life.54 王零

(……勇者育成計画、か)


 マオの言葉について考えながら、ユーマは窓の外を眺める。この病室はどうやら中庭に面しているらしく、夜の闇の中に浮かぶ木々はどこか寂しげだ。

 眼を覚ましたユーマは、心身に問題なしと診察されたものの、大事を取って一日だけ入院することとなった。

 女性陣は面会を終えて既にホテルに戻っており、今夜は個室に彼一人で過ごさなければならない。木々を寂しげだと表現したのは、無意識に自分の状況と重ねたのだろう。

 或いは、自分の知らないマオの一面を垣間見た影響もあるのかもしれない。思わず心の中で呟いてしまう程に、彼女の言葉は衝撃的だった。


(勇者ってのは、やっぱ俺のことだよな。すると育成ってのはレベルアップさせていくことなのか?)


 前世で遊んでいたRPGやソーシャルゲームが、脳裏に過った。キャラクターやモンスターに経験値を割り振ることでレベルやスキルを上昇・強化させるシステムは、人材教育という意味では育成計画に近い。

 すると、マオは最初から自分の理想通りの勇者を擁立するために自分を拾ったのだろうか。

 ユーマの顔に、陰が差した。

 そうと決まった訳ではないが、一度浮かんでしまった疑惑を振り払うのは容易ではない。


「マオを疑うなんざ、俺ってばクソ野郎だな」


 スゴイカリバーを解放した反動で倒れた彼を病院に搬送してくれたのも、個室を手配してくれたのもマオの力によるものだ。そればかりか、再生能力を有した毒消草についての報告作業も引き受けてくれている。

 積み重なった恩を返しきれるのか。いつになればマオの隣に立てるのか。焦燥ばかりが彼を襲い、駆り立てる。

 浴室で女性陣に襲われた際の抵抗があまりに弱かったのも、マオの役に立てるなら、という自己犠牲が根底にあった。結局は快楽に押し流されたが。


「ほう、勇者でも悩むことがあるとは驚いたぞ」


 唐突に扉が開き、銀髪の美女が姿を現した。濃紺色のズボンに水色のシャツを合わせた服装から察するに巡回中の警備員だろう。

 ユーマは、「煩かったですかね」と平謝りした。一人言が廊下にまで聞こえたのかもしれない。


「消灯時間はとっくに過ぎているからな。他の入院患者のためにも控えてくれるとありがたい。しかしそのままでは汝も眠れんであろう?」


 高圧的な口調で、美女は続ける。


「どれ、この王零おれに話してみろ。或いは解決の糸口が見つかるやもしれんからな」


 ともすれば魔王よりも魔王らしい風格にユーマは気圧されたが、彼女の言うことにも一理ある。

 大抵の物事は、一人で抱え込むよりも誰かに相談した方が良い方向に進むものだ。また、胸中の澱みを吐き出すことが前進のきっかけになる場合も多い。

 強いて不安を挙げるなら、彼女の雰囲気が、件の肉食系な女性三人組を彷彿とさせて仕方ない点だ。一夜のアバンチュールを期待する訳ではないが、思わず身構えるのも当然だった。


「怯えているのか? 可愛らしいな。だが期待させて悪いが、この王零おれは別に魔王殿の男を接収しようと企んではいない。ただの気紛れだよ」


 自己紹介がまだだったな、と美女は不敵な笑みを浮かべた。


王零おれはゼニスゼウス。この病院の夜間警備を任されている、どこにでもいる普通の警備員だ」


 どこが普通だ。

 ユーマは口まで出かかった言葉を飲み込んだ。世の中には言わなくていいこともあるのだから。

 強化合宿の成果として、少し女性との接し方を学んだユーマである。


▼life.54 王零▼


 勇者育成計画の部分を誤魔化して、彼は悩みの種を打ち明けた。お陰で、ある理由で恩人を疑ってしまい心苦しい、というような無難な内容に終わったが。

 その恩人の正体をゼニスゼウスは察したが、敢えて名前を出すことなく、ただ黙って説明を聞いた。

 目の前の純朴そうな青年が魔王のお気に入りであることは公然の秘密であり、余程ゴシップに疎い者でなければ誰もが知っている。彼女もまた噂を耳にした者の一人だ。

 それ故に、勇者の悩み事も容易に想像がつく。


「俺にとって、その人は命の──勿論それだけじゃないですけど、恩人なんです。だから」

「疑いたくないと」


 ゼニスゼウスは呆れたように溜め息をついた。


「察するに汝は板挟みになっているのだ。恩義と疑惑の二つの間でな。然らば、解決する手段は一つしかないであろうが。それに気付けぬような愚者ではあるまい?」

「……正面から訊ねてみる、ですよね」

「何のために言葉があると思っている。胸中を伝えるためだろう。ぶつかることもあるかもしれんが、そもそも他者とのコミュニケーションとはそういうものだと王零おれは思うがな」


 持論を展開するゼニスゼウスに、ユーマは感嘆の声を漏らす。


「しっかり考えておられるというか強い芯をお持ちというか……すいません、馬鹿にする意味ではなくてですね」

「そんな細事を咎める王零おれではないよ。それにここの同僚からもよく言われるからな。まるで姉のようだ、と」


 実は末っ子なのだがね、と彼女は肩を竦めた。


「ご兄弟がいらっしゃるんですか」

「これがまた揃いも揃って不出来でな。必然的に優秀にならざるを得なかった。しかし今の王零おれがいるのも奴らのお陰だ。その点だけは感謝しているよ」

「はあ、それはまた……」


 言葉の端々に宿る棘から、どうやら兄弟達とは不仲であるらしい。

 ここは藪から蛇が出てくる前に話題を変えるのが吉だろう。


「ご趣味は何ですか?」

「ほう、この王零おれを口説くのか!」


 話題に困った末の爆弾発言に、ゼニスゼウスはケラケラと笑った。


「魔王だけでは抱き足りぬか。顔に似合わず中々どうして好色な奴だ」

「今のは忘れてください」

「いやいや、その大胆さは気に入ったぞ。さりとて王零おれも職務中の身だ。残念ながら抱かれてやる訳にはいくまいよ」


 そうでなくとも、病室で致したとマオ達にバレたときには、それが二人の命日となるだろう。

 退院はできるだろうが、行き先は葬式会場だ。


「ほら、王零おれとはコミュニケーションが取れているではないか」


 ゼニスゼウスの銀の眼差しは、子の成長を促す親のように暖かいものだった。


「その意気だ。納得がいくまで恩人を質問責めにしてやればいい」


 そこで言葉を区切ると、直前まで浮かべていた笑みを消して、「ただし」と彼女は釘を刺す。


「言葉とは薬にも毒にもなる。故に感情に任せるのではなく、常に冷静を保ちながら交わすのだ。そう心得ておけ」

「分かりました」


 ユーマは強く頷いた。

 勇者育成計画の詳細をマオに訊ねよう、と決意したのだ。

 「励めよ」とエールを送り、ゼニスゼウスは病室の外に出た。そのままフロアの巡回を進めていき、それを終えると病院一階の警備室に戻った。


「どうでした? 噂の勇者様はー?」

「ユピアか」


 ゼニスゼウスが警備室の扉を開けると、ユピアと呼ばれた同僚の少女が缶コーヒーを片手に訊ねた。


「素直で初々しい青年だったよ。しかし顔とは裏腹に大胆不敵な男でな」

「ほほう」

「不敬にもこの王零おれを口説いてきたぞ」

「ブフォッ」


 ユピアは飲んでいたコーヒーを吹き出した。

 顔とスタイルが整っているとはいえ、まさかこの天上天下唯我独尊を煮詰めたような女を口説くとは思わなかったからだ。

 過去に幾人もの男共を撃沈させたことも知らないで、と命知らずの勇者に思わず合掌した。


「殺してませんよね?」

「この王零おれをなんだと思っている」


 犯罪者ギルドの一員です。

 ユピアは口まで出かかった言葉を飲み込んだ。やはり世の中には言わなくていいこともあるのだ。

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