life.39 マオの願い

 関係各所への報告を終えて、クッコロと別れた三人はマオの家へと戻った。

 諸々の後始末を丸投げされたナダメル首相は今頃大慌てで会見の準備をしているだろうが、そんなことはマオ達には関係ない。事件解決の立役者として打診された会見出席も断っている。


 リビングに辿り着くや否や、ユーマはソファに飛び込んだ。


 戦闘で負った肉体的及び精神的な疲労が、彼を深い夢の中に閉じ込めようとしているのだ。

 社畜の時代のままであったならこのまま爆睡しただろうが、マオの手前、風呂に入らず汗臭いままでいるのは憚られた。尤も、それは女性陣も同じことを考えていたが。


 家主のマオと、彼女に誘われたレベーリアに先に風呂を譲り、ユーマはソファに背を沈める。そして天井を仰ぎながら、ぼんやりと今回の戦いについて思いを巡らせる。

 ハリエールを殺せなかったのは、自分の覚悟が足りない証拠ではないのか。

 かつてレベーリアが語ったように、後々の被害拡大を防ぐ為の処置だと割り切るべきだったのか。


 そんな考えが脳裏を過る度に、殺すことが本当の正義なのか、とサラリーマンの頃の自分が叫ぶ。


 異世界を知らない分際で、と疎んじることは簡単だが、あれは人として失ってはならない部分が自分自身の姿を真似て顕現したもので、道を踏み外さないように忠告しているのではないかとも思う。

 風呂のある方向から響く女性陣の姦しい声をBGMにして、延々とユーマは思考を続けた。一人で抱え込んで視野を狭めてしまうのは、彼の昔からの悪癖であった。


 だーれだ、と彼の視界が唐突に途切れた。


 石鹸の清潔な香りが、ユーマの鼻をくすぐる。

 視界を覆う白く美しい手は、間違える筈がない、マオのそれだ。「お風呂、空いたよ」予想通り、手の持ち主はマオだった。

 ユーマは、「分かったよ」とだけ言ってソファを立ち上がる。顔から首筋、そして胸元へといやらしく這っていく手から逃れる為である。耐性はまだ付きそうにない。


 そそくさとリビングを後にする彼の背を眺めながら、誘惑を仕掛けた張本人は、意気地無し、と肩を竦めた。


 生物が持つ、生命の危機に瀕した場合に子孫を残そうとするらしい。種を絶やさぬ為の、謂わば本能であるとマオは聞いたことがある。

 ユーマに戦いを促した理由は荒廃した世界を救う勇者に仕立てる為だが、実はもう半分はそれに起因する。

 即ち、命のやり取りを経た後なら、高められた性欲から簡単に誘惑に乗るのではないかという策だ。


 結果は、記すまでもない。


「……ボクって魅力なかったりする?」

「喧嘩売ってますの? ミス冒険者連続一位記録を絶賛更新中の癖に。ファンクラブの方々が聞いたら泣きますわよ」

「ボクが欲しいのはファンじゃなくてユーくんなんだけどなあ」


 早く陥落すればいいのに、とレベーリアは内心で愚痴を溢した。

 そうすれば魔王も大人しくなるだろう。


▼life.39 マオの願い▼


 案の定とするべきか、風呂上がりのユーマはマオの誘惑にも負けず、早々に寝室に消えていった。昼間の戦闘での疲労と、翌朝もランニングが控えているからだ。

 あの様子なら、すぐに熟睡するだろう。

 マオはテーブルに手を突いて、対面に座るレベーリアを見据える。直前まで和気藹々とした雰囲気を醸し出していても、いざ会議の開始となると緊張したのか、レベーリアの返した笑みはぎこちない。腹を探った相手が目の前にいるのだから、警戒の一つぐらい当然だろう。


「おやおや、笑顔が固いね。別に取って食べようって訳じゃないんだから、スマイルスマイル♪︎」


 本人的には、楽しく答え合わせをしたいらしい。

 レベーリアはやや気圧されながらも、自分の辿り着いた解答を語った。荒廃した世界の救世主にユーマを仕立てようとしていること。″プロビデンス″と手を結んだのは利害の一致であり、現行の社会制度の崩壊と戦争勃発を企てていること。

 マオは、ココアを飲みながら心底楽しそうに彼女の推測を聞いた。

 その黒い相貌が、仄かに煌めきを増す。


 警戒を強めた訳ではない。

 わざとヒントを与えたとはいえ、自力で真相の一端を掴んでみせたレベーリアに感心しているのだ。


 ミコラによれば、彼女は情報収集役として優秀な人材であるようだが、この聡明さは良い意味で予想以上だ。幹部に名を連ねるのも納得であり、やはり殺すには惜しい。

 仲間に引きずり込もう、とマオは決めた。

 パーティーや利害関係ではない。ユーマを救世主に至らせる為の計画を遂行する、本当の意味での仲間である。


 核となる策の名を、勇者計画という。

 魔王の、魔王による、魔王の為の勇者育成計画。


 その達成には計画に携わるメンバーの選別が重要で、レベーリアは合格の範囲内だ。ココアを一口啜り、「よくできました」とマオはレベーリアの推測が事実であることを認めた。

 一方のレベーリアはといえば、魔王の称賛に複雑そうな表情を浮かべている。


「世界を崩壊させた後は……″プロビデンス″を潰すおつもりで?」


 懸念事項を、レベーリアは口にした。

 利害関係の一致による共闘であるのなら、目的を達成すればそれは自ずと解消される。待ち受けているのは口封じだろう。


「別に虐殺したりは考えてないかな。だって曲がりなりにも今の裏社会のトップだし……」


 面倒臭そうに、マオは続ける。

 現状の″プロビデンス″は幾つもの下部組織や傘下を有する一大勢力と化しつつあり、世界崩壊時には裏社会の頂点に君臨しているであろうことは確実だ。

 そのタイミングで下手に頭だけを潰してしまうと、統制を失った末端連中が暴走する可能性が高い。

 収拾がつかなくなるよりも、″プロビデンス″にはそういった連中をある程度制御してもらった方が都合がいいのだ。


「他に質問はあるかい?」

「なら今一つ。ユーマさんに固執する理由は?」


 マオが冒険者ギルドに連れてくるまでユーマは全くの無名で、レベーリアも彼のことを知らなかった。前々から付き合いがあったにしても、今更になって表舞台に出すのは不自然過ぎる。つまり二人は本当に出会って間もないのだろう。

 彼の何がそうまでマオを惹き付けるのか。


「ユーくんはね、ボクの家族になってくれるかもしれないんだ」


 マオは、思い出を語るかのような口調で言った。


 その特殊な立場故に魔王達は独身を貫いてきたらしい、とレベーリアは聞いている。

 マオの言う家族とは、親兄弟ではなく、伴侶を指したものだろう。将来を共に歩む相手としてユーマを見出だしたに違いない。


「……既に知っていると思うけど、魔王を名乗る連中はどうも恋愛事に縁がない。それはこのボクも例外じゃなくてね」


 温くなったココアを啜り、マオは「どいつもこいつも見る目がないんだ」と口を尖らせた。美貌に釣られて掌返しするような男など論外だ。


「ボクの力や責務を全て受け入れてくれるような人は中々いなくて、独身のまま死ぬのかなって覚悟もしてた」

「そんなときに、ユーマさんと出会ったのですね」

「やっと手に入れたんだ。彼のためなら、ボクは世界だって敵に回すさ」


 かつて迫害を受けた反動だろうか。

 マオの捧げる愛は、あまりにも歪だ。


「さて、答え合わせは終わったけどキミはどうする? 今なら愛人枠にしてあげてもいいよ」


 マオは訊ねたが、レベーリアの返答は一つしか許されていない。

 ここで彼女の手を取らなければ、明日には海に沈められていることだろう。愛人枠とは、ユーマに抱かれろということか。

 どちらにせよ、拒否権のないレベーリアは黙って頷く他に道はなかった。


「よーし、仲間も増えたことだし、早速だけどダイスを振るとしよう」

「……振るとどうなりますの?」

「知らないの? 今日の寝間着が決まる」

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