第四話 心の交差点


 都会の喧騒に紛れ、心の奥底から独り言が漏れ出る。周りは無関心だ。それが都会の掟だった。


「わたし、なんで東京に来たんだろう」


 新宿の雑踏を横目にして、人波をかき分けながらオフィスに足を踏み入れると、そんな日常から一変し、編集長から意外な仕事を任された。

 

「ゆり子、これは君にぴったりの仕事だよ。君の感性が光るはずさ」


 私は彼の言葉に驚きのあまり目を疑った。手渡された原稿用紙には、私がかつて文学館で借りた本、「小樽からの手紙」の続編が記されていた。

 その物語は、私の故郷である小樽と余市を舞台にしていた。映画化の噂もあるその物語を編集することになり、故郷への想いが新たに湧き上がった。


 著者の名前、小早川敦は、父の知人の名前だった。思わぬ出会いに心が躍り、母に連絡すると、彼女は喜びに満ちた声で小樽への帰省を尋ねてきた。


 しかし、私は今、新しい物語と仕事に心を奪われてしまった。一方では、恋人からのプロポーズを待ち続けていた。母から独身を心配され、お見合いを勧められても、私の関心は別のところにあった。



 私の恋人の亮太は、自分より七歳年上の余市出身だった。私たちは近くで生まれ育ち運命的な再会を経験して、赤い糸で結ばれていた。彼は仕事ができるだけでなく、女性に優しくてイケメンだった。


 私は会議の合間に、亮太に向かってこっそりと目配せをした。彼はそれに気づいたのか微笑みを返してくれた。

 亮太は喫茶店の名前が入るライターを見せてきた。それは「いつもの店で待っていてくれ」という私たちだけの秘密の合図だった。会議中に亮太と目が合うたびに、私の胸は高鳴った。


 しかし、会議が終わった直後、陽葵ひなたが私に声をかけてきた。彼女は元アイドルで、私の後輩。女優を目指して私と一緒に上京したあの女の子だった。今は私の手助けにより、同じ出版社の広報で働いている。彼女ぐらい美人なら、役に立つと編集長に頼んで採用してもらっていた。


「葉月さん、今夜相談があるんだけど……」


 今夜に限って彼女は畏まって話してきた。ハンカチを握りしめて、泣きそうな顔をしていた。


 失恋でもしたのだろうか……。そんな彼女の姿を見て、亮太には「急用で会えなくなったよ。ごめんなさい」とLINEした。


 陽葵は恋愛映画のクライマックスで、監督から突然の無理難題に直面した。裸の濡れ場を拒否したことから、芸能界から干されたという。せっかく女優になれるチャンスだったが、我慢できなかったらしい。


「私、なんで東京なんかに来ちゃったんだろう。あのまま故郷でアイドルをしていれば良かったのに……」


 彼女は口ぐせのように、そう言っていた。でも、一方で故郷では、夢破れたアイドルに見られて、結婚した友達にもついていけないとぼやいていた。私には恩義を感じたのか、いつも包み隠さず話してくれた。


 ゆっくりと話したくなり、彼女を顔見知りのバーに誘った。


 ところが、そこで陽葵が口にした意外な言葉に、私は驚かされるのだった。

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