二番みくじ『春の日差しに悪運開く』

俺はダメ人間なのか


 身体が重い。眠くてだるい。

 河野剛史こうのつよしは最終電車に揺られながら扉横の手摺てすりに寄りかかり、溜め息を漏らす。


 月でも見られれば少しは気も紛れただろうに。空は雲で覆われている。暗い空なんて見たくない。何もかも嫌だ。いっそのこと死んでしまおうか。いいかもしれない。

 いいのか。いいわけがないだろう。何を考えているんだ。病んでいるな。

 曇天空を眺め、もう一度溜め息を漏らす。雨、降ってくるかな。嫌だな、雨。降るなら、家に着いてからにしてほしい。


「はぁ」

『俺の人生ってなんなんだろう』


 あれ、なんだか目がおかしい。ちょっと痛む。ドライアイにでもなったか。ただの疲れ目だろうか。目を閉じ眉間みけんを指で押してみるが、効果があるのかわからない。どこもかしこもボロボロだ。


 いったい自分は何をしているんだろうか。何のために働いているんだろうか。そりゃ生活のためだろう。わかっている。けど、今の状況を考えると。辞めたい。そうさ、辞めれば死ぬなんて考えることもない。

 そうだろうか。


「はぁ」


 ダメだ、ダメだ。このままじゃ病気になりそうだ。いや、すでに病気になっている。そんな気がする。とにかく早く帰って眠りたい。

 暗い空なんて見るな。明るいほうを見ろ。ほら、町はあんなにもきらびやかじゃないか。元気を出せ。ダメだ。逆効果だ。心がえる。なんでだろう。自分には明るすぎるのだろうか。


 小さく息を吐き、闇夜の空へと目を移す。自分にはあの空が似合っているのだろうか。

 どうしてこうも仕事がうまくいかない。転職なんてするべきじゃなかったのか。そうかもしれない。そんなこと考えても今更遅い。


 本当に自分は何をしているんだろう。

 プログラマーとかシステムエンジニアになりたかったんじゃないのか。それで転職したんじゃないのか。

 そうだ。そうなんだけど。

 なぜか、OA機器、通信機器の営業をすることになってしまった。


 なぜかじゃない。わかっているだろう。プログラマーにもシステムエンジニアにもなれない。知識不足だ。実績も実力もない。足手纏あしでまといになるだけだ。

 前職の警備員だって勤まっていたかどうか疑問だ。そもそもなんで警備員だったんだ。システム開発のほうで採用されたんじゃなかったのか。いやいや、文句を言うな。自分には無理だと思われたんだろう。そうさ、何をしたってダメダメなんだ。ここは、そんな自分を拾ってくれた会社だ。頑張らなきゃダメだろう。


 わかっている。わかっているが。

 なにをしてもいいことがない。前世でとんでもない極悪人だったのかもしれない。だから今世で苦しむんだ。って、そんなことないか。変なこと考えて、精神崩壊しちまったのか。


「はぁ」


 どうにも心と身体がバラバラだ。こうなったのも休みがないせいだ。いったい自分は何日出勤している。わからない。記憶が曖昧だ。

 ガクッと膝から崩れ落ちそうになり慌てて手摺をギュッと掴む。足の力も入らないくらい疲弊ひへいしているのか。それとも一瞬寝てしまったのか。

 闇空を再びみつめ、深く息を吐き出す。


 明日も出勤か。日曜日だっていうのに。ゆっくり休もうと思っていたのに。休みはいったいどこへ行った。先週も休日出勤したはずだ。代休ってものが世の中にはあるだろう。頑張るにしても、限界がある。

 息とともに魂が抜け落ちてしまいそうだ。何気なく足元に目を向けて、胸に手を当て深呼吸をする。


 あの会社はやっぱりおかしい。労働基準法に違反しているだろう。違うのか。どうなんだ。

 どうもこうもない。というか、よくわからない。頭が回らない。疲れ過ぎて、思考回路がショートしてしまったみたいだ。

 こんなんじゃ、本当にダメになる。会社に文句を言いたい。

 馬鹿を言え。文句なんて言えるか。

 お門違いだ。上司の言う通り、やっぱり自分がいけないんだ。すでにダメダメなんだ。


 仕事が遅いのか。ミスばかりで余計に仕事を増やしてしまっているのか。何かしらやらかしているんだろうか。正直、そんな記憶はないんだが。

 やっぱり記憶力がどこかへ行ってしまったようだ。


『俺の記憶力、戻って来い』


 何を言っているんだか。

 ダメ人間はあの空の向こうへ旅立ったほうが世の中のためだ。重たい息が零れ落ち、流れる景色の中の光を目で追っていく。

 あっ。今、夫婦で乾杯していた。幸せそうに笑っていた。

 うらやましい。自分にも待っていてくれる人がいたらいいのに。待っているのは、ワンルームマンションの暗い部屋だけ。『ただいま』からの『おかえりなさい』の言葉は聞こえてこない。

 やっぱり自分はどうしようもないダメ人間なんだ。彼女ができないのもそのせいか。

 まったくマイナスのことしか頭に浮かんでこない。それだけ自分はダメ人間なのだろう。


「俺の人生ってなんなんだろう」


 ぼそりと呟き、外の景色に思いをせる。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る