life.50 藪の中籠の中

▼life.50 藪の中籠の中▼


「はてさて、どないしよーか。ウチこっから歩いてナローシュに行かなあかんやん。ま、為せばどうにでも成るやろ」


 ヒッチハイクでもしたろうかな、と冒険者の少女ナセルナル=ナナはわざとらしい溜め息をついた。

 護衛も兼ねて乗っていたバスは既に大破・炎上しており、とても走れそうにない。

 それでも好戦的に口角を吊り上げているのは、この紅髪の少女が根っからの戦闘狂いであるからだ。

 多額の報酬に惹かれたのでもなく、世のため人のために稼業を始めたのでもなく、魔物との殺し合いの中に生を実感するために冒険者となった、生粋の異端者である。

 だからこそ、彼女は駆け出し時代からの相棒たるファルシオンを片手に滑らせ、バスを大破させた襲撃者を睨む。


「流石にリューリー連邦が送り込むだけのことはあるようですね。実にしぶとい」


 言葉とは裏腹に、襲撃者は退屈そうに言った。

 夜の闇を歩み寄る姿は熟練者のそれで隙がなく、しかしバスを包む炎に照らされたその顔はまだ年若い。十代後半から二十代前半、対峙するナセルナルと同年代だろうか。


「なーんや、女かいな。残念やけどウチはイケメンからのナンパ以外はお断りやで」


 ケラケラと笑いながらも、ナセルナルはすぐに笑顔を引っ込めた。

 そして、核心に触れるべく質問する。


「──で、誰の差し金なんや? 巷で噂になってるテロリスト集団か? 大人しゅう吐いてくれたら苦しまずに死なせたるわ」


 ナセルナルは、少しでも情報を得ようと相手の一挙手一投足を観察する。

 見れば見る程に、戦闘に特化した姿だ。

 水色のシャツの上から白い防弾チョッキを纏い、膝や肘といった関節部分にはローラースケート用と思しきサポーターを装着している。シャツと同色に揃えられたズボンも、300年前の軍用のものを模倣して作られたという、動きやすいミリタリーのそれだ。

 無論、当時品ではなくファッションとしての衣装を流用したのだろうが、高い運動性を有していることに変わりはない。


「抵抗は無駄ですよ」


 言うが早いか、女の姿がその場から消失した。

 そして次の瞬間には、ナセルナルの警戒網を擦り抜けるように懐に潜り込み、彼女の無防備な腹にアイスピック──に似た小型の刺突武器を突き刺そうと試みる。

 だが、その寸前にナセルナルが大きく後方に飛び退いたことで、アイスピックは宙を切る。

 その洗練された動作から相手の実力の一端を感じ取ったナセルナルは、心底嬉しそうに舌舐りした。

 ファルシオンを右手に握り、普段は服の下に隠している翼を背から解放する。


 三対六枚にも及ぶ紅蓮の剛翼は、フェニックス種に属する魔人の特徴だ。


 翼をはためかせ、真っ正面から女に向かって突撃する。超高速の勢いそのままに振り抜かれたファルシオンの一撃は受け止めんとしたアイスピックの刃を粉砕し、女の首筋を切り裂くべく迫る。

「嘗めるな」空かさず女は懐からダガーを取り出し、振り下ろすようにファルシオンの刃に叩き付けると、その軌道を力任せにねじ曲げた。

 更に反動を起点として蝗のように跳躍し、獲物を喰らわんと大口を開ける虎の如く、ナセルナルの頭上から襲いかかった。


 突然の奇襲にもナセルナルは動揺せず、盾の代わりに剛翼を展開し、ダガーの刃を弾く。「やるやん♡」と獰猛に笑う彼女の視界を切り裂かれて撒き散らされる赤い羽と、それによって噴き出た自分の血が覆う。口から飛び出した高笑いは、戦いを楽しんでいる証拠だ。


「えーやん、気に入ったわ! 楽には死なせへんぶち殺したるメッタ斬りにしたる! せやからウチを殺したかったら──全力で挑んでやっ!!」


 月下に轟く咆哮が、反撃の合図だ。

 女の腕を掴み、叩きつけるようにして地面に引きずり下ろすと馬乗りになり、その端整な顔に目掛けてファルシオンを振り下ろした。

 職人にオーダーメイドで製作してもらった愛剣は肉斬り包丁に似た形状をしており、鉄板にも勝る分厚さの刃は頑強な魔物の肉体すらも容易く叩き斬ってきた。魔人のそれなど紙を切るのと等しく、逃れる術はない筈である。


 だが、女は驚くべき手段で対抗してみせた。


 なんと自ら左腕を刃に食い込ませ、即席の肉盾としたのだ。当然、肘から先が鮮血を伴って宙に舞うが、腕を失った甲斐はあった。思いがけない奇策を前にナセルナルの動きが一瞬だけ停止したのだ。

 生じた隙は、あまりにも致命的だった。

 無防備そのものな腹に、今度こそダガーを深く、そして念入りに突き刺す。


 ナセルナルは、唐突に腹部を襲った激痛に思わず「ぐっ」と呻き声を漏らし、それと同時に全身の力が抜けていく感覚に陥った。

 そうして、ろくに抵抗できないまま女に手足を拘束され、眼前に銀色の刃を突きつけられる。

 互いの立場は完全に逆転した。

 女が本気であると悟ったか、ナセルナルは痛みを堪えながら口を開く。


「ま、待ってえや……ウチは死にとうない……」


 人生最初の命乞いの言葉は、死への恐怖に対しての涙に濡れていた。彼女にとって、やはり生まれて初めての体験だった。


 だが、相手にそれを受け入れてくれる情があるかどうかは、また別の話である。


 新手と思しき若い男が、命乞いを続ける彼女の傍らに歩み寄る。ナセルナルを見下ろす眼差しは蛙を見付けた蛇を彷彿とさせ、見逃してくれるとは到底思えない。女と同様に鍛えられてはいるだろうが、その男の体格自体は小柄で、普段なら一蹴できた相手だろう。

 しかし、状況がそれを許さない。

 必然的に残された手段は限られる。相手が男なら身体目当てに生かす場合もあるかもしれない。

 幸いにも、″血化粧″という物騒極まりない異名に反して、ナセルナルの顔立ちは客観的に見て並みよりも整っており、またスタイルにも恵まれている。そして本人もそう自負していた。


 故に、身体を差し出す代わりに命が拾えるなら安いもの、と彼女が判断したのも、その考えを実行に移したのもある種当然の帰結だった。


「お願いや、命だけは助けてくれんか! そしたらウチなんでもするから……!」

「少しやり過ぎだよ、アリッサ。素体に用いると仰られていただろう。使い物にならなくなればどう責任を取るのだね」


 眼下から飛んでくる叫びを無視して、白衣の男は事務的な口調で告げた。

 それに対して、アリッサと呼ばれた女は、「抵抗されたものですから」と口を尖らせた。

 二人に与えられた命令は、魔王マオに合流すべくナローシュ王国に向かおうとしている女冒険者達全員の拉致である。単に殺すのではなく魔法の実験台に使おう、という上の意向に沿ったものだ。

 そして、アリッサと男──ハイドの実戦テストも兼ねていた。二人は300年前の忌々しい技術の産物として誕生したばかりであり、単純な能力は兎も角、戦闘経験が圧倒的に足りていない。その弱点を克服するためのテストだ。


「誰か来ても面倒だ。さっさと眠らせて──おや、左腕を失ったのかね?」

「問題ありません。断面を当ててやれば元通りにくっ付きます。それにしても、我々は実に便利な肉体を与えられたものですね。痛みもなく、死への恐れもない」

「おいおい、この牝を怯えさせてどうする。安心したまえよ。次に眼が覚めたときには、君もこの素晴らしい力を与えられているだろう。だから安心して眠るのだね」

「やめろ……やだ、やだぁぁぁぁぁっ!!」


 泣き喚いて抵抗するが、ナセルナルは強引に眠らされた。「時間ピッタリですね」ハイドの視線の先にはクーリオと、彼らが主と崇める戦闘院即籍の姿があった。


「主よ、ナセルナル=ナナの捕獲に成功しました。次はどういたしましょうか」

「ごくろーさん。ほんまやったら少し休憩したいとこやけど、まだまだリストに記された名前は残っとるからな。とっとと次の場所に移動しようか。ほなクーリオちゃん頼むわ」

「警告〉あまり調子に乗るなと警告。私は貴様の一人遊び用の玩具ではない」


 相変わらずの毒舌に、即籍は肩を竦めた。

 コミュニケーションの大切さや必要性を完全に否定する訳ではないが、最も気楽に生きる方法は相手を自分の支配下に置くか、または最初から支配下にある存在を製作することである。それだけでストレスのない平和な世界が完成するのだ。

 一人遊びの何が悪いのか。

 即籍は不満を隠せないまま、手元のリストをパラパラと捲っていく。


 そこには今回の標的である女冒険者達の写真と個人情報、そして事前に政府に提出したのだろう、ナローシュ王国までの移動ルートや日程の詳細が記されていた。


「……それに、その方法やないと今回の女狐りはできへんかったしな」

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