第25話『予兆』



[同時刻 古賀道場]


 木刀を真っ直ぐ正中線に構え、精神統一。

 目を閉じると、俺しかいない道場の中は酷く静かで、様々な音が聞こえてくる。

 道着の衣擦れの音。

 外から微かに聞こえる鳥の鳴き声。

 そして、―――――俺の心音。


『―――――お前にとって、『陰陽師』って何だ?』


 不意に脳内に響き渡る声。

 ……ダメだ。沈めろ。気持ちを落ち着かせるんだ。

 しかし、俺の思いとは裏腹に先ほどの光景がフラッシュバックする。


 仁に完膚なきまでに叩きのめされた真崎達。

 改めて痛感した「旧型」としての仁の姿。

 そして……。




「陰陽師」とは。


 仁の問い。それは俺自身にも向けられていたのではないかと、今になってそんなことを思う。


「……はぁ!!」


 ゆっくりと動きを確かめながら、一回一回上段から木刀を振り下ろす。

 力を確実に腕の健から筋肉へと伝え、最後は手に持った得物へ。

 ―――――そもそも陰陽師にもなっていないのに、そんなことを考えても仕方が無い。

 今はただ、自分自身を鍛えろ。そして、陰陽師になるんだ。

 雑念を払うかのように、俺は只一心不乱に木刀を振り下ろした。



「……精が出るな」


「……!」


 不意に、意識が現実に引き戻される。

 辺りを見回すと、声の主であろう人物は道場の入り口付近にゆったりと佇んでいた。

 所々白髪交じりの頭髪に長身の着物姿の男性。

 それは紛れもなく……。


「……父さん」


「久しいな、新太」


 ―――――古賀こが宗一郎そういちろう

 古賀家現当主にして、清桜会新都支部を取り仕切る上層部の一人。

 いわゆる「旧型」でありながら、清桜会に所属し日夜日本中を遁走している。

 また、この人物は京香の実父であり、―――――俺の育ての親でもある。

 歳は既に五十を越えているはずなのに、それを感じさせないほど凜とした出で立ち。

 久々に顔を拝んだが、京香の顔の造形は父さん譲りなのだと改めて実感する。


「……戻ってきてたんだ」


「今しがたな。緊急で呼び戻された」


「そっか……。うん……」


「……?」


 訝しげな表情を浮かべている父さん。

 俺も久方ぶりの肉親との邂逅に、どんな感じで喋れば良いのか、まだ掴みきれていない。

 父さんも不思議な表情をしながら、こちらの様子を伺っている。

 しばしの沈黙の後、俺の態度を不思議に思いながらも会話を続けるつもりらしく、「ところで」と口火を切った。


「話は聞いている。新都ここは何やらキナ臭くなっているらしいな。

 ……京香はどうした?」


「さっき、招集がかかって……、多分本部へ行ったよ」


「……なるほど。ちょっと前に俺にも通信が来ていたが……折り返すことができていなくてな。家には着替えに戻ったんだ」


 そう言う父さんの顔は、あっけらかんとしていて遠征の疲れなんて微塵も感じない。

 確か……、今回は九州方面に行っていた気がする。

 数ヶ月に及ぶ滞在だったにも関わらず、帰ってきて早々こんな事態の対応をしなければならないなんて。


「父さん、少しは休んだ方が……」


「何言ってんだ。助けを求めている人がいる、だったら休んでいる場合じゃないだろう」


 ごくごく当然のようにそう言い、父さんは柱へともたれかかった。

 ……本当に父さんは変わらない。


「……変わりはないか、新太」


「あぁ。京香には……いつも通り振りまわされているけどね」


「……アイツは相変わらずだな。お前がこの家から居なくなって寂しいんだろう」


「……どうだろうね」


 この家から居なくなって、という父さんの言葉が胸に残った。


「……は無いのか」



 ―――――俺がこの家を出て下宿を始めてから、約一年が経過した。

 それはある種、自立願望だったのかもしれない。

 ……いや、そんな立派なモノじゃないな。

 身寄りの無い俺を、ここまで育ててくれた古賀家への申し訳なさとか、後ろめたさのようなもの。

 中学生位からだろうか。

 物心がつけばつくほど、俺はここで何食わぬ顔で生活することに耐えられなくなっていた。

 俺はこの家の人間ではないのに、我が物顔で家の中を歩けなかった。

 もちろん、父さんや京香は俺を「家族」として扱ってくれる。

 でも……。

 俺が古賀家の異分子である事実はなくならない。

 複雑な感情を抱えたまま、俺は古賀家このばしょに居られなかった。


「……いつかちゃんと、陰陽師になって戻ってくるよ」


 これも俺の本心だ。

 制約とまではいかないけど、次また一緒にこの人達と住めるのは、俺が立派に陰陽師になった姿を見せてからだと、何となく……でも確信に近い感情があった。

 育ててくれた恩義に報いるためにも、絶対に陰陽師にならなければならない。

 俺のである、父さんのためにも。


「……なぁ、父さん」


「なんだ?」


「陰陽師って、一体何だと思う?」


 言った後に自分で驚く。

 こんなことを聞くつもりはなかった。

 久々の父親との会話に甘えてしまっているのかもしれない。

 考えないようにしていた仁の言葉は巡りに巡って、俺の口から飛び出していた。


「悪霊を祓い、人々を助ける者」


 しかし、俺の質問の真意なんて気にならないのか、父さんはただ毅然とそう言い放った。

 それは俺が頭に思い描いていた答えと全く同じで―――――。


「助けられる力があるのなら、迷わず悪霊を滅す。そして人を救う。にできるのはただそれだけだ」


 ……この人は本当に凄い。

 何のためらいもなく、そんなことを真っ直ぐに口にできるなんて。

 これまで父さんが人を助ける姿を数え切れないほど見てきた。

 そして、それに感謝する人の姿も。


『能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある』

 幼い俺に父さんは何度もそう言い聞かせていた。

 意味が分からなかったその言葉も、今は理解できる。

 それが父さんを、を構成する哲学に他ならない。


「……やっぱり、父さんはさすがだ」


 もう迷うことなんてない。

 やっぱり俺は何も

 この人の教えを―――――ただ大切にしていけば良い。


「……じゃあ俺もそろそろ本部へ行く。また会おう新太」


「……あぁ、気をつけて」


 道場の窓から空の様子が伺える。

 既に茜色は通り越し、藍色の部分が多くなってきていた。

 父さんもそれに気付いたのだろう、着物を軽く直し……やがて道場の外に出て行った。



 ***



「……」


 父さんが出て行ってから数刻、俺は只一人先ほどの余韻に浸り、父さんが今しがた立っていた柱を何となく見ていた。


「……あと少しで終わりにするか」


 いつまでもこうしてても仕方が無い。

 中断していた稽古を再開するべく、木刀を上に振りかざしたときだった。

 ドタドタと、道場までの廊下を騒がしく駆けてくる足音がする。

 そして、今しがた父さんが寄りかかっていた柱に、息も絶え絶え手をかける一人の少女。


「……京香?」


「はぁ……はぁ……はぁ……新太、道場ここにいたんだ……」


 京香にしては珍しく、かなり焦っているらしい。

 額から玉のような汗が滴り落ちている。


「……何かあった?」


「っ!! そうだっ、親父!! 親父来てない!!?」


 何だ。

 父さんを探していたのか。


「さっきまでここにいたけど……。見てない?」


 ふるふるとうつむきながら金色の頭を振る京香。

 さっきまでここにいた。そして数分前本部に向かった。もしかしたら行き違いになってしまったのかもしれない。

 ってな感じに状況を伝えると、気が抜けてしまったのか、その場にへたり込んでしまった。


「あんのバカ親父……、本部からの連絡にも出ないのよ!? 緊急事態だってのに……」


 それで京香も本家ここへひとっ走りしてきたってわけか。


「招集時間ガン無視とは良いご身分だわ……」


「仕方ないだろ? 父さん、今しがた帰ってきたばかりだったみたいだし」


「だとしても本部に直行しなさいよ……」


 そのせいで私がこんな目に……、と実父の行動に納得がいっていないのか京香はブツクサと文句を垂れ流す機械になってしまっている。


「それよりも大丈夫? ……緊急事態って」


 京香はやがて自身の置かれている状況を思い出したのかハッとして、その場に立ち上がった。

 その表情には今しがた走ってきた疲れを微塵も感じさせない、凜とした佇まい。

 ―――――先ほど見た父さんと同じ表情。


「……私も行かなきゃ。こうしちゃいられない」


 次の命令が出ているのか、急いでその場を後にしようとする京香。


「あ、ちょっと……京香。一体何があったんだ?」


 父さんのような上層部、強いては特待隊員の京香に至るまで情報が共有されていることを考えると、事態は多分かなり重大。

 最も、正規隊員でない俺にそれを知る資格はないが、それでも聞かずにはいられなかった。


「……」


 京香は正規隊員でないものに伝えるのはどうかと一瞬躊躇ったようだったが、迷っている時間も惜しいのか、やがてポツリポツリと言葉を紡いだ。


「新都の地場が異常をきたしているってのは知っているわよね?」


「……あぁ。仁も言ってたことだろ」


「それが、ついに臨界を越えたって感じね」


「……どういうこと?」


「悪霊が発生したの」


「……? そんなの珍しくないだろ」


 すると京香は「……」と、そう言い放った。



「……昼間?」



「真っ昼間も真っ昼間。負傷者も死傷者も出たらしいわ。

 地場が完全に狂ってる。私達も何が何だか……」


 目を伏せ、悔しそうに唇を噛む京香。


「……」


 昼間に悪霊が現界する、そんな話は聞いたことがない。

 悪霊は―――――逢魔が時を境に、活動を始める。

 つまりは悪霊が悪霊たらしめるのは「夜」という、奴らにとって好条件の活動時間帯が存在していたから。

 その区切りが曖昧になったとすれば……。

 それはつまり。

 保たれていたを意味する。


 時間場所を選ばず、常にそこら中に悪霊がひしめく。

 この新都には、安全な場所なんて存在しない―――――。


「……清桜会は、どんな対応を?」


「二十四時間体制で新都の警護を考えているみたい。

 幸い、日中の悪霊はまだ数体しか観測されていないみたいだから……。これ以上酷くならなければいいけど」


「そうだね……」




 ***





 新都の異変―――――。

 これ以上酷くならなければ、そんな願いはことを、俺はその僅か数日後に悟ることになる。




 二日後。

 四月二十四日。

 の時候。


 ―――――新都は戦場と化した。


 そして。


 俺は知った。





 事態はもう、誰にも止められない、ということを。




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