ゆっくり休みたい


 明かりが減ってきた。世間はもう眠りについているのだろう。親子で並んで寝ているのだろう。好きな人と添い寝しているのだろう。

 幸せな景色を思い描けば描くほど、気持ちが沈んでいく。


 剛史は電車の揺れに身体が持っていかれそうになり手摺をギュッと握ると、扉横の壁にもたれ項垂れた。


『俺ってどうしようもない奴なんだよな』


 ダメだ、ダメだ。こんなんじゃダメだ。

 自分が悪いんじゃない。大丈夫だ。もっと前向きになれ。そうは言ってもな。

 せめて休みはのんびりしたい。昼間まで寝て、どこかに遊びに出掛ける。そこで思わぬ出会いなんかがあったりして。

 あくびをして床をみつめた。

 すべては妄想だ。ありえない現実だ。休みがなければそんな出会いは夢のまた夢。


 前回の休みはいつだったのだろう。それくらい休みがない。何連勤しているのだろう。

 明日も出勤だなんて考えるだけで嫌になる。同じこと考えたってしかたがないのに、気づけば同じことばかり考えてしまう。

 どう考えたって普通じゃない。給料が良ければ少しは我慢もできるかもしれないが。いや、それはどうだろう。

 自然と息が漏れていく。何回目の溜め息だろう。落ちた溜め息を拾わないと幸運が逃げて行ってしまいそうだ。


『待て、俺のしあわせ』


 んっ、あんなところに空き缶が転がっている。

 電車の床を転がる空き缶の如く、自分の幸せが遠ざかっていく。というか、空き缶置いていった奴は誰だ。マナーのなっていない奴だ。

 そんなこと今はどうだっていい。他人のこと考える余裕なんかない。


 ああ、どうしたらこの負のスパイラルから抜け出せるんだろう。

 金か。金があれば。

 違う。金があったとしても自由に使える時間がなきゃ意味がない。

 辞めたい。もっといい会社はあるはず。


 ダメだ。頑張れ。やっと決まった仕事だろう。辞めたところでダメダメな自分を雇ってくれるところはない。同じことを繰り返すだけだ。


『ああ、もう。くそっ、くそっ、くそったれ』


 自分自身に嫌気が差してくる。

 自分はこのままでいいのか。よく考えろ。こうなったのも自分のせいだ。悪いのは自分だ。本当にそうなのか。悪いのは会社じゃないのか。

 ブラック企業だろう。違うのか。

 詐欺会社かもしれないぞ。会社に騙されているかもしれないぞ。給料について、勤務状況について最初に聞いた話と違っていないか。

 覚えていない。ダメダメだ。大事なことだろう。それくらい覚えておけ。


 ついていない。違う。やっぱり、すべては自分のせいだ。すべてが被害妄想だ。そうなのか。ああ、もう。どうにも考えがまとまらない。

 ハローワークでみつけた仕事だぞ。きちんとした会社のはずだ。詐欺でなんか……。


 大きく息を吐き、明かりの減った夜の景色をぼんやりみつめた。ハローワークでみつけたからといって、すべてを信用していいとは言えない。たぶん。

 本当にどうしようか。

 辞めるのか。続けるのか。死ぬのか。


 馬鹿、馬鹿。頑張れ。続けろ。死ぬなんて考えるな。

 きっと努力は実る。上司がよくやったと言ってくれるようにもっとスキルを上げろ。

 いや、けど。

 そもそも営業は自分には向かない。そういう問題か。違うだろう。事務仕事もしているが、そっちもダメダメだ。違う。そんなはずは。ないといえない自分がここにいる。

 眉間みけんしわを寄せた上司の顔が脳裏を過る。


『おまえの営業成績が悪いから残業になるんだ』


 そうなんだろうか。確かに営業成績は最悪だ。間違っているのは自分のほうなのか。

 違うだろう。休みをくれない会社も悪いだろう。疲れた身体では効率も悪くなる。そうだよな。違うのか。

 頭を抱え、髪の毛をグシャグシャにする。


 こんなに働いているっていうのに。そうだ、残業代だって貰えていない。どうなっている。この会社はやっぱり……。

 再び、睨みつけるような顔の上司の言葉が頭に浮かぶ。


『おまえの仕事が遅いから、ダメなんだ』

『事前に残業の承認を求めなかっただろう』

『契約したとき、固定残業代の話をしただろう。忘れたのか』


 どういうことだ。そんな話あったか。きちんと話を聞いていなかったのか。

 やっぱり自分がいけないのか。

 剛史は窓に映る自分の乱れた髪を見遣り、項垂れた。

 ああ、おもりを背負ってでもいるように身体が重い。本当に何か背負っていたりして。おいおい、やめろ。ブルッと身体を震わせて外の景色へ目を向ける。


 あれ、あんなところに神社が見える。ドクンと心臓が跳ね上がり、思わず手を合わせた。

 んっ、神社はどこだ。幻でも見ていたのか。そうだ、そうに決まっている。こんな時間に明かりが灯っているはずがない。

 そもそも、あの辺に神社はない。そのはずだ。どうやら思っている以上に疲れているようだ。幻覚を見るなんて。


 最寄り駅の到着を伝えるアナウンスがかかり、ハッとする。

 反対側の扉が開き、急ぎホームへ降り立った。

 危ない、危ない。乗り過ごしていたら最悪だった。とにかく早く帰ろう。こんなところに突っ立っていたってしょうがない。上りの階段を見上げて、肩を落とす。

 明日、ズル休みしてしまおうか。


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