第74話人事異動

三洋商事の人事異動は春のみではない。随時行われるので社員は油断できない。秋のこんな時期でも発表される。総務部の掲示板に張り出された異動書には俊哉と浩一郎の名前は無かった。しかし見知った名前が有った。


「加奈子、営業部異動おめでとう!」


居酒屋で俊哉、涼子、彩はお祝いを加奈子に言った。


「みんな、ありがとう」


加奈子はお通しの枝豆を食べている。


「あら、加奈子、嬉しくないの?」


涼子が言った。


「いや、そうじゃないの。嬉しいんだけど、私、営業部を希望しているの話したのは貴女達だけよ」


「そう言えばそうよね」


「会長が必ず人事異動に介入するとは聞いた事が有るけど」


「なんか私は会長の手のひらで走り回っているみたいなのよ」


「でも庶務課でくすぶっているのも嫌でしょ?」


「それはそうなんだけど」


そうこう話をしていると浩一郎が現れた。


「加奈子さん、営業部へ異動、おめでとう」


「高坂さん、ありがとう」


お祝いの場は盛り上がった。


「加奈子さん、営業部、やりがいある職場だよ」


「高坂さん、本当ですか」


「最初は大きな取引の仕事はさせてもらえないだろうけど、頑張りしだいで上を目指せるよ」


浩一郎が言うと加奈子はビールを飲んで言った。


「生き馬の目を抜く部署だと言われていますが」


「それは仕方が無い。同じ業界でパイの奪い合いだからね」


加奈子さんなら出来るよ、と浩一郎は言った。


「総務部の隣りだから、暇あれば顔を出したら良いじゃない」


俊哉もそう言った。


「まあまあ、今日はみんなのおごりよ。加奈子も美味しいもの食べてやる気を出さないと」


「じゃあホッケの塩焼き」


「あなたお祝いに渋いもの頼むわね」


「ここのホッケは北海道産だから大きいのよ」


ここからは楽しい談笑になった。


「高坂さん、俊哉と同棲するって本当ですか」


「本当だよ」


「もう、俊哉だけ幸せになってけしからん」


「じゃあ、俊哉と高坂さんの同棲祝いに乾杯」


快調に酒を飲む5人。ホッケが運ばれてきた。


「おお、良いサイズのホッケだ」


浩一郎は感心している。


「釣ったら楽しそうだな」


「あ、そうだ、高坂さん、俊哉と釣りに行ったんですよね」


「ええ、行きましたよ」


浩一郎は答えた。


「今度私達も連れて行ってくださいよ」


「良いですよ」


浩一郎は快諾かいだくした。


「あんな魚が俊哉でも釣れるなんて楽しそうですよね」


「でもって何よ、でもって」


俊哉は抗議した。


「釣りは良いものですよ」


その場は大いに盛り上がった。


「もう歩いて帰れない」


したたかに酔った加奈子はタクシーで帰った。


「珍しいよね、加奈子が酔うって」


「うん、珍しい」


4人も解散する事になった。


「はあ、酔った、酔った」


加奈子は自分のマンションに帰って来た。時間は午後の10時だ。


「さあ、まずはあれを処分しないと」


靴を脱いだ加奈子は真っ直ぐ机に向かった。引き出しを開けると封筒があった。退職願と書いてある。加奈子はそれを手に取って引きちぎった、そしてゴミ箱に投げ込んだ。


「満塁サヨナラ逆転ホームランね」


加奈子は酔いが吹き飛んだのを感じた。魂を燃やして営業部で頑張ってやる。必ず営業部のエースに、1番になってやると思うと酔っぱらってはいられない。拳を握りしめ、ガッツポーズを決めた。

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