第32話涼子とストーカーその3

涼子は救急車で運ばれ、俊哉達は警察から事情聴取を受けた。事前に警察へ相談していたので話は早かった。


「やっぱり三洋商事うちの社員か」


犯人は営業部の人間だった。涼子も面識があったと言う。男は容疑を認めていないと言う。


「もう殺人未遂で懲役だろうな」


浩一郎さんの考えがぴったりと合った。ずっと浩一郎さんと涼子が歩いているのを見て更に嫉妬をつのらせたのだろう。襲い掛かるのはここだと予想もしていた。


「俺がストーカーだとして襲うならここだ」


あらかじめ涼子と打ち合わせをして、先に浩一郎が現場に潜んでいた。黒いジャージに黒い靴、街灯も無いこの場所では闇夜に溶け込む事ができる。


(来やがった)


浩一郎は空き地の奥に身をかがめて居る。そうすると男が現れた。急いで来たのだろう、息が荒い。涼子を先回りして襲う魂胆だろう。男が鞄から何かを取り出した。


(刃物だな)


浩一郎は冷静に男を観察した息切れした自分を落ち着かせているようだ。荒い息使いが聞こえる。


(こんな事をしなくても、涼子さんは話を聞いてくれるだろうに)


予定時間ぴったりにコツコツとヒールの音が聞こえて来た。涼子さんだ。


(さあどのタイミングで出るかだ)


浩一郎はすでに動き始めている。男は背後の浩一郎に全く気が付いていない。男が涼子を襲った。


(今だ!)


背後から素早く男の腰に腕を絡ませて後ろへ叩きつけた。男は大人しくなった。男の手からナイフを奪い、地面に押さえつける。男は失神したのか抵抗しなかった。遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来た。そして全ては終わった。


病院で処置を終えた涼子と俊哉達が出会えたのは午前3時だった。


「涼子、大丈夫?」


「うん、ちょっとした切り傷だけよ」


「ナイフで切りつけるなんておかしいね、あの男は」


「俺が出るタイミングが遅かったからだ」


浩一郎は後悔している。


「高坂さん、気にしないでください」


涼子はそう言った。


「斬りつけられなかったら傷害未遂で罪が軽くなります」


「涼子、そこまで考えていたのね」


「まあ勘よ、勘」


浩一郎は


「明日は会社も大騒ぎになるだろうな」


と言った。合流してしばらくした後、それぞれタクシーで帰った。浩一郎の言う通り、会社では大騒ぎになっていた。総務部も例外ではない。犯人を取り押さえた浩一郎は会長室へ向かった。涼子も何事も無いかのように秘書課のデスクに座っている。


「入ります」


大きな声で浩一郎は入室した。会長は椅子に座っている。


「君が秘書課の大崎君を助けてくれたんだね」


涼子の姓は大崎と言う。


「今回の事件はもはや会社では手に負えない。犯人は懲戒免職だ」


「営業部はどうなっていますか」


「表面上は落ち着いてはいるが、内心は冷や汗をかいているだろうね」


犯人は営業課でも成績は悪く、あまり素行は良くなかったらしい。


「いやはや秘書課は我社の重要な部署だ。大崎君は優秀な人材である」


会長は静かに言った。


「高坂君、ありがとう」


会長が椅子から立って礼を言った。業界屈指の人物が一介の主任に頭を下げたのだ。


「会長、そこまでなさらなくても」


「私にとって人は宝なんだよ。それを礼もせずに君を返すのは私の信念に反する」


穏やかそうに見える会長の真意を汲み取り、浩一郎は退室した。会長室から出て来た浩一郎へ涼子は駆け寄って来た。


「今回の件はお世話になりました」


「なに、大事に至らなくて良かったよ」


静かに涼子は言った。


「俊哉が羨ましい。こんな人に愛されて」


秘書課の人間が注目している。浩一郎は慌てた。


「まあまあ、積もる話は今度しよう」


そう言って浩一郎は秘書課を後にした。


「涼子さんのあの言葉、どういう意味だったのだろう?」


肝心な所は案外にぶい浩一郎だった。

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