第4話 魔法の言葉

 エマを見つけたのは、日が上がってまだ少ししか経っていない朝早い時間だった。


 僕らが朝食を終えた今ではもう大抵の人が目を覚まし、予定では僕も街の門にたどり着き、そこで待っている馬車に乗っていたはずだ。

 火の付いていない暖炉の前で一緒にソファに座り、眠そうにしながら僕にもたれ掛かっているエマを見る。


「セイズさんには申し訳ないけど、エマから目を離すわけにもいかないなぁ」

「……?」

「なんでもないよ。大丈夫」

「♡」


 声に反応して首を傾げたエマの頭にすとんと手を乗せると、それに合わせてまたキュッと体を寄せて来る。

 しばらくそれに付き合い、ほどほどのところで切り上げた。


「ちょっと待っててね」


 一言そう言って立ち上がり、上半身がそのまま出せるような大きな両開きの窓を開けて少し腕を出す。


「『——おいで』」


 目の前に広がる森に向かってそう話しかけると、その声は物理的な音の法則を超えてあたりに反響した。

 後ろに座っていたエマが驚いた反応をしたのが分かった。これをすると、皆ちょっとびっくりするんだよね。


 森に響いた僕の声が消えると、バサバサと音を鳴らしながら数匹の鳥が窓から出した僕の腕に仲良く止まった。


「こんにちは、『街の門まで飛んでくれるかい?』」


 そう話しかけながら空いているもう片方の腕の指を振るい、ぴょこぴょこと腕ではしゃぐ5匹の鳥たちの足にそれぞれ青色のリボンを結ぶ。


 これは僕が時間通り街に行けない時の合図で、動物の種類とリボンの色と数で細かい内容を決めてある。

 今回は「手の離せない用事があるためしばらく行けないが、危険性や緊急性は無い」というもの。


「さぁ、『頼んだよ』」


 鳥たちの首をそれぞれ撫でてから空中に解き放つ。


 これで本来あった用事は気にしなくて大丈夫だ。埋め合わせは必要だろうが、その時は幾つかおみあげを持っていこう。


「これで大丈夫。さて次はエマの……いや、後でいいか」

「…………んー?」


 ソファを見ると、エマが体をゆらゆらと力無く揺らして目を薄く開いていた。

 体が完全に倒れる前に、そっと肩を支えてここに連れてきた時と同じように抱える。


(起きたらちゃんとした物を食べさせないと。クリームシチューなら柔らかいパンで食べられるかな)


 後で買い出しに行かなければ。

 それと、この子の事も色々決めないといけない。


 このままここで暮らすのか、それとも孤児院や余裕のある大人に預けるのか。


 正直、当てはある。それも間違いなく幸せに暮らせるし、不自由なく生きていけるであろう当てが。


 ただ、もしその家にエマを預けるとしてもそれはかなり先の話だ。


 素性もわからない、言葉もわからない。

 そんな子を自分で拾っておいて、人に任せるような事をするつもりは微塵もない。

 ちょうどいつも勝手にこの家に泊まったりする友人はしばらく用事で来ないし、一人子供が増えるぐらいどうってことない。


 まぁ、そういった話は後だ。

 とりあえず、気持ちよさそうに眠るこの子を寝室に運ぶとしよう。





 閉じた瞼の奥から夕暮れの光を感じた時、やっぱりさっきのは夢だったんだと理解した。

 だっておかしい。あんな空気の綺麗な朝の森と、あんな安心する木の家があるわけがない。


 不思議な光を放つ石があってそれに触ったらお湯が出てくるし、いい匂いのするシャンプーとボディーソープを使わせてもらった。


 さらにとても美味しくて優しい味のするスープと、甘すぎないけど何故かとても甘く感じるジュースまで飲んでしまった。


 しまいには柔らかいソファに座って、思ったよりもがっしりしてるゼノに体を預けてうとうとできるわけが無い。


 というかそうだ。そのゼノがそもそもおかしいんだ。


 普通に話す時と違う、耳から通って頭に意味を理解させるような不思議な声。


 あの人が腕を一振り、というよりちょっと手招きするだけで小瓶なんかの色んなものが自分の意思で近寄ってくる。


 小鳥を呼んでいた時も、ゼノが招くように声を出すとすぐ寄ってきた。その子達はゼノの言う事を聞き、とても嬉しそうに飛んでいった。


 私も、あんな風にゼノの言うことを聞いて褒められたい。


 でも、そんなことはあり得ない。


 だって夢だ。私みたいはボロボロの子供をわざわざ拾ってお風呂に入れて、美味しいご飯を用意して世話をするなんて、あり得ない。


 だからあの温かさも、優しさも、頼もしさも、全部夢。


 でも幸せだったから、つかの間の幸福はあれだけでいい。

 また目を開けたら、小さい窓から注がれる月の光を受けながら狭い部屋の中で丸まって過ごす。暗くなっても灯りをつけたら、あの人が私に物を投げつけるかもしれない。


 だから耐える。動かないように、ご飯がなくても死なないように。


 なぜ生きようとしているのかも、わからないまま。


「『あ、やっと起きた。よく寝ていたね』」

「っ!?」


 ゼノの声がして飛び起きた。

 私の寝ているらしい、これまでの環境とはかけ離れたふかふかのベットに腰を掛けて穏やかな笑みを浮かべて私を見ている。


 まだ夢の中なのか、それとも……


「『あれ、これなら意思ぐらいは伝わると思ったんだけど』」


 優しい声で柔らかく鼓膜が震える。その言葉の意味は分からなかったが、その声に乗った意味は頭の中でなんとなく分かった。


「えっと、分かる。なんとなく」

「『お、意味わかる? 伝わってるなら……うさぎみたいに両手を頭に乗せてみて』」

「っ……こ、こう?」


 ちょっと気恥ずかしさゆえに抵抗はあったが、特に難しい訳でも無いのでその声に籠った意思の通りに手を広げて頭の上に乗せる。


 やってみて分かったが、やけにすんなりとその命令が頭に染み渡り、当然のようにその命令を行える。


「『うん、聞こえてるね。可愛い可愛い』」


 そして何気ない動作で、ゼノは私の頭に手を置いて少しだけさらさらになった髪を撫でてくる。


 すると頭の後ろにピリ、ピリ、と不思議な電流のようなものが奔った。


 ——あぁ、またこれだ。


 この感覚はゼノからスープを食べさせられた時にも感じた。


 スープを一口飲んだ時、温かくて、美味しくて、幸せで、直ぐに二口目を飲もうと手を伸ばす。


 だがそれはゼノの手に止められて、さらにはスプーンも取られてとても悲しくて泣きそうになった。


 何をすれば食べさせてくれるのか、それをどうにか考えようとしていると、ふとゼノが手に持ったスプーンでスープを掬って私に食べさせてくれた。


 その時食べたスープは一口目と同じように温かくて美味しかったが、味では無くどこか甘く感じた。


 そして感じたのは幸せだけでなく、ゼノが直接食べさせてくれたという喜びだ。


 毎回少しづつ間隔を置いて食べさせられ、その待っている間の期待と合わせて、ゼノの手から食べさせてもらっているという感覚に頭の後ろがピリピリと痺れた。


 たぶん、良くない感覚だ。


 これが何なのか分からないけど、とても気持ちがいい事だというのは分かる。


「『ん? どうしたんだい?』」

「もっと……♡」

「『おや、気に入ってくれたのかな』」


 自然と声が出て、ゼノの大きな手に頭を押し付ける。

 それにゼノは楽しそうな声を出して、また同じように撫でてくれた。


 夢なのか、夢じゃ無いのか、もう何でもいい。


 今は、この人から与えられる快感に身を沈めていたかった。

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