life.38 世界を愛で貶めて

 マオの言葉と、これまでに得た情報から、聡いレベーリアは彼女の目的を断片的に理解した。


 無論、全ての真相を明らかにした訳ではない。というより現段階でそれを成そうものなら、計画達成の障害と見なされ即座に殺害されてしまうだろう。上司のミコラとて、魔王の機嫌を損ねない為なら生け贄に捧げる筈だ。

 雉も鳴かずば撃たれまい、という言葉もある。

 故にレベーリアはそれ以上に口を挟まず、寧ろ一歩下がって彼女達の会話を立ち聞きしながら、脳内で情報を整理する作業に着手した。


 大前提として、移り変わりゆく世界情勢について触れなければならない。

 今現在の国際社会は、300年間も続いた長い平和の殻を破ろうと足掻く過渡期に突入している。或いは強制的に突入させられたとするべきか。理由はどうあれ、大陸諸国は300年前の姿を再び取り戻そうと急いでいる。


 その理由は、急増が予測される凶悪犯罪に対応せんとする各国首脳の決断も勿論あるが、一番の要因は世論の熱狂である。

 即ち、平和の崩壊を敏感に感じ取った大衆やメディアが声高に叫んでいるのだ。首脳を筆頭とする政治屋はあくまでその代弁者に過ぎない。


 ただし広い視野と高い判断力を求められる首脳陣とは違い、彼らのそれが極めて狭小且つ短絡的であることは留意すべき点である。


 大衆は、それさえ成されれば凶悪犯罪が消滅するのだと言わんばかりに、国際警察の発足を強硬に主張する。家族や友人が害される恐怖を思えば当然の反応だが、過熱した世論がやがて過激化していく危険性は黙殺される。


 仮に国際警察が大衆の期待に見合った活躍を果たせなかった場合、彼らはより大いなる力を求め、懸命に祈り、そして縋るだろう。その状況で軍隊の復活を提案されれば盲目的に飛び付く筈だ。


 そうして論点は瞬く間にすり替えられ、諸国は治安維持の名の下に軍拡路線に舵を切り、小競り合いを発端として大陸規模の戦争が勃発する。その過程の中で大衆が強力な指導者を擁すれば、勢いは更に加速していく。

 第二次大陸戦争と同じパターンだ。


 上述した展開は、あくまでも黒幕の思惑が上手く進んだ場合の仮定に過ぎないが、実現不可能な空論でもない。″プロビデンス″がハレムライヒ帝国内の主要メディアを──欲を言えば政権を掌握してしまう程に成長を果たせば、自ずと訪れる結末である。

 そして、ハレムライヒが率先して軍拡路線を選択すれば、他国も自国防衛の観点から連鎖的に軍拡をせざるを得ない。


 世界平和の崩壊は思ったよりも簡単で、その為の犯罪者ギルド″プロビデンス″なのだ。

 マケンプトンの襲撃事件などは単なるデモンストレーションでしかない。


 さて、ここまで世界情勢と、付随するように″プロビデンス″の目的及び想定されている手段までを纏めたが、今度はマオの目的について触れよう。


 魔王が求めているのは、勇者だ。


▼life.38 世界を愛で貶めて▼


 パーティー″スローライフ″の双璧を成すユーマは、確かな正義感を持って熱心に冒険者活動を続け、実力にも成長の余地をまだまだ残しており、新人としては驚異的な速度で功績を積み上げている。おまけに顔立ちも平均より上だ。

 客観的に見た場合、ユーマは年若く義に厚い好青年であり、異性からすれば充分に魅力的な存在であると言えるだろう。諸国から名の知れた女冒険者が送り込まれている要因だ。


 彼の才能を気に入ったマオが破格の待遇でスカウトしても、指導を続ける内に師弟の枠を超えて異性として想うようになっても、彼の人柄を考慮すれば、マオが惚れた理由にも納得できる。


 だが、マオの垣間見せた執着心は異常だ。


 本人が自覚しているのかどうかは定かではないが、マオがユーマを冒険者ギルドに初めて連れてきた日から、まだ日は浅い。

 にも拘らず、さも当然のように寝室を共にし、あまつさえ夜這いまで計画するのは、出会ったばかりの異性への対応としては常軌を逸している。若い燕を逃したくないにしても強引である。


 その立場故に歴代魔王達は独身を貫いた、と戦闘院即籍は以前に語っていたが、その際に「魔王の持つ特異な立場や力が周囲には敬遠されたのだろう」とも推測している。それは現魔王マオも例外ではないだろう。

 すると執念染みた執着心の正体は、伴侶候補たるユーマを他の者に決して渡すまいとする焦燥なのか。


 そんな筈がない。


 脳裏に浮かんだ答えを、レベーリアは否定した。

 何故なら、それだけなら″プロビデンス″と手を組む必要性がないからだ。あれこれ策を練るより夜這いの一つでも仕掛けた方が手っ取り早い。


 世界平和の崩壊とユーマの身柄。

 そのどちらが欠けてもマオには都合が悪いのだ。一見無関係に思える二つは、紐付けて考えるべきである。


 各地で発生する凶悪犯罪はやがて現行の社会制度を崩壊に導き、そして世界中が相次ぐ戦争によって混乱・荒廃する。そのような世界で力なき民衆が縋るのは、大いなる力を有した救世主だ。

 マオはそれを狙い、″プロビデンス″と結託して世界崩壊を誘発させることで、ユーマを真の意味での勇者に仕立てようと目論んでいるのだろうか。


 馬鹿げている、とレベーリアは思わず叫びそうになった。ただ一人の青年の為に世界平和も己の責務すらも投げ捨てるなど正気ではなく、いっそ魔法や催眠術の影響を受けたと言われた方がまだ信じられる。


 マオは何故、そこまでして勇者を求めるのか。

 ユーマの何が、魔王を掻き立てるのか。


 更に思考を加速させてその理由を掴み取ろうとしたレベーリアだったが、グレムリン族特有の尖った耳が、マオ達の会話が終わりかけていることを敏感にキャッチした。


「──おっと、楽しい会話に時間を忘れてしまうところだったよ。悪いけどボクらは一足先に失礼させてもらおう。キミのお仲間をマケンプトン第一病院に運ばないといけないからね」

「ほう、始末したかと思っていたが」


 ミコラは、意外そうに言った。どうやら彼女の中では既に故人として扱われていたようだ。


「ユーくんに感謝しなよ。悪人といえども命までは奪いたくないんだってさ。優しいんだか甘いんだか、彼にも困ったものだよ。その甘さが自分の死因にならないといいけど」


 そう語るマオの声音は、戦闘において彼のそれは命取りになりかねないと指摘する内容でありながら、出来の悪い我が子を見守る母のような慈愛に満ちている。


 真の勇者に仕立てる過程で削ぎ落とされる要素でしょうに、とレベーリアは口を開きかけたが、そんなことは隣で過ごすマオが一番よく把握していることに思い至り、そして遅れて気付く。


 マオは、まだユーマに残る初々しさを愛でているのだろう。

 それと同時に、彼が自ら勇者への第一歩を踏み出す瞬間をずっと待ち望んでいるのだ。


「じゃあねー」不意にレベーリアの視界が、マオに腕を引っ張られる形でその場から遠ざかる。「忘れないでくれたまえ、第一病院だよ」去り際に、彼女は念を押して言った。


 ミコラは倉庫裏の迷路から去り行く二人の背を見守るだけで、マオの念押しには応じない。

 その代わりに、顔の上半分を隠す仮面の奥底から赤い眼光を煌めかせた。


 薄暗い迷路を進むマオは、隣を歩くレベーリアに視線を移す。ミコラとの会話中、彼女は口を挟むことなく、延々と思考の海に浸っているようだった。

 聡いレベーリアは、既に計画の一端に辿り着いているだろう。迂闊に喋れば殺される、と暗殺を警戒してか、口を出すことはしなかったが。


「キミは本当に聡明だね」


 心からの賛辞も、悪趣味極まりない計画を企てる魔王が口にしたのでは、意味がない。


「だからこそ魔王たるボクに見出だされた。誇っていいよ」

「……光栄ですわね」


 レベーリアは、取り繕った笑みを浮かべる。それは、緊張状態をほぐすべく脳が指示した、一種の防衛本能である。それでもマオは特に気にすることなく、「今夜は楽しみだね」と笑った。


「秘密会議で……答え合わせ、しよっか」


 蠱惑的で魅力的な提案が、まるで地獄へ誘う手のように、レベーリアには思えた。


 余談だが、この数日後にマケンプトン第一病院はテロリストの強襲を受け、二人の犯罪者が野に解き放たれることとなる。

 真に責められるべきは警備体制の甘さではなく、配置の悉くを漏らした人物だろう。

 悪意は、止まることを知らない。

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