life.40 勇者を目指せ

 物音に気付いて上体を起こしたユーマは、思わず寝室の入口を二度見した。

 入口にはマオと、彼女の背に隠れるようにしてレベーリアが立っている。最近はベッドに三人で川の字を描くのが習慣となっており、故に女性陣が寝室を訪れたこと自体は不思議なものではない。


 それはそれとして、「はい?」とユーマはすっとんきょうな声を漏らした。寝起きだというのに、脳と視界はすっかり冴えて、ただ目の前の光景に対する説明に飢えている。


 マオとレベーリアが身に纏っているのは、半透明な黒のネグリジェだ。


 布越しに露にされた、しなやかに鍛えられながらも女性特有の丸みを残した美しい身体に、さしものユーマも視線を釘付けにされる。女性経験のない朴念仁とはいえ、彼とて異性に興味がない訳ではない。恩人に手を出すまいと強固な理性で踏ん張っているだけである。


 つまり、マオの策の悉くが裏目に出たのだ。


 これに気付いてないのは、策を仕掛けた張本人と、彼女が手に入れたくて仕方のない勇者だけだろう。第三者から見ていて、二人の間に横たわる一方的な矢印は手に取るように分かるのだ。

 自業自得か、それとも哀れむべきか。

 なんとも言えない表情のレベーリアを従えて、マオはベッドへと歩み寄る。


「別に夜這いとかそういうR18な展開にしようとは一切考えてないから、どうぞキミは安心して眠ってくれたまえよ」


 目は口ほどに物を言う、という例えもあるが、どうやら両手も物事を雄弁に語るらしい。ワキワキと踊るマオの手は殊更に淫靡で、欲望丸出しの動きだ。

「からかうのはよせ」ユーマは、そっぽを向いた。視線だけはチラチラと動かしてしまっているが、「はしたないぞ」と制止する理性は鋼の如き頑丈さである。


 マオは顔をしかめたものの、彼の隠しきれない視線から確かな手応えを感じた。ネグリジェはユーマのフェティシズムを大いに刺激することが判明しただけでも儲けものだろう。

 こっそり通販で取り寄せた価値はあったようだ。


「じゃあ一緒に寝よう。それは構わないよね?」


 マオは、満足そうに笑いながら提案した。全体的に黒を多用した、落ち着いた雰囲気の寝室の隅には、これも通販で購入したばかりの真新しいベッドが置かれている。レベーリアが居着くようになってから購入したものだ。


「少し窮屈ですわね」


 ベッドに身体を入れながら、レベーリアは呟いた。以前のそれは二人で寝るには不足だったが、今回もスペースが足りないらしい。


「ごめんごめん、注文するときにサイズを間違えちゃってね。このベッド、二人用なんだ」


 わざと間違えたことは記すまでもない。


「詰めれば平気だよ。ほらほら、美女二人のサンドイッチだ」

「ユーマさんは天下第一の幸せ者ですわね。世の男がどんなに望んでも叶わないというのに、いとも簡単に叶えてしまうのですから」

「あ、暑い……」


 疲れたように言いながらも、両腕に押し当てられる豊かな膨らみについ意識が向いてしまうのは男の性だ。するとマオは、今が好機とばかりに三桁越えのサイズのメロンを押し付ける。


「触ってみるかい? それとも吸うのかな? 好きにしてくれて構わないよ」

「意地でも寝かさないつもりか」


 マケンプトンの騒動で疲れてるんだ、と安眠を遠回しに懇願した。そうでなくとも早起きして日課のランニングに出掛けないとならない。

 しかし、「そんなに魅力ないかな」と落ち込むマオを見て、ユーマは慌てて宥めた。魅力に欠けるのではない。恩人ということもそうだが、魅力がありすぎて自分では釣り合わないと彼が勝手に諦めているだけだ。

 それでいて時たま独占欲を覗かせるのだから、ある意味でお似合いの二人である。


 交渉の末、女性陣の抱き枕にされることでユーマは手を打った。普段と変わらないが、マオ本人は納得しているのでヨシとしよう。


「相変わらず甘いですわね」


 レベーリアは、引っ付き虫と化しているマオを一瞥する。無邪気に喜ぶ姿は、倉庫裏で野望を語った魔王と同一人物とは到底思えない。尤も、彼女自身も他人のことを言える状況にはないが。


「その甘さが、いずれ自分の身を滅ぼしますわよ」

「……そうかもしれませんけど、俺は誰かを殺したくなんてありません。俺はスローライフを送りたいだけなんです」


 敵を殺せないことは、勇者失格なのだろうか。無論、逃走される可能性や被害拡大の危険性を考慮すれば確実に命を摘んでおくべきで、ハリエールへの処置に対する彼の判断は甘いかもしれない。


「大切な人を失っても同じことを言えると?」


 先程の指摘には敢えて複数の意味を持たせているのだが、その裏の意図をユーマが理解していないと察しながらも、彼女は話の流れに合わせて手厳しい言葉を投げた。


「こちら側の死傷者はゼロ。犯人連中も生け捕りにして空き倉庫や病院に放り込んで、事件は無事に解決しましたわ。ですが、次もその次も上手くいくとは限りません」


 手心を加えたせいで犠牲者が出たらどう責任を取るつもりか。暗にそう指摘され、ユーマはぐうの音も出ずに押し黙った。

 マオは確かに強いが、物事に絶対はない。

 彼女を上回る実力者が現れるかもしれないし、今日のように人質を盾にされるかもしれない。言い返せないということは、無意識に彼女の強さに甘えていた証拠だ。


「殺すべき、なんでしょうか」


 この期に及んでも、ユーマは覚悟を決められない。魔物相手ならいざ知らず、やはり人の命を摘むことには抵抗があった。


「治安維持に必要な犠牲さ。ユーくんが気に病む必要はないよ」

「簡単に言うなよ……」


 勇者は、絞り出すように言った。マオやレベーリアの言い分が正しいと頭では理解していても、善良な元一般人の感性がそれを頑なに拒んでいるのだ。

 壁外を我が物顔で跋扈する魔物のみならず、これから加速度的に秩序が崩れていくだろうこの異世界において、その甘さは自分や仲間の死に直結する。

 元一般人にそこまで求めるのは酷だが、割り切ることも必要だろう。


「焦らず、少しずつでも慣れていけばいいよ。先ずは魔物相手に実戦経験を積むことからだね」


 彼の胸板に顔を埋めながら、マオが提案した。

 薬草などの魔物討伐はできていたので、戦闘行為そのものがユーマは苦手という訳ではない。寧ろ、成り立ての新人冒険者とは思えない成長速度を示している。センスと努力が彼をそうさせたのだ。


「不殺を貫くにしても腕前がないと話にならない。このところ忙しくて討伐依頼もこなせてないし、明日は一日休んで、明後日に修業も兼ねて討伐に出掛けようじゃないか」

「また薬草採集を?」

「いや、もっと上の階級だよ」


 冒険者達の階級と同じように、魔物にもそれが割り振られており、例えば話に上がった薬草は最下位の鋼鉄階級、ポーションは二つ上の銀階級の魔物である。

 因みに現在のユーマの素の実力はといえば、両者の中間に位置するだろうか。薬草は苦もなく単独討伐可能だが、ポーションに挑むのは間違いなく時期尚早だ。

 とはいえ、そのことはマオも承知している。


「銅階級の魔物に」マオは、敢えて一度区切ってから、次の討伐依頼の標的を口にする。「毒消草ってのがいるんだ」


 言うまでもないが、毒消草は薬草の亜種だ。階級的にはポーションより劣る程度の危険度であり、新人冒険者や民間人には脅威だが、ベテランからすれば薬草と大差ない。

 それからも説明を続けるマオだが、眠そうに瞼を擦りながら、ユーマは遂に音を上げた。


「……もう寝るぞ」


 ユーマはそう言って深い眠りに就いたのだが、途端に両脇の女性陣が嬉々として会議を開催したことを彼は知らない。


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