鍋の時期だと思ってな」


ミルフィーユ鍋だ。豚肉と白菜をサンドイッチ状に敷き詰める。色々と味付けをする人も多いが浩一郎は味付けをしない。薬味はもみじおろし、大根おろしとポン酢で食べる。


「美味しい」


紫苑が言った。至ってシンプルな鍋だが飽きがこない。


「まあ今日は手抜き料理だ」


「浩一郎さんは手抜き料理が上手いですよね」


「なんだ、まるで俺がズボラをしているみたいじゃないか」


笑いが起こった。紫苑は高坂家に来て食事が楽しくなった。施設では給食方式で鍋など無かった。いつも1人で食事をしていた。それは食事と言うより、最低限の栄養を摂るための行為になっていた。


「紫苑ちゃん、ちょっとふっくらしてきたね」


「そうかな」


「うん、女の子らしくなった」


高坂家に迎え入れられた時はやせ細っていて、俊哉も浩一郎も心配していた。食も細かった。しかし2人の根気強い努力で少しずつ食べる量が増えていった。今ではご飯もおかわりするくらいだ。


「いいぞ、紫苑。もっと食べなさい」


3人は鍋を囲んでくだらない雑談をした。俊哉と浩一郎は紫苑に色々な話題をする。会社の愚痴や趣味の事、雑談だ。でもそれは紫苑にとって楽しい内容だった。紫苑は実の両親の事を思い出した。


「これでも食べろ」


テーブルにスーパーのおにぎりを投げて渡される。値引きのシールが貼ってあった。熱いお茶など無く、水道水で美味しくないおにぎりを胃に流し込んだ。両親に見放されたあの日を忘れない。施設に紫苑を引き渡すと逃げるように両親は去った。最低限の荷物で捨てられたのも同然だった。あの頃の日々は忘れたくても忘れられない。でも目の前に居る2人は違った。仲が良いのもあるが、何か違うところで固く結びつけられたようなものを感じる。


「紫苑ちゃん、聞いてよ、浩一郎さん、また食器を買ったのよ。いくら有れば満足するんだろうね」


「俊哉。器の出会いは一期一会だ。その時買わなければ次は無いんだ」


紫苑の器は唐津焼の小鉢だ。地味な色合いだが紫苑は気に入っている。高坂家の食器棚は店が出せるほど豊富である。東洋西洋問わず浩一郎の目に留まったものが綺麗に並べられている。相当なこだわりがある。ある日、紫苑は浩一郎に聞いた事が有る。


「どうしてこんなに食器が多いの?」


「紫苑、それはな、例えば百均の皿と、例えばこれだな、織部焼の皿があったとする。ここにアジの開きを焼いたものを置いたらどちらが見栄えする?」


「こっちのお皿」


「そうだろう、真っ白な味気の無い皿が悪いと言う訳では無い。食事には美味しいものを作るのはもちろん大切な事なんだが盛り付けが大切なんだ。だから俺は食器にこだわる」


紫苑が初めて高坂家に来た時、1番初めに決められたのは部屋ではなく、ご飯茶碗と湯呑、コーヒーカップだった。落ち着いた青の茶碗。スイスのマグカップ。紫苑はそれがお気に入りになった。だから食器を選ぶのが楽しくなると同時に食事も楽しくなった。


「お父さん、お父さんが死んじゃったらこの食器どうするの」


「全部紫苑にあげるよ」


3人の賑やかな食卓は紫苑にとっていつまでも続いて欲しい時間になった。

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