第6話 才能の断片

 エマを森で拾ってから約二か月。


 毎日の治療を根気強く受けて、ご飯を残さずしっかり食べ、軽く汗をかく程度森の安全な森を散歩し、夜から朝までたっぷりと寝る。


 そんな規則正しい生活により、今のエマはもうボロボロの少女ではなくなっていた。


 本人は頓着していなかったが、僕が毎日ケアしていた黒い髪と柔らかい肌。

 本来の姿であるくりっとした冷静な瞳や整った顔立ちは、エマをちょっとクールな雰囲気の美少女に生まれ変わらせていた。


 この大陸の人間からしたらエキゾチックに見えるだろう綺麗な顔立ちは、だからこそ、その未完成な美貌に目を惹かれる。


 これで普通に生きていたら、どれだけ男の目を引き付けていた事か。


 本来なら二か月という短い期間で回復はしない体だったが、そこは彼女の身に宿る決して矮小とは言えない力が関係していたのだろう。


「……これで、出来てる?」

「……うん、完璧だね。流石エマだ」

「やった。褒めて」

「よしよし」

「んー……♡」


 手の上に暗い部屋を照らす光球を浮かべながら、黒髪の中の可愛らしいつむじを僕に向けてくる。

 その要求に答えてそこに手を乗せると、猫のように目を細めて蕩けた声を上げる。


 この二か月で分かった事がいくつかある。


 ——この子は、とんでもない天才だ。


 このふた月の間で体を治している時、エマが持つ魔術に関する類まれな潜在能力の事は理解していた。


 ただそれは、保有している魔力量や魔力回路の規模、魔力出力などのことで、本人の性格や思考能力が魔術を扱うに向いているかは分からない。


 これだけの才があって本人にその気があるのなら、魔術は身に着けた方が良い。

 魔術師は職に困らないし、この世界で自分や大切な人を危険から守るには何かしらの力がいる。


 ただ、それを急ぐことは無い。


 そう考え、あれから長時間使えるように改変した意思を直接伝える言葉でこの国の言語を教えている時、あることに引っ掛かりを覚えた。


 「なんか、言葉を覚えるの早く無いか?」と。


 さらに時間が経つことで分かったのは、彼女のもつ理解力と記憶力がずば抜けているという事だ。


 それも尋常じゃない程に。


 発音には少し苦労しているみたいだが、それも一般人が言葉を覚える時と比べたら格段に飲み込みが早い。


 たった二か月で日常会話で使う僕の言葉は七割程度聞き取れるようになり、単語単語で話す事が出来るようになったほどだ。


 街中のように周囲がこの国の言語が溢れている訳でも無い。つまり、僕との会話と書物からの情報でしか言葉を学んでいないのにこの速度だ。


 一日に十時間以上他国の言語を学ぶというのは凄まじい学習意欲だし、ただの努力だけでもこの短期間で言語を覚えるは難しいだろう。


 まぁそれ以外にやることが無かった、というのもあるのかもしれないが。


「ゼノ。この術式のここ、どういう式?」

「あぁ、それはベクトル指定の式だね。今の光球でやった術の効果を空間や物体に固定させる式と違って、向きと出力を指定する一般的な式で——」


 そして少し前から魔術を教えてくれと頼み込まれて、無論それを断る事も無く付きっきりで教えている。


 何よりも彼女が才能を示したのが『魔術』だ。


 そもそも魔術を使うには、記号、数字、魔術文字などと言った複数の理屈が混ざり合った魔術式と呼ばれるものを扱う必要がある。


 その魔術式を全て理解することはいくつもの国の言語を覚えるようなもので、魔術に慣れていない未熟な内はふんわりとした曖昧なイメージで魔術を行使する。


 それでも魔術は発動するが、発動するだけだ。


 精度も出力も発動速度も、魔術式への理解が低ければ低い程下がっていく。


 魔術を行使する上で重要な事柄は魔術式への理解度以外にも沢山あるが、どれだけ他の能力が高くとも、自分の扱う理への理解が根本に存在する。


 その魔術式を、エマは子供用の計算を解くような簡単な事として理解していった。


 便宜上魔術を扱う者の事を魔術師と呼ぶが、ある程度その魔術式がどのような現象を起こせるのか理解していれば、素人でも魔術を使える。


 そのため魔術師は魔術を研究し、開発、改良を行って初めて一人前とされる。


 そのため魔術師は研究者的な性質が濃く、エマはそう言った分野に限りなく向いているタイプだろう。


「よし、今日はここまでにしようか」


 数分して、ちょうど質問されたことの説明を終えて一区切りがついた。


 先ほどエマが浮かべた光球と月明りに照らされた僕の部屋で、二人並んで座っていた勉強机の前から立ち上がる。

 すると微かに抵抗を感じ、その方向を見るとエマが弱い力で僕の服を掴んでいた。


「ゼノ。今日も……」


 少し赤くなった耳を黒髪から覗かせ、うつむいたまま小さくつぶやく。


「いいよ。先にベットに入っておいて」

「ん……♡ ……わかった。すぐに来て」


 エマの黒髪をなでるように手を乗せ、かすらせるようにちょっとだけ耳に触れる。


 かなり頻繁に、エマは僕と一緒のベットで寝ようとする。ちょっと前までは体の治療のためエマが寝付くまで傍に居たが、今はそこまでする必要は無い。


 一人の部屋で不安なのは理解できるため構わないのだが、この部屋にもう一つベットを運び込もうとしてもベット自体を拡張しようとしても嫌がるため、結局一人用のベットでくっついて寝ることになってしまった。


 恐らく、人肌が恋しいのだろう。荒れた環境に居て、優しくしてくれる人間が現れたのなら甘えたくなるのも無理はない。


 もうしばらくは、このまま甘やかしても良いだろう。

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