檸檬爆弾 着火・壱
研究所内に戻ると、誰もいないはずの事務室から声が聞こえる。
「いいですか、相手は政府、魔力省官僚ですよ。喧嘩売られても買っちゃいけませんよ。」
佐藤が蓬莱さんを説教しているようだ。魔力省官僚の喧嘩を買ってしまったのだ。怒られるに決まっている。とりあえず、ドアを開けて中に入った。
「あっ、五十嵐博士…、どうでしたか丸く収まりましたか?」
「ああ、大丈夫だ。それより…、蓬莱さんは私を庇ってくれたんだ。何も言い返せない情け無い私を……。私も含めて許してくれないか。」
佐藤に頭を下げた。私に全面的に非がある事を二人に理解してほしい。
「分かりました。今回はおとがめ無しと言うことで。蓬莱さんは業務に戻ってください。それで、博士はどうやって小野さんと和解したんですか?詳しく聞かせてくださいよ。」
そうして蓬莱さんは業務に戻り、佐藤に和解の経緯を話した。
「つまり、五十嵐博士が実験を行う…。もう大丈夫なんですか……。実験も研究もしたくないと言っていたじゃないですか。無理なら無理と言えば……。」
佐藤が心配してくれている。所長をやめて、実験も研究もやめて、四年。もう一度立ち上がろうなんて、誰も予想できないだろう。
「覚悟が決まったんだ。それにもういい加減前に進みたいと思ったんだ。」
休憩は十分した。この罪悪感と向き合う覚悟もある。後は重い一歩を踏み出すだけだ。
「それじゃあ、心配無用と言う事でよろしいですね。あの頃のように、一緒に研究できるんですね。」
佐藤の顔が明るくなった。久しぶりに私はこの顔を見たかったのかもしれない。
それから約一年やっとレモンが実った。形はレモンだが、色は温州みかんのようなオレンジ色だ。 葉の色の変異も相まって異質さが増している。
「もうそろそろ魔力省の方が来るそうです。」
レモンを観察していると、いつの間にか佐藤が隣にいた。少し動揺してしまった。
「ああ、分かった。」
魔力省は果実のサンプルも必要だと言っていた。幸いそこそこの量がなっており、実験用も十分にある。
「それにしても、通常のレモンとはほど遠いですね。」
「魔力省によれば、病気とか生理障害の類いでも無いから、変異らしいが……。」
全体像の毒々しさが恐怖心を駆りたてる。何度見ても不気味だ。
「こんにちは、魔力省から参りました、杉田と申します。」
後方から突然、声がした。振り返ると政府官僚のバッジをした女性がかしこまっている。小野とは真逆な雰囲気だ。右手には銀色のアタッシュケースを下げている。
「こんにちは、お待ちしていました。」
佐藤が丁寧な返事をした。相変わらずの爽やかな若者だ。
「それで、今回は果実のサンプル採取との事ですね。」
「熟したものを無作為に選ばせて頂きます。」
「なるほど…、数としてはいくつぐらいですか?」
「出来れば十個、最低五個を採取したいと考えています。」
佐藤が淡々と話しを進めていく。
「教授、十個でも大丈夫ですよね。」
「ああ、大丈夫だ。思ったよりも多めに実ってくれたから。」
それにしても不思議だ。根の損傷は激しく弱っていたにも関わらず、想定よりも多く実った。
「それでは、取らせて頂きます。」
そう言うと杉田さんは熟した実を無作為に選び、アタッシュケースへ次々に入れた。
「ご協力感謝申し上げます。改めて五十嵐博士、実験の方よろしくお願いします。」
再びこちらにかしこまって、一礼してきた。
「こちらこそ、任せください。」
「それでは、私はこれにて。」
杉田さんはそう言うと少し急いで研究所を後にした。私もやるべき事をやろうと意気込んだ。
いよいよ実験が始まる。私の手で、私の意思で行う。あの罪悪感は未だに心に住み着いている。それでも、もう立ち止まらないと決めたのだ。
実験室に久しぶりに入った。何もかもが懐かしくも感じる。げっ歯類特有の臭いも強く感じた。そして、一人の研究員が黙々と準備をしている。
「こんな感じだったな…。」
実験室資料を再度確認した。前の実験規格とあまり変わっていない。決められたマウスの飼育環境、毎日の魔力量の測定、そして変異したレモンを決まった量を与える。
「マウスの健康状態、飼育環境、供に問題ありません。いつでも実験できます。」
資料を見ていると研究員が声をかけてきた。今年入ってきた新人の研究員のようだ。若干緊張しているのか、瞬きの回数が多い。
「ありがとう、そんなに緊張する必要は無いから。」
「はい…。」
どこか自信のなさそうな返事だ。私の助手になりたての頃の佐藤の姿と重なる。
「本当に懐かしいな…。」
「あの……、五十嵐博士ですよね…?」
懐かしんでいると、思わぬ質問をされた。確かにここ数年研究者としての活動をしていなかった。顔を知られてないのは、仕方ないと思った。
「五十嵐良介、魔力研究者、博士の称号を捨てきれず、また研究を始めた人間、と言ったところかな…。」
「なるほど……?」
あまりピントきていない返事のようだ。
「まあ、取りあえず始めようか。」
「はい。」
レモンを与える前にマウスの魔力を測定する。魔力測定器にマウスを乗せ、測定器の画面に数字が表示される。
「この数字を用紙に記入してと…。この測定をあと九匹頼めるかな?」
「はい。分かりました。」
魔力測定を任せ、私はオレンジ色のレモンを手に持った。皮を剥くために包丁を入れた。普通のレモンの皮より柔いような気がする。そして、レモンと言うより温州みかんに近い色の果肉が見えた。本当にレモンなのかと疑う。でも、植物の分類に何の知識も無い私が考えても仕方ないと思った。深くは考えないことにした。
レモンの果肉を計量器に乗せグラム数を計る。そして、適正量をマウスに与える。
「終わりました。」
「ありがとう。こちらも、もうすぐ終わるから。」
手元を見ながら返事をした。
「あの……、えっと…。」
視界の端で新人研究員がもじもじしている。何か言いにくい事でもあるのだろうか。
「思ったことは、言ってもらって構わないよ。」
「地味な……実験なんですね…。」
思わず笑ってしまった。新人研究員が少し不思議そうに私の顔を見ている。
「君の発言を笑ったわけじゃないんだ。ただ、時代の波に取り残されつつある自分に笑ったんだ……。君の言うとおり、この実験は約五年前に散々行われた、食物摂取による魔力上昇率の計測の実験と同じ手法だ。だが、一概に古い手法とは言い切れず、この方法の信憑性は高いと評価されている。」
「すいません…、知識不足で…。」
「いいんだ、気にしなくて。実際、今の魔法威力調節実験とかの方が派手だし。まあ…、その分危険が伴う実験だから、私はやりたくないけど。」
近年の実験は規模が大きく、事故等の危険が伴うようになった。魔法と科学の融合と言って、各国独自に研究を進めている。どうせ、核兵器に並ぶ武器や装備を作ろうとしているのだろう。魔力や魔法、これらが発見された当初から言われていた事だ。戦争の道具になると。それ故、私はこれらの実験には関わりたくない。
「まあどちらにせよ、どの用な実験をしたいかは君が決めることだ。少なくともこの実験は政府の依頼してきた実験でね、結果によっては報酬も増える。研究所運営の事も頭に入れて、利益が出るような実験でなければいけない。」
「そうなんですね…。」
苦笑いの混じった顔で返事をされた。いきなり小難しい経営の話しをしたからだろう。
「まあ、取りあえず明日も頼んだよ。一ヶ月くらいこんな感じでやるから。」
「はい…。」
相変わらず自信がなさげな感じだ。まあ、最初は誰でもこんなふうに緊張していたりで会話も進まないだろう。実験期間は一ヶ月、この間に慣れてくれたら問題ない。
そして、実験期間一ヶ月はあっという間に進んだ。この実験期間、佐藤も定期的にこちらの状況を見に来てくれた。実験期間終盤になってくると、新人研究員との会話も弾むようになった。一言で言えば「楽しかった」、「あの頃に戻ったようだ」、という感想だ。青春の延長線のような、充実した日々だった。でも、今日は実験最終日。一区切り付けなければならない。
「一ヶ月間、ありがとう。君と実験が出来て楽しかったよ。」
「いえ、こちらこそ五十嵐博士と実験出来て、大変勉強になりました。ありがとうございました。」
新人研究員はかしこまって、お礼を述べた。
「そうか、勉強になったのか……。初心を忘れずに今後とも頼んだよ。」
「はい!」
元気な声で返事が返ってきた。最初とは対称的な印象だ。
「それじゃあ、報告書提出を期限内にお願いするよ。私は実験データをまとめてるから、何か分からない事があったら、その都度聞きに来てくれ。」
そう言い残して、実験室を後にした。私も政府提出用の実験データを簡潔にまとめなければいけない。
パソコンの電源を入れて、データを入力する。コンピューターが並んだ部屋でタイピング音が響いた。
「この実験は政府のために行った……。貧富の差をどうにかしたいだとか……。」
ぼそぼそと今の心情が言葉に出る。
「政府の言いなり………、政府の駒同然の私が何を今更気にしているんだ……。」
そんなことを考えながら指を動かしていると、いつの間にかデータをまとめ終えていた。
「研究所存続のためだ……。」
後日政府にデータを提出した。その数日後、魔力省の小野が訪ねてきた。
「いやはや、実験お疲れ様でした。おかげで日本の経済も潤うでしょう。」
客室で機嫌の良さそうな声が広がる。
「魔力上昇率は他の品種と比べて良かったと言うことでしょうか?」
「はい、良かったも何も、他の品種と比べてもずば抜けて高いと言う評価です。」
まさかだ、政府の期待に応えてしまった。また、貧富の差を大きくしてしまう。今の感情が顔に出ないように、唇を噛む。
「しかし、今後魔力上昇率の実験は霊長類でも行うと言った流れになりつつあります。こちらの研究所にそのような設備はありますか?あるのであれば依頼したいのですが。」
「申し訳ありませんが、霊長類を管理する設備はないので…。」
感情を抑えて、それとなく答えた。
「そうですか……、それではまたの機会にと言うことで。」
小野はそう言うと立ち上がって、ドアの方を向いた。
「そうでした、言い忘れるところでした。」
小野がこちらに向き直した。
「契約書通り、あのレモンは政府主体で扱うことになりました。もちろん、培養してクローンは作成済みです。近いうちに国内外に果実を売り出すつもりです。利益の発生状況によって報酬も変動するので、周知しておいてください。それでは失礼します。」
小野はそう言って帰っていった。客室が静まり返る。しばらく天井を眺めた。罪悪感が頬をつたった。
「今更だろうに……。」
後悔も絶望もしても意味が無いと悟ったはずだ。それなのに、心の底から湧き出るこの苦い感情は何なのだろうか。もう深いことは考えないと決めたはずだった。
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