第7話 手紙

 眠そうにぽわぽわとしているエマをベットへ連れて行き、寝巻にしている黒のパーカー姿のまま、リビングに常備している鳥用のおやつを持って玄関から外に出る。


 陽が姿を隠し、月明りのみが木々の隙間から照らす山。


 ここに暮らす強大な力を持つ獣たちは、小さな存在である人間ごときに興味を示さないが、稀に友となってくれる者もいる。


「『おいで、アーヴィス』」


 そう一言声を出すと、近くの樹の頂上に止まっていた中型犬ほどの大きさを持つ鷹のような紅目の魔鳥が、バタバタと羽を鳴らしながら僕の目の前に着地する。


「御使いありがとう」


 その子の首に括りつけられた手紙を入れるための道具を外し、お礼として持ってきた自作のおやつを差し出す。


 地面に置こうとする前に、全く警戒心無く僕が手にもっている段階から嬉しそうにおやつを食べ始めた。もう片方の手でふわふわの首を撫でてやると、食べるのをやめて「クルルっ」と気持ちが良さそうに鳴いてくれる。


 満足するまでそうしてやり、与えたおやつが半分ほどになった所でそれを咥えてどこかへ飛び去って行った。


 それを見届けてから、運んできてくれた手紙を持ってエマのいる寝室に戻る。


「……あ、お帰り、ゼノ」

「ただいま。寝てても良かったんだよ?」

「ううん、ゼノと一緒に寝たい。……それ、お手紙?」

「そうだよ。ちょっと友人からね」


 どうやら、エマは何とか眠気に抗って僕を待っていてくれたらしい。早く寝て欲しいけど、それはそれとして可愛いらしい子だ。

 返事しながらベットに腰かけ、特殊な素材と魔術が組み込まれた封蝋印に魔力を流し、暗号で書かれた手紙を読み込む。


「……これは、街に行った時に見られたのかな」

「……読めない」

「これは僕とこれを書いた人しか知らない暗号だからね」


 手紙の差出人は、まぁ『さるお方』とでも言うような立場の人だ。エマに隠す理由は無いけれど、話す意味も無いだろう。

 文字を頭の中にある暗号の法則と比べながら、大雑把に内容を読み解いていく。


 完全に暗号を解いている訳では無いが、なんとなく把握できる単語だけで思わず眉がピクリと動いた。


「なんて書いてあるの?」

「……そんな大層な事でも無いよ。街で僕とエマの姿を見たっていうだけだから」


 ただそこに、「隠し子が居たのなら紹介しろ。それとも恋人か何かかな?」などというふざけた事が書かれているだけだ。

 あの時はエマが周りを怖がらないよう、周囲から僕たちの姿が見えなくなる魔術を使っていた。


 そこまで強い魔術を使った訳でも無いし、その報告をこの手紙の差出人にした人物も優秀な人のはずだから僕とエマの姿が見えたのだろう。


 街には顔見知り程度の人が何人かいるし、姿を隠すという事は周りにバレたくない特別な関係だと思われたのだろうか。


 それで隠し子は飛躍しすぎだろうと少し呆れながら、その手紙に重なって入っていた二枚目の手紙を流し見る。


「……ん?」

「どうしたの?」

「いや、何でもない。……ちょっと意外な事が書いてあっただけ」


 手紙の内容は、ぱっと見で理解できるある程度の文字しか把握していない。


 しかし所々にある暗号化された単語は、簡単には見過ごせないものだった。


 エマは釈然としていないようだが、どうせ聞いても僕が答えないと思ったからかそれ以上尋ねて来る事は無い。


「……どうするべきかな」

「返事、今書くの?」


 頭の中で暗号を読み解きながら返事の内容を考えていると、エマが布団から手を出して僕の服を小さい力で掴んできた。


 その思わず笑みが零れてしまうその行動に、エマの頭を撫でながら応える。


「いや、もう寝ようかな。明日ゆっくり考えるよ」

「んっ、早く来て」


 エマがずれて出来た、布団の中の大人が一人入れる程度の空間に潜り込む。


 するとすぐさまエマがくっついて僕の胸元に首を埋めてきて、それを受け入れるように軽くエマの背中に手を添える。


「すんすんっ……ゼノの匂い……♡」


 最近寒くなってきているため少し暖かい布団に変えたばかりだが、密着してくるエマと一緒に寝ると十分暖かい。やけによく匂いを嗅いでくるのは少しこそばゆいけど、別に嫌と言う訳では無いし好きにさせている。


「さ、早く寝ようか。明日も早いよ」

「わかった。……おやすみ、ゼノ」

「おやすみ、エマ」



 そんな悲惨でも異常でも無く、しかし限りなく幸せな普通の挨拶をして、穏やかな表情をした二人は揃って眠りに落ちた。



 ◆



 窓から差し込む旭光きょっこうに当てられ目を覚まし、体を動かそうとすると発生する僅かな抵抗に、少し困りながら掛布団をめくり上げる。


「……また抱き着いて寝てる」


 そこには親に抱き着く子熊のように、僕の胴体に抱きついて胸に顔を埋めるエマが居た。


『んぅ……——──?』

「ほら、朝だよ。さ、腕を解いて」


 僕が身じろぎすると、エマがこの国の物ではない言語で何かをぼそりと呟く。


 彼女は意識がぼんやりしているとたまに母国の言葉を使う事があった。基本この国の言葉で話すから意思疎通に困ることは無いのだが、ちょっと彼女の国の言語を習って見たい気持ちもある。


『……──────…………』


 その眠そうな声を聴きながら、せっかくなので胸元にあるエマのさらさらとした黒髪を軽くなでる。


「ん~……♡」


 そうすると蕩けた声を出しながら、さらにぐりぐりと僕の胸に額を擦り付けて来る。まだ寝ぼけてるらしい。


 しばらくそうしていたが、少し時間がたったところで本当に起きる時間になって来たので、まだ抱きついて来ようと力が入っているエマの腕をゆっくりと外してベットから出る。


「エマ、そろそろ起きるよ」

「むぅ……もうちょっといっしょにねよ……?」

「そんな可愛く言っても駄目。しばらく布団に入ってていいよ。すぐ暖かくするから」

「……わかった」


 渋々という風にそう言って、エマは毛布にくるまったままのそりと体を起こした。


 エマはもちろんのこと、僕も事情があって通っていた学園を無期限の休学ということにして休んでいるため、登校の時間や出勤しなければならない時間がある訳では無い。

 ただだからこそ、起床や就寝などの時間はきちんと決めている。


 週に一日ぐらいはゆったりするのは良いと思うけど、基本は朝に起きて夜に寝た方が生物として都合が良い。


 今朝は少し肌寒いので、家全体の室温を快適な温度まで上げる為の魔導具を起動し、温度を調節する。

 少し待つと直ぐに肌寒さが消えて快適な温度になった。


「ん……ちょっと暖かい」

「それは良かった」


 起きて人から話す相手がいるという幸福を噛み締め、未だボーっとしているエマを横目に、昨夜机の上に置いた手紙を手に取る。


 二枚目に書かれていた内容で理解できたのは、『帝国』『皇女こうじょ』『消息不明』の三つ。


 帝国とは、僕たちの住んでいる国である『アルバディア王国』の北にある『ガルディス帝国』の事だろう。皇女というのは、文字通りその国の皇女こと。


 消息不明というのは、そのガルディス帝国の皇女が行方不明になったという事だと思う。


 今僕たちのいる森は、アルバディア王国の西北の国境沿いにある侯爵領の一部だ。なんならこの森自体、ガルディス帝国の国境から遠くない。


 かなりの長文が詰まっているから、きちんと解読してからどんな内容か確認するとしよう。


 帝国に居る知り合いの事もそこそこ心配だ。あくまでそこそこ、という程度だが。


「ゼノ?」


 こちらの感情を感じ取ったのか、エマがどうしたのだろうという風に声を掛けて来る。その声の方向をみると、エマが首を傾げてこちらを見ていた。


「なんでも無いよ。さ、着替えてご飯をしよう」


 別に焦ってどうにかなる事でも無い。いつもの日常を繰り返す方が今は余程大切だ。

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