ガンバレあたし


 そうだ、もう一回おみくじ引いちゃおう。


「実子、変な考えはするな。おみくじは何度も引くものではない。それと、ジンロクだ。狸ではあるが、名前で呼べ。堪忍袋の緒が切れるぞ」


 苦笑いを浮かべて道しるべ堂の奥へと歩みを進めた。まったく、心を読むのが得意なんだから。神様だから当然か。

 ああ、なんだか身体がビリビリした。雷が落ちる寸前だったかも。怖い、怖い。気をつけなきゃ。

 狸オヤジの怒り顔を見ていたら、思い出しちゃうじゃない。恨みの心で鬼猫になりかかったときのこと。


 実子は頭を振り、『大丈夫、大丈夫、大丈夫』と繰り返して心を落ち着けた。

 とにかく、準備、準備。

 参拝者におもてなししなきゃいけないからね。

 誰も来ないだろうけど、今日のオススメは何にしよう。抹茶、緑茶、玄米茶。大福、まんじゅう、みたらし団子。和にこだわらなくてもいいか。だって、気まぐれだもん。


 えっと、えっと。あれ、なんだろう。何か感じる。

 来る? 来るの? 気のせい? じゃないか。来るのかも。


「おい、実子。近いうちに仕事で疲れたサラリーマンが来るぞ。疲れに効く飲み物と菓子を用意しておけ。仕事運向上でもいいな。あと縁起物も考えておけよ」

「もう、何よ。偉そうに。あたしだって、感じていたんだから。先に言わないでよね。この間の夜に電車から手を合わせてくれた人でしょ。あたしなんか、あのあとちょっとだけ会って来たんだから」

「そうか、そうか」

「そうよ。そんなことより狸オヤジはなんとかしてあげないの。このままだと大変なことになるんじゃないの」

「ここへ来てくれないと無理だ。神にもいろいろ事情があるんだ。どうやらその者は来るようだからな。問題ない」

「何がいろいろよ。もう。冷たいんだから。ここにはなかなか来られないんでしょ。大丈夫なの。選り好みなんてしないで誰でも来られるようにしたらいいのに。やっぱり、ぼんくら、おとぼけ狸ね」


 ああ、腹立つ。名前でなんて呼んであげないんだから。父さんとも呼んであげない。

 実子は溜め息をひとつして空を見上げた。わかっている。ここが別次元の場所だってわかっている。けど、やっぱり選り好みしている気がしてきた。


「なぁ、いいか。おいらは神なんだぞ。わかっているか。それに。まあいい。わかっているだろうからな。とにかく縁があれば道は開かれる」

「ふん、あたしには神様の事情もへったくれもないの。関係ないの。みんな平等だから。それに、途中まで言いかけたんなら全部いいなさいよ」

「言っちゃいけないこともある。大人になれ。それはそうとみんな平等だと。いいことだが、今の件とはちと関係ないだろう。まあいい。許してやろう」

「そこ、上から目線はダメですからね」

「まったく、神というものがわかっているのか。おまえは」

「ほら、そのおまえってのもNGだから。というか、神の前にあたしの……」


 危ない、危ない。『父さん』って呼ぶところだった。ぼんくら、じゃなくて狸オヤジで十分。

 チラッとジンロクを見遣り、苦笑いを浮かべた。これってもしかして、道を踏み誤るに該当するのかな。ばち、当たっちゃう。

 やってしまったかも。


 なんでいつもジンロクにツンツンしちゃうんだろう。やっぱり父親だからなのか。

 実子は頭を振り、フッと息を漏らした。

 そんなことより参拝者のオススメは何にしよう。余計なことは考えなくていい。

 疲れにはやっぱり甘酒か。日本茶専門店にしようと思ったのに、甘酒なの。

 いいの、いいの。そこまでこだわらなくていいの。気まぐれ実子なんだから。

 でもな。どうしよう。


 あっ、ひらめいた。よし、よし、決めた。

 白玉入り甘酒クリームパフェと抹茶ミルクティーのセットにしよう。抹茶は日本茶だ。これでいい。んっ、和菓子の話はどこへいった。いいの、いいの。気にしない、気にしない。

 縁起物は、馬のアイテムがいい。

 仕事運アップするには馬が一番。この木馬の置物をスイーツセットのおまけにしよう。

 『疲れ』だから、パワーアップアイテムのほうがよかったかな。

 いやいや、これでいい。仕事運向上でもいいっておとぼけ狸オヤジが言っていた。

 仕事運が上がれば、きっと疲れも軽減されるはず。

 とにかく、準備、準備。


「実子、おとぼけは余計だ」


 ああ、もう。じゃ、まんまる狸って呼んじゃうんだから。あっ、睨まれた。


『ジンクロ、ジンクロ、ジンクロ』


 よし、オーケー。


「ジンロクだ」


 しまった。やっちゃった。

 実子は頭を掻いて、狸オヤジに向けてニコリとした。

 狸オヤジは咳払いをして「許す」とだけ口にして背を向けた。

 やっぱりジンロクって呼ぶのは抵抗ある。父さんって呼ぶのはもっと抵抗ある。



***



 実子は本当に気まぐれだ。

 猫だから当然と言えば当然か。

 おとぼけだの、ぼんくらだの、狸オヤジだのいろいろ呼ばれるがいい子だってことはわかっている。実子は本当に可愛い奴だ。我が娘だから当然か。

 いったいどっちに似たんだか。母親似だろうか。それとも父親似か。

 ジンロクはニヤリとして実子をチラッと見た。やっぱり『父さん』って呼ぶのは照れ臭いのか。狸オヤジでもまあいいか。


「ちょっと、何見てんのよ」

「すまん、すまん。可愛いなと思ってな」

「な、なによ。変態狸オヤジ。しっ、しっ」


 本当に可愛い奴だ。いい子だし、頑張り屋だ。やろうと決めたことはきちんとやり遂げる子だ。

 ジンロクは窓から空を見上げて、少しだけ口角を上げた。

 この狸神社に欠かせない存在となるだろう。実子は。

 あとは少しでも早く復讐心を消し去ってやれればいい。ここで心に癒しを与えてやれればいい。

 またいつ爆発するかわからないからな。あの事故のときを思い出すと震えがくる。あのときに比べたらだいぶ怒りの記憶は消え去っている。護符の効果もあるだろう。

 きっと、大丈夫。そう信じよう。実子もそれほど馬鹿ではない。だからこそ、平等と口にしたのだろう。


「ああ、もう。まだいたの。その顔、怖い」

「怖いとはなんだ。これでも笑っているつもりだ」

「そうなの。ふーん」


 まったく実子ときたら。まあいいか。


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