第三話 魔界の巣窟


 人生は一度きりで、この瞬間にも時は刻まれている。いつまでも、迷い続けることは許されなかった。


 美しい故郷を背にして、私は都会での新たな生活を選んだ。大学を卒業し、希望を胸に東京行きの飛行機に乗り込んだ。隣には一緒に夢を目指す、幼なじみで三歳年下の陽葵ひなたが寄り添っていた。


「ひなちゃん、坂道グループに入るの?」


「葉月さん。いいえ、私の夢は女優になりたいんです」


 陽葵は、小樽でのアイドル活動を経て、芸能界にデビューを夢見る少女だ。彼女は私にとって、愛らしい妹のような存在だった。



 *


 東京での新たな章を開いてから六年、季節は巡り、私は小樽の文学少女から都会の洗練された女性へと成長した。27歳になり、マスコミ業界でのキャリアを築き、新宿の出版社で編集アシスタントとして働いている。


 夢は自分の本を出版することであり、職場の上司との恋も芽生え、結婚への願いを抱いている。この変化の旅路は、私の心に深い印象を残し、新しい未来への希望を育んでいる。 


 一緒に上京した陽葵のことは、片時も忘れていない。彼女の可愛らしいグラビアを観るたび、彼女の活躍に心を奪われる。けれど、いつ芸能界の闇に襲われるかと、彼女の行く末も心配となっている。


 新宿は刺激と危険が混在する、24時間眠らない街だ。夜明けまでネオンが煌めく雑居ビルの中に、私の職場がある。お金さえあれば、何でも手に入るこの街で、私は毎日働いている。同じフロアーには、マンガ喫茶やBAR、カラオケ、風俗店、ブランド品の買取店など、さまざまな店が入っている。


 しかし、陽葵と同じ年ごろの女の子が金髪のホストに寄り添って歩くのを見て驚く。今夜も、ひとりで残業中だった私の耳に、突然の悲鳴が響いた。


「殺さないで……助けて!」という声の後、非常階段から転がり落ちる音がした。その声の主は、新聞で話題となる「トー横界隈」にたむろする家出少女かもしれない。麻薬の売人に殺されたのだろうか。パトカーのサイレンが鳴り響き、赤いライトが点滅する中、背後に男の影が忍び寄ってきた。


「ゆり子、大丈夫か」


「野々村さん、脅かさないでよ」


 私は心臓が止まる思いがした。それは、小樽の文学館で初めて出会った野々村が常に私のそばにいてくれる安心感だ。東京にやって来て、本の栞が運命の糸を手繰り寄せるように彼と再会して、同じ出版社で働いていた。

 今では私の上司の副編集長であり、恋焦がれる存在だった。彼は大人の男性に成長し、私の心を揺さぶる存在となった。


 私の職場から公園通りを歩くと、立ちんぼの女性たちがいる。彼女たちはこの街で何を探しているのだろう。恋人や仕事やお金、それとも自分自身だろうか。


 都会では、みんなが自分を見失うことを恐れながら、精一杯生きている。寂しくて不安で心が痛むけれど、都会の喧騒と慌ただしい時間にかき消されていく。


 今日も満員電車で日常が始まり、終わりを告げる。働き方や生き方が多様化していると叫ばれる現代社会。私はそこで生きている。

 この先、私と陽葵ひなたは自分たちの夢や希望を叶えられるだろうか……。そんなことを呟きながら、魔界の巣窟とも言える新宿の摩天楼に魅入られていた。

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