第17話『蒼炎』





「きょうちゃん、どうしたの?」


「えっとねー……。ちょっとやけどしちゃったんだ」


「やけどー? なにしたの?」


「うーん。なんかね。だれにもしゃべっちゃだめなんだって」


「ぼくにも?」


「うん」


 幼い頃、京香は体の至る所によく火傷をつくっていた。

 遊んでいる最中に、古賀の人間に連れられてどこかに行くのも何度も見ている。

 それは幼心ながらなんとなく理解していた。

 ―――――きっと彼女は自分とは違うのだと。

 彼女は、何か大きいものを背負っているのだと。

 去りゆく彼女の後ろ姿を見ながら、そんなことを思っていた。

 その時はまだ、古賀家が陰陽師の名門であること。京香がその跡継ぎであること。

 そして、幼い身でありながら、一家相伝の式神を受け継ぐための修練を既に開始していたことなんて、想像だにしなかった。


 俺はただ、京香の無邪気な笑顔と。


 彼女の火傷の跡を、今でも覚えている―――――。



 ***



 ―――――業炎。


 眼前で展開されている光景を表現するならば、それが最も適切であるように思われた。

 京香を取り囲むようにほむらが揺らめき、暗黒に包まれた街をそこだけ昼間かと見まがうほどに明るく照らす。

 呼吸を阻害するような熱波が周囲の異形を退け、夜の新都の大気を焦がしていた。


『赤竜』。

 中国の神の名を冠する、古賀家相伝の式神。

 現代陰陽道成立、人造式神構築に辺り式神の解析を求められたが、古賀家はそれを拒否。

 今日こんにちに至るまで、関係者各位にしか式神の術式が明かされていない。

 ―――――『自然発火』。

『発火』の発現事象アビリティをもつ人造式神は清桜会にも正規隊員用として存在する。

 しかし、燃える媒体が存在するうえでの発火は現象として難しいものではない。

 そう―――――、本当に困難なのは『自然発火』。


 酸化反応を促す「熱」。

 酸化反応をおこす「酸素」。

 その酸素と結びつく「可燃物」。


 火という現象に必要な三要素だが、事象成立の基点であり術者が制御しうるのは恐らく「酸素」だろう。

 燃焼の維持に必要な酸素を、外気から拡散的に取り入れる「拡散燃焼」。

 いわゆる「火災」や飛行機の「ジェットエンジン」も同じ原理だったりする。

 恐らく京香は身体的影響のない範囲……多分上空だと思うが、そこからさらにに酸素を集めている、のだと思う。


 ……あくまでも俺の仮説でしかない。

 しかし、式神単体の能力としてみれば、事象として分からないことだらけだ。

 どんなメカニズムで発火や、炎の制御を行っているのだろうか。

 空気中の微量の水素、もしくはヘリウムの核融合……β崩壊……。

 外部からの熱エネルギーによる物質の急速酸化。それによる酸化熱の蓄積。

 ……いやでも、可燃物となる媒体が無い。


「……おい、仁」


「……? 何?」


「アイツ、言うだけあるな」


 思考を張り巡らせていた俺の隣で、仁がポツリと呟いた。


「消えろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」


 京香が悪霊の群れに手をかざすと、それに呼応するかにように縦横無尽に炎がうねり、爆散。

 悪霊の形状崩壊の際に発生した霊力がプラズマを放ち、炎に飲まれその威力を上げる。

 断続的に発生する「炎」という現象が、悪霊に本能的な恐怖を感じさせているのだろう。

 京香から背を向ける低級の姿もチラホラと見えた。

 そして―――――。

 弱いものはその業炎の前に淘汰され、残ったのは濃密な霊力を立ち上らせている悪霊のみ。

 体躯が優に十メートルは超える個体や、体の一部が欠損している個体、奇怪な悲鳴を上げている悪霊など、その特徴を挙げればきりが無い。

 しかし、そのどれもに共通していること。

 それは眼前の蹂躙劇に怯むこと無く、未だに闘う意志のある悪霊達であると言うこと。

 京香もそれを察しているのか、躁炎の手を休め、残ったモノ達を真っ直ぐに見据えていた。



「……最大火力」



 紅く煌々と輝いていた炎が、静かに蒼白く染まる。

 ―――――完全燃焼。

 酸素を充分に取り込んだ状態の炎であり、先ほどの紅い炎と比べて温度も一線を画する。

 京香最大にして最高の陰陽術。

 霊力を最大限まで練り込み、相手の抵抗も、反撃も、全て灰燼に喫する業。

 そう、それが。


 ―――――『燐火りんか』。


 転瞬。

 眩い光で視界がふさがれ、音が消えた。






 ***




 ガラス窓の外側、暗黒に包まれた街の中から一筋の光が見える。

 あれは、古賀京香による『燐火』。

 高火力による一撃は、悪霊をその焼き尽くし祓う。

 これで未だ式神を完全に扱い切れていないというのだから驚きだ。

 後日改めて部隊長の件を話題に出してみよう、と秋人は人知れず思った。

 そして、秋人の目の前には古賀京香のが悠々とソファに座り、今しがた出したタバコを口にくわえていた。


「目の敵である『狐』と行動させたのは正解だったようだね、楓」


「……」


 楓こと、服部楓はタバコに火をつけ、勢いよく煙を吐き出す。


「なぁ、秋人」


「……?」


「宮本に何で言わなかった?」


 秋人は彼女から背を背け、再度新都の夜へと向き合う。


「……何の事かな?」


「とぼけるな。アイツが狙われる理由なんて一つ。その

 清桜会上層部で秘匿し続けるのも勝手だが、いつまでブラックボックス扱いするんだ」


「……」


「『狐』を放っておく意味も分からん。あのも」


「『私達にできることならなんでもする……』か。

 あの旧型の陰陽師に対して、そんな取り決めは意味が無い。

 奴は「新型」とは比較にならん実力をもっていることはお前も分かっているはずだ。

 その気になれば実力行使で話を進めるだろうな」


「……そうかもしれないね」


「職権乱用も決行だが、足下をすくわれないようにな」


 そう言いながら、服部楓は支部長室を後にした。

 残ったのは―――――静寂とタバコの煙、その残滓。


「……」


 未だ落ち着かない街中の蒼炎を、秋人はただ一人眺めていた。






 



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