第42話光の川
彩は慎重に桜井さんとの接点を多く作るように努力した。好意を伝える努力もしてきたが桜井さんとの恋愛は叶わなかった。理由は
「会社の同僚と恋愛関係は作らない」
と言う桜井さんの恋愛に対する姿勢だった。曖昧に断るのではなく、きっぱりと言い切ったのは彼らしい。
「私がトランスジェンダーだからですか」
「いや、それは関係ないんだ。君は素敵だし、僕は女性だと思ってる」
だったらなぜ、と言いかけて彩は言葉に詰まった。桜井さんが悲しい表情をしているからだ。
「もし付き合うとすると僕は新田さんに甘えて駄目になると思うんだ。それに1人の孤独の方が2人の時に感じる孤独より辛くないからね」
これからも部員として仲良くやろう、と桜井さんは言った。
「はい、わかりました。ご迷惑をおかけしました」
彩はその時、それほど悲しくはなかった。それは叶わない恋だったのだけれど、初めて女性として男性に恋ができたからだ。彩は俊哉に電話を掛けた。
「俊哉、フラれたよ」
「告白したの?」
「うん、我慢できなかった」
そして彩は事の詳細を俊哉に伝えた。
「残念だったね。掛ける言葉が見つからないよ」
「うん、でも良いんだ。どこかでこうなるかもしれないと思っていたから」
俊哉も沈黙してしまった。トランスジェンダーの恋愛はノーマルな男性とは難しいと言われている。それは妊娠、出産が出来ないからだ。
「よし、彩、今日飲みに行こう。私がおごるよ」
「うん、ありがとう」
その日彩は残業をしなかった。この日のために仕事は片付けておいた。
「お先に失礼します」
「お疲れ様」
声を掛けてくれるのは桜井さんだけだ。彩は経理部では親しい人は居なかった。
「焼き鳥が食べたい」
彩のリクエストで『こまどり』に決めた。ここは良い店だ。店に入ると開店したばかりか、カウンターも空いていた。2人は壁のハンガーにコートを掛けた。
「彩、飲むペースが速いよ」
焼き鳥が出される前に乾杯したジョッキのビールを飲み干した。彩は4人の中でも1番の酒豪である。
「最初はこれくらいが良い」
その後は普通のペースに戻った。俊哉はホッとしている。見た感じ、ヤケ酒で忘れようと言う事でもないらしい。
「ねえ俊哉。私達って人並みの幸せも掴めないのかな」
「そんな事無いと思うよ。桜井さんとの仲は残念だったけど、次は大丈夫だよ」
「次っていつだろうね。来年?5年後?10年後?」
「それはわからないわ。でも諦めたらそこで終わりよ」
俊哉は精一杯言葉を考えて使っているのが彩にもわかった。
「高坂さんは理解が有って良いわよね」
「彩、それは違うよ。浩一郎さんは相当な変わり者よ」
「え、なんで?」
意外な俊哉の返答に驚いた。
「浩一郎さんはね、惚れた相手が女であろうと男であろうと関係無いの。だから私を受け入れるのも簡単だったのよ。それなりにジェンダーに関しては勉強しているみたいだけど」
「そうなんだ」
世の中は広いな、と彩は思った。でも彩にとっては高坂さんは良い男だ。やはり
「だからさ、彩、悲観しなくて大丈夫だよ。きっと素敵な人と巡り合えるから。彩ならきっと大丈夫」
俊哉のおごりだから酒は控えておこうと彩は思った。こんな他人想いの友人におごらせるのは悪い。結局、断る俊哉を押し切って割り勘にした。店を出た時、
「俊哉、今日はありがとう。嬉しいよ」
「彩、私は彩の力になれたかな?」
「うん、なれたよ。ありがとう」
彩はタクシーで帰った。タクシーの車窓から街灯や店の看板、信号、車のライトがまるで光の川のようだ。彩の頬に涙が流れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます