檸檬爆弾 火種

 日本政府がまとめた論文は瞬く間にこの世界に知れ渡った。もちろん研究資金増額の話しは無くなった。それと同時に、柑橘類の需要が高まり価格が高騰した。特にレモンは高額取引されるようになった。


「これが私のしたかった研究なのか?」


 自問自答をする。国々はこぞって柑橘類を農業従事者から安く巻き上げ、国益を優先した。国益は上級国民に還元され、貧富の差が大きく開いた。


「違う…。私のやりたかった事じゃない…。こんな世界望んでない!弱者を搾取し続けるこんな資本主義なんて………爆破してしまえばいいのに…。」


 乾燥した唇を噛み締める。鉄の味が口の中に広がった。ベランダから見える星々の光が憎たらしい。後悔と罪悪感が膨れ上がった。


「私が原因だ…。」 



 それから、数日考えに考えた。この罪を償う方法……違う、罪悪感から逃げる方法だ。少しでも楽になりたい、これが本音だ。楽な方に逃げよう。




「私は本日をもって魔力研究所所長を引退する。今後はこの研究所の資金のやり繰りに専念したいと考えてる。」


 集会室がざわめき、皆の動揺が伝わってくる。


「何言ってるんですか…。何故ですか!」


 佐藤が大声を上げ、ざわめきが静まる。


「私はもう疲れたんだ…。後は佐藤に任せる。とっくの昔に博士の称号を持ってるのに、ためらう必要はないよ。」


 佐藤をなだめるように優しく、疲れたような声で言った。それでも佐藤は歯を食いしばって何か言いたげだ。


「佐藤は優しいな…。言いたいことがあるならためらわず言ってくれ。」


「私は…、僕は五十嵐博士の背中を見てここまで来たんです。だから五十嵐博士がまだ疲れてない事ぐらい分かります…。まだ研究出来るはずです。まだ僕たちを導けるはずです!まだ…まだ……。」


 佐藤の瞳から大粒の涙が流れている。


「すまない…それはもう出来ない。」


 「ごめん」、心の中で繰り返した。この罪悪感を拭うために佐藤の想いを踏みにじった。


 この集会が終わった後、多くの研究員に言われた。「貧富の差が広がったのは政府のせいです。博士が気を病むことはありません。」 そうかもしれない。でもそれに加担したのは事実だ。なにより、この罪悪感を背負って研究を続けられるほどの頑丈なメンタルは持っていない。




 そして私は事務室に入り浸るようになった。元々研究の合間に事務の仕事をしていたので、この研究所の資金の使い方を考えるいい機会だと思った。


「やっぱり、相変わらずギリギリだな…。」


 パソコンと向き合いながらぶつぶつと呟いた。


「五十嵐さん。」


 いつも事務の仕事をしてくれている田中さんに呼ばれた。


「どうかしましたか?」


「政府の魔力省の方がお見えです。」


「魔力省の官僚、小野 和正と申します。五十嵐博士とお話しがしたく参りました。よろしいでしょうか?」


 黒のスーツに政府官僚のバッジを身につけている男が現れた。相変わらず胡散臭い空気をまとっている。


「半年前以来でしたか?」


「はい、そうですね。博士が全く講演会等の活動をしていなかったので、注意勧告をして以来ですね。今日は別件ですが。」


「その節はどうも。」


 別件と聞いて少しほっとした。前と同じように客室で話しをすることになった。


「それで、別件と言うのは?」


「この研究所の敷地内に柑橘類を栽培していますね。」


 緊張が走る。あの木を取られては主な実験が出来なくなってしまう。佐藤がしている実験の妨げになってしまうかもしれない。つばを飲み込み返事をする。


「はい…。」


「それでは、実験用以外の果実は政府が良い値で買い取らせて頂けないかという申し出です。」


「なるほど…。」


 確かに必要以上に採れていて、余っていると言えば余っている。資金のやり繰りはギリギリ、悪い話しではない。


「どうでしょうか?買い取り金額はその時の市場の値段で買い取らせていただきます。」


 農業従事者は安く買い取られ、我々は良い値で買い取られる。こんなことがあっていいのだろうか。どうすれば良いか分からない。心臓の鼓動が少し速まる。


「悩んでいますね。でも支援金増額の話しがなくなって多くの研究所が潰れた話しはご存じで?」


 小野はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。そして、話しを続けた。


「この研究所もさぞギリギリでしょうね。今の所長は佐藤往生博士ですよね。あなたが育てた優秀な研究者。あなたは彼を見捨てるほど白状ではないでしょう。」


「分かりました…。売ります…。」


「それでは契約書にサインを。」


 契約書を一通り読んで、サインを書こうとする。ペンを持った手が震える。これは、研究所の存続のためだと自分に言い聞かせる。


「承諾ありがとうございます。」


 小野が妙に声のトーンを上げて、より口角を上げて笑みを浮かべている。


「それではまた近いうちに。」


 そう言うと小野は軽い足取りで出て行った。



 その日から罪悪感がより一層膨らんだ。苦しい、辛い、そんな本音を飲み込んで表に出さず今までどおり回りに接した。その都度、心が磨り減る。


 そんな地獄を味わっていたある日、私の中で何かが壊れた。その日を境に諦めが表に出るようになった。


「全てがどうでもいい…。」


 これが壊れかけた私の心の答えだ。全ての物事を成り行きで任せる。適当で怠惰な生き方を選んだ。



 そんなある日、研究所に窃盗の被害が出た。狙われたのは果樹その物だ。根こそぎ掘られ、十本の内、四本が盗まれ、一本が根に大きな損傷が見られた。警察も動いたが結局捜査は打ち切り。


「この根に損傷があるのは…?」


 蓬莱さんにぼそぼそと呟くように聞いた。


「レモンです。」


 葉は赤茶色に変色し縁が波うっている。今にも枯れそうだ。


「もうだめだな。」


「いえ、変色しても成長点は成長し続けているので、枯れてはいないと思いますが……これがどういう状態なのか自分には分かりません。」


 素人の目には枯れているようにしか見えない。


「とりあえず魔力省に連絡します。」


 程なくして魔力省の小野がやって来た。


「五十嵐博士この度は大変でしたでしょう。警察の捜査もむなしく。」


 ねぎらいのこもっていない小手先の言葉を並べている。


「なんか、嫌な人ですね…。」


 蓬莱さんがぼそぼそと耳打ちしてきた。確かに言いたいことは分かる。


「おや、その方は?」


「果樹の管理をしてくれている、蓬莱さんです。」


 小野は蓬莱さんの方を見て、少し考えた後話し始めた。


「なるほど…、あなたの言い分が正しければ、私はこのレモンの木の成長点のサンプルを持ち帰れとの、上からの命令でして……、よろしいでしょうか?」


 小野はちらりと私の方を見て、こちらの様子をうかがっている。


「要するにこの木全体が変異している可能性があり、培養実験を政府主体で行うと言いたいんですか。」


「さすが五十嵐教授ですね、何もかもお見通しと言ったところですね。今、日本政府はレモンの品種改良に力を注いでいまして、前回の政府主体の実験では、ほとんど利益が出ず、切羽詰まった状況なんですよ。もちろん、協力して頂ければ、お礼も弾みますよ。」


 ペラペラとよく喋る男だ。胡散臭さが以前よりも増している。


「信用していいんですかね?」


 蓬莱さんがまた耳打ちしてきた。そこそこお人好しの蓬莱さんに警戒されている。胡散臭さは全面に出ているが、政府の官僚であるので嘘は言っていないはずだ。


「どうせ契約書を用意しているんでしょう。」


「それでは、よくお読みください。」

 

 待ってましたと言わんばかりに、クリアファイルに入った契約書を渡してきた。相変わらずニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。


 契約書を読んだ後、以前と同じようにサインをした。 


「お解り頂いて感謝申し上げます。あと、もう一つだけお願いを聞いてもらえないでしょうか?」


「内容による。回りくどい言い方はもういいから、さっさと要件を簡潔に。」


「それではお言葉に甘えて、この木にレモンが実った時、以前のようにマウスの魔力量上昇率の実験を行ってほしいのです。五十嵐博士にやってもらいたいのです。」


「私はもう引退したと発表しましたが…。」


 わざわざ指名してくる意味が分からない。それに、実験はもうしないと決めている。


「あなたは日本政府がまとめたマウスの魔力量上昇率の論文の協力者の一人。そんな人が実験に関わっているだけで、評価が上がるんですよ。」


 要するにこのレモンが、今までの品種よりも魔力増加量が高かった場合、その実験結果を発表する。その時に私の名前を使って信憑性を高める。どうしても政府は今回の品種改良で利益を上げたいようだ。農業従事者から安く柑橘類を巻き上げて、ある程度利益は出ているはずなのにまだ足りないと、欲深く金を求める。正直あきれた。


「そんな実験誰でも出来るでしょう。それに、利益が上がったとしても一部の人にしかその恩恵は届かないじゃないですか。」


 苦笑しながら適当な返事をした。もう、実験も研究もどうでもいい。どうせまた国にとって都合の良い政策しかしない。我々研究者もそのための駒の一つにすぎない。


「なるほど…、確かにその可能性は否定できませんね。でもこの研究所はその恩恵を受け取ってますよね。」


 前の契約書をサインしたときの事を思い出した。もっともな事を言われ反論出来ない。小野の粘着質な笑みがあの時味わった罪悪感を蘇らせる。


「まあとにかく、私もあなたも搾取する側なのですよ。」


 歯を食いしばった。そうだ、その通りだ、私は搾取される人間を助けたいとほざいたが、所詮搾取する側なのだ。


「お前!五十嵐さんはそんな人じゃない!元凶はお前ら政府だろ!」


 蓬莱さんが怒号を上げ、小野の胸ぐらをつかんだ。普段穏やかな蓬莱さんがここまで感情的になっているのは初めて見た。


「落ち着いて、私は気にしていないから。」


 どうなだめたら良いか分からない。体格の良い蓬莱さんの手が小野の胸ぐらを離さない。それでも小野はニヤニヤと笑い続けている。


 騒ぎを聞きつけたのか、佐藤が急いで外に出てきた。大きめの白衣がバタバタと音を立てている。


「何やってるんですか!蓬莱さん離してください。」


 佐藤は少し焦りながら、蓬莱さんの肉付きの良い腕をつかむ。蓬莱さんはばつが悪そうに手を離した。


「小野さん本当に申し訳ありません。」


 佐藤が頭を下げた。


「いえいえ、私は気にしていませんから。」


 スーツを整えながら、余裕の表情を見せた。


「蓬莱さん連れて行くんで、後お願いします。」


 佐藤が私にも頭を下げた。そして蓬莱さんの腕をつかんで、連れて行った。


「随分慕われているのですね。だから、私はあなたに実験をお願いするのです。」


「だからと言うと…?」


「研究員だけで無く、その他職員にまで慕われている博士なんて世の中探しても中々いませんよ。そんな誠実なあなたにお願いしたいと言っているんですよ。」


 罪悪感から逃げた私の事を誠実だと言っている。どうせおだてたいだけだろう。


「おだて上手なんですね。でも、ここで断ったら…、もっと卑怯な手段をとるんでしょう。」


 断った場合、恐らく先ほどの騒動を理由に研究所を潰しに来るだろう。


「良く分かっていますね。では、改めてお願い聞いて頂けませんか?」


「実験依頼引き受けます。」


 この罪悪感と向き合えと言う運命なのだろう。覚悟を決めるしかない。


「ありがとうございます。」


 小野はより一層ニヤニヤしていて、気持ち悪い。あの時と同じだ。

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