life.58 想定外の奥底で
不安定な冒険者稼業と比較して、″IPO″所属の捜査官としての生活は安定しているといえる。依頼の成否によって収入を左右される冒険者と違って、最初からある程度纏まった賃金を約束されているからだ。現代日本での出来高制に近い待遇といえる。
特に魔王としての名声に加えて多大な成果を挙げているマオ達ともなれば相当な──それこそ元社畜のユーマが腰を抜かすような報酬が支払われるのだが、それに反比例する形で削られるものがある。
即ち、プライベートだ。
なにせ冒険者と異なり″IPO″では仕事を選べない。指令とあれば従う他なく、慢性的な人手不足も相まってタイトな労働時間となってしまっているのが現実だ。その噂が人手を寄せ付けない原因なのだから、見事な悪循環である。
必然的にマオ達の生活サイクルも変化を余儀なくされ、徹夜でのゲーム大会などもすっかりご無沙汰となった。
スタミナお化けのマオやレベーリア、元トラック運転手でそういったサイクルに慣れているライバードは兎も角、仲間内で最も体力に欠けるユーマには辛いようだ。
「悪い、先に寝るぞ」
絞り出すように言って、ユーマは寝室に消えていった。まさか異世界に来てまで社畜の真似事をさせられるとは思わなかっただろう。その背中にはどことなく哀愁が漂っている。
「それで、考え事というのは?」
同居人が寝静まったことを入念に確認して、レベーリアが訊ねた。
「″ツェニート″はここ最近で急速に勢力を拡大し、ナローシュ王国での非合法活動を取り仕切るまでに成長している。元締めは″プロビデンス″だからそれは別に構わないとして、これ以上に勢いに乗られると困るんだよ」
そもそもの計画は、犯罪者ギルドをトリガーに現状の世界平和を崩壊させ、その荒廃した世界の救世主としてユーマを擁立する算段だった。結果的に彼が本当の勇者にさえ至れば、その過程で戦争が勃発しようが幾千幾万の犠牲者が出ようが知ったことではない。
故に″プロビデンス″が単に拡大を果たしただけなら計画に近付いたと喜べるのだが、下部組織の台頭となると話が異なってくる。
「コントロールができなくなる」
マオの懸念は、″ツェニート″を筆頭とする傘下組織の暴走だ。
「それは、殿下が末端を統制しきれないと?」
絶えず仮面で顔の上半分を隠したミコラの姿を思い浮かべながら、レベーリアは訊ねた。
″プロビデンス″の発足に魔王の力添えがあったとはいえ、彼女も馬鹿ではない。末端の暴走を察知したならハルトライナーを送り込むなどして即座に制裁を加える筈だ。
「前にキミらを襲った、イレギュラーな毒消草を覚えているかい?」
唐突に持ち出されたアレマタオールでの件は、一見すると無関係のように思える。
だが、レベーリアは彼女の言わんとしていることを悟った。
「あれも末端の暴走と仰りたいのですね」
「ミコラや戦闘院に確認したけど、そんな命令は出してないらしい。そもそもボクのお手付きを本気で狙うような真似はしないってさ」
確かに、ユーマに害を加えようものなら間違いなくマオとの関係性が悪化する。ミコラ達がそんな愚を犯すとは考えにくい。
レベーリアの存在を厄介に思ったとしても、やはりユーマを巻き込まないだろう。
「ボクとしては今のうちに潰したいんだ。ユーくんを襲った疑惑もあるからね。だけど──」
「単に全滅させたのでは″プロビデンス″の有力な資金源を失うこととなり、ともすれば折角の影響力を失うことにもなりかねない」
だからチマチマ削ることにした、とレベーリアはマオの心情を代弁した。ナローシュ国内の裏社会を統べる一大勢力を弱体化させるのは勿体ない気もするが、後々の暴走を防ぐための処置であればやむを得ない。
要は組織のスリム化だ。余分な部署や事業を廃して、意志疎通の円滑化や業務の効率化、生産性の向上を図るだけだ。リストラ通知が多少荒っぽい点を除けば、行うことは普通の企業と変わらない。
(……調子に乗れば殺すぞ、という警告のようにも思えるのは、きっと杞憂ではありませんのね)
慎重なのか、それとも臆病なのか、彼女の額にはうっすらと冷や汗が滲んでいた。
しかし実際には彼女の心配は思い込みだ。
何故なら、″ツェニート″に関連する件はマオの本来の計画に存在しないからだ。
▼life.58 想定外の奥底で▼
″ツェニート″やそのリーダーであるゼニスゼウスの存在について、マオは邪魔だと感じていた。これが大人しく傘下の枠組みに収まっているのであればそうは感じなかっただろうし、末端にしてはよく頑張っていると寧ろ目を掛けたかもしれない。
ゼニスゼウスが、マオの指示したタイミングよりも早期に
さも計画通りのような表情をしているが、実はマオの想定外の出来事だったのだ。
(あれは世論を″IPO″創設に完全に傾かせるためのプロパガンダで、冒険者ギルドでは相手にならないことを強調する見せ札なのに)
無論、簡単に倒されては演出にならないため、再生能力を与えることで最高位の黄金階級にも匹敵する程の魔物に仕立て上げた。
逆説的に、仮にユーマがスゴイカリバーの雷の力に目覚めていなければ、間違いなく殺されていたということである。覚醒したのは怪我の功名に過ぎない。
それだけでも到底許せないことだが、何より許容できないのはユーマを誑かした点である。
(ライやレベなら一億歩譲って良いとして、ゼニスゼウスごときに計画を邪魔されてなるものか。準備にどれだけの時間を要したと思ってるんだ)
マオは、何匹も苦虫を噛み潰す。
それでも深呼吸一つで冷静さを取り戻す姿は、流石に魔王を務めているだけのことはある。
「ボクが連中を邪魔だと思っているように、ゼニスゼウスもボクを消したくて仕方ないだろう」
「向こう側から仕掛けてくると」
「恐らくね。独断行動をミコラに咎められる前にボクの首級を獲れば、その功績を盾に黙らせることもできる」
レベーリアの言葉に、マオは頷いた。
「手段は幾らでもあるんだ。そこらの子供を人質にするのもいいし、壁を破壊して魔物を呼び込んでもいい。なにせ相手はイリーガルな連中だ。それこそ都市一つを焼くことすら厭わない筈だよ」
「魔王の首が取れるなら安いということですわね」
レベーリアは納得する。かつて同僚の
「まったく、間抜けな話だよ。まさかボクが何かを守るために戦うなんてさ。まあ来るなら全力で叩き潰すだけなんだけどね」
勇者育成計画は、その過程において戦争という大規模な破壊行為を勃発させる代物だ。それを立案した張本人が、破壊を食い止めるために奔走する羽目になるとは皮肉でしかない。
とはいえ、コントロールを外れた爆弾の放置は、将来的な脅威を自ら生み出すことと同義である。
「いつ頃に仕掛けてくるとお考えですの?」
その問いに少し考えてから、「早ければ」とマオは前置きした。
「──明日だ」
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