第3話 エマとゼノ
「よし、こんなもんかな」
良い感じに子供でも食べやすい鶏肉のスープが出来上がった。これなら今の彼女でも食べられるだろう。
そうだ、どうせならアレも作るとしよう。
子供なら嫌いな子はいないと言われたことはあるが、彼女が気に入ってくれるか分からず少し不安だ。
食事の準備をしていると『すと、すと』と不安そうな足音を立てながら、僕のいるリビングに放置され荒れている長い髪を濡らした少女が入って来た。
「ほら、こっちにおいで。髪を乾かしてあげよう」
「—、————」
手招きをして、僕の前に置いた椅子に座らせる。
部屋の端に置いてあるタオルに向かってひらりと指を振るい、自分の元へ引き寄せる。
少女がその現象に「っ!?」と驚いた反応を示した。
魔術という技術が普及した今でも、というか魔術が普及した今の時代だからこそ、この光景は少し珍しいかもしれない。
しかしその子は、ただ珍しい物を見たというだけでは考えられない光を、その黒の瞳に宿していた。
(……これは、ちょっとの興味ってだけに収まらなさそうかな?)
危うさも感じる瞳だが、先ほどまで夢の中にいるような曖昧な目をしていたので、純粋に驚きを露わにしている表情を見れて安心した。
ホッとしながら、ソワソワしている少女の髪に日光の香りを含んだふわふわのタオルを被せて優しく水分をぬぐう。
女性の髪の拭き方は友人の長い髪を相手してきた経験がある。
だたそいつと違ってざらざらとしてしまっている髪に、この子がどんな経験をしてきたのかを想像しどうにも落ち着かない。
僕はこの子の境遇どころか、名前すら知らない。
コミュニケーションをとって、言語が無くても意思疎通が可能にする必要がある。
折角縁が繋がったんだ。彼女が求めるものを、これまでの苦痛に見合う分、僕に用意できる分だけ与えてあげても誰も文句は言わないだろう。
「暖かい風かけるね」
優しく耳元で話しかけると、小さくピクッと反応した。
近くに用意しておいたブラシと小瓶を魔術で引き寄せ、手の届く範囲に浮かばせる。
試しにその子の目の前にふらふらと移動させたら、それを追って目が動いた。
結構かわいい。
手から暖かい風を生み出し、普通にお風呂から上がった程度の濡れ具合にする。
「うーん、本当に痛んでるな。でも若いし、何とかなるか」
ブラシと共に引き寄せた小瓶の中からオイルをたっぷり掬い取り、それをまだ水分を持った髪につけタオルとブラシで馴染ませ、軽く艶の出た髪をストレートに梳く。
「本当は髪まで切りたいけど……」
さぁどうしようかと考えていると、少女のお腹から「くぅ~……」と可愛らしい音が鳴った。
「……先にご飯にしようか」
「……——————」
何といったか分からないが、多分「……ごめんなさい」なんて言ったんだろう。
赤くなった耳を見て、頭のてっぺんにストンと手を乗せる。
「すぐに持ってくるから、ちょっと待ってて」
キッチンまで歩いて、魔導具の上に置かれたチキンのスープが入った鍋を火にかける。
同時に、隣でずっとコトコトと煮詰めていた小さい鍋の火を止めて中を確認する。
「うん、良い感じだ」
その鍋に手をかざし、魔術で一気にその温度を下げる。こちらは食後のデザートなので、後ろに置いた冷蔵用の魔導具の中に入れた。
スープの方が十分温まったら、それを木製の器に注ぎ、慣れてなくても食べやすい木のスプーンを取り出して一緒に少女の前に置く。
「————?」
「うん、食べて良いよ」
「!!!」
「食べて良いの?」というように話しかけてきた少女に向かって微笑みながら頷く。
「あ、ちょっと待って」
胃が弱っているだろうから、ゆっくり食べさせないといけない事を忘れていた。
さっそくスープを掬い口に含んだ少女が目をキラキラと輝かせていたが、次の掬おうとした動作を容器と少女の間を手で遮ることで止めさせる。
言葉は分からないだろうが、動きで説明するのも難しそうだ。
ならばと、少女の手からすいっと木のスプーンを取りあげる。
絶望の表情を隠さずに僕に向けるが、そこに優しく微笑みかける。
「大丈夫だよ。はい、あーん」
スープの中には煮込んだ人参と玉ねぎ、硬くならないように解して熱が入り過ぎないようにした鶏肉が沈んでいる。
それをバランスよく掬い、少女の口元へ運ぶ。
すると今度は尋ねるような素振りも見せずにそれに飛びついた。
「—————♪」
「それは良かった」
蕩けた薄い笑みを浮かべて喜びか感謝のどちらかであろう言葉を伝えてきた。
なんとも素直な子だ。
既に少女の口からスープは消えていたが、それでもほんの少し時間を置いてもう一度口元へ運ぶ。
何度かそれを繰り返していると、理由は分からないかもしれないがゆっくり食べるべきだということは理解したのか、飲み込むまでの時間も遅くなった。
これならば大丈夫だろうとスプーンを返すと、僕が食べさせていた時より少しペースが速いが、それでもゆっくりとスープを飲んでいる。
「偉い偉い」
「———♪」
それが正解だと言う様に頭を撫でてやると、目を細めてほんの少しだけ表情を変える。
あまり感情の起伏は激しく無いようだが、じきに子供らしい反応になるだろう。
二杯目のスープを長い時間をかけてペロリと食べ終わると、少女は満足げな顔で「—————」と聞きとれない言葉を話す。
「さ、デザートだよ」
そんな状態の少女の目の前に、冷蔵していたベリージュースの入った木製のコップを置く。
幾つかのフルーツをミックスしてあり、砂糖と水で濃度を調節し少しトロっとさせている飲みやすいジュースだ。
少女はスンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐと、そのコップを両手で持ち上げちょびっとだけ口に含んだ。
「————♡」
「うん、喜んでもらえて良かった」
「———————!」
「甘いもの好きなんだね」
「♡」
相変わらずなんと言っているか分からないが喜んでいるのは伝わる。あまり表情の変わらない中で、その瞳は歓喜に満ちていた。
その後もちびちびと飲んでいたが、ふとコップを置いてぽつりと口を開いた。
「——」
「なんて?」
「——」
こちらに聞き取れない事が分かっているはずだが、それでも繰り返しその言葉を口にする。
ただ2回目にそれを口にする時、少女は自分の事を指差してそう言った。
「エ—」
「もう1回」
「エマ」
「エマ?」
「♡」
「エマか」
慣れない発音だが、違う言語の発音は慣れている。
「ゼノ」
「—ノ」
「惜しい。ゼノ」
「——ゼノ」
「ゼノ」
「ゼノ!」
「うん、完璧」
「———♡」
「偉い偉い」
「♡」
少女と同じ様に僕も自分を指しながら名前を何度も繰り返す。
きちんと発音できたときにスッと頭を突き出してきて、その頭をさらりと撫でる。
やはり表情はあまり変わらないが、目は喜びを雄弁に語っている。
「ゼノ♪」
「うん」
「ゼノ♡」
「うん。エマは偉いね」
「♡」
エマは何度も僕の名前を呼ぶ。
そのたびに頭を撫でてあげると、目を細めて僕の顔を見る。
「良い子だな。……本当に」
「?」
「よしよし」
「……♪」
エマの愛らしい反応に自然と笑みが零れるが、それでも手に伝わる放置された髪の手触りと、満足に食事が出来なかった細い体は変わらない。
「もう大丈夫だよ」
頬に手を置き、出来る限り安心できるようにそう語り掛けた。
◆
魔法使いはゼノって言うらしい。
ゼノは料理がとっても上手。
エマって呼ばれた時、心臓がキュっとした。不思議。
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