life.32 救出の裏

▼life.32 救出の裏▼


「隠れましょう。誰か来ます」


 そう言うと、クッコロは一番手前の部屋のドアをそっと開けて、隙間から中の様子を窺った。倉庫として使われているのだろうその部屋には幾つかの段ボール箱が積まれているだけで、室内に人の気配はない。

 転がるように二人が部屋に隠れた直後、つい数秒前まで彼らが立っていた場所を巡回中らしき二人組の男が通り過ぎていく。どうやら間に合ったようだ。


「よくよく考えれば、捕まえて情報を吐かせた方がよかったですね。私としたことがそこに思い至らないとは情けない」

「……頼もしいことで」


 ユーマは苦笑すると、壁に背を預けた。極度の緊張状態から一時的に解放されたことで、疲労に襲われたのだ。

 だが休んでいる暇はない。

 二人は先程と同じように今度は室外の様子を探り、安全を確認すると、音を立てないよう慎重に部屋の外に戻った。

 そして対面の部屋の前に進むとそのドアを二人で挟むように互いに向かい合わせに、つまり相手の背後が常に視界に映るように工夫しながら室内を調べた。

 同じ要領の繰り返しでこの通路の部屋をすべて調査していったが、どの部屋にも人質はいなかった。


「いませんね。別の場所でしょうか」


 そう呟きながら、ユーマは壁に設置された古い案内板を眺める。

 表記によると現在地はやはり職員用区域であったらしく、売り場に比べると規模は広くないものの複雑に設計されており、ユーマ達が立っている通路の先にもまた、同等の数の部屋の群れが設けられているのが分かる。


 まるで研究所や軍事施設を彷彿とさせる構造の建物だが、それ故に浮き彫りになってくるのは、テロリスト達がこの交易センターの制圧に成功したという点の奇妙さだ。

 相応の準備も重ねたのだろうが、そもそも内部構造に詳しくなければ、こうもスムーズに制圧できるとは思えない。


「これってつまり……そういうことですよね」

「ええ、十中八九」


 案内板に従って進みながら、ユーマとクッコロは同時にその懸念──即ち、スパイの存在について触れた。


「内応したか、それとも予め仲間を潜伏させていたか。どちらにせよ、実に愚かな連中です」


 溜め息混じりに漏らすクッコロの横顔は、苦虫を何匹も噛み潰したように怒りに歪んでいる。生まれ持った正義感の強さ故に、悪事に手を染める連中の思考が理解できないのだ。

 仮にスパイを見付けたなら、率先して飛びかかるに違いない。

 端から見た者にそう確信を抱かせる程の冷気と怒気に、自分に向けられたものではないと知っていても、隣を歩くユーマは思わず肩を震えさせる。

 そして現実逃避も兼ねて前方を注視した瞬間、前方を歩いている人影を見付けた。相手は背を向けており、幸運にも相手はまだ気付いていない。


 間違いなく、テロリストの一味だ。


 気付かれないよう、無言のアイコンタクトでクッコロに合図を向けるユーマ。テロリストの存在と、相手が一人である点を把握したクッコロの判断は、迅速だった。

 二度目のアイコンタクトが交差した刹那、テロリストの拘束に動き出す。

 先ずは背後から忍び寄ったユーマがテロリストの男を羽交い締めにし、クッコロが男の首筋に、「静かにしろ」と太腿のホルスターから滑らせた短剣を突きつける。

 そうして二人は、男を近くの空き部屋に拉致することに成功した。まさしく電光石火の早業だ。


 突然の事態に混乱したか、はたまた煌めく刃に恐れをなしたか、乱雑に床に放り出されたテロリストの男は抵抗らしい動きを見せないまま命乞いの言葉を口走った。


「大人しく私の質問に答えろ。そうすれば命だけは見逃してやる」


 クッコロの、温度が抜け落ちたような声音に、男は何度も頷いた。そして男は時折、返答に詰まりながらもその度に短剣をちらつかされ、遂に自分達の正体や人質の居場所などについて白状した。


 第一に、テロリスト達は犯罪組織″プロビデンス″の末端構成員である。


 ″プロビデンス″は隣国のハレムライヒ帝国を拠点に暗躍する組織であり、テロリスト集団はその下部組織のメンバー達であるらしい。だが功を焦って独断で立て籠り事件を起こした訳ではない。

 寧ろ、今回の蜂起は本部からの指示である。

 その話を聞いた二人は当初こそ苦し紛れの言い訳かと思ったが、男の様子が必死であったことと、下部組織のみで行ったにしてはあまりに事件の規模が大きい点が、男の訴えの信憑性を増していた。


「″プロビデンス″……それがこいつらの親玉か。ふざけた奴らだ。悪の秘密結社とかはフィクションの中だけにしとけよな」

「ですが、早期にその存在を把握できたのは逆に幸運と考えるべきでしょう。対策を練る時間は充分にあります」


 憤るユーマ達だが、対策会議を行うのは事件を解決した後にすべきだろう。人質の救出という役目がまだ残っているのだから。

 とはいえ、彼らの監禁場所についても男は既に口を割っている。


「第二準備室。そこに職員達を閉じ込めてるのか」


 先程の案内図ではこの通路の先は、物産部区域の巨大な空間に直接通じる職員用の扉を挟んで、道が丁字路に分岐している。第二準備室は、ユーマ達から見て右の通路を進んだ先にある。

 知りたいことが分かれば、これ以上はテロリストの男に用などない。

 部屋に置いてあった梱包用のロープで彼の口と手足を縛ると、ユーマとクッコロは発見されないよう慎重に、しかし早足に部屋を出た。


 人質のいる第二準備室を目指して進む中で、ふと思い出したようにユーマが口を開く。


「……そういえば、あいつスパイの情報を持ってませんでしたね。『俺は正体を知らねえ』の一点張りでしたよ」


 所詮は見張りに駆り出されるような男だ。末端組織の中でも更に下の立場となれば、スパイの詳細を与えられていないのもおかしな話ではない。

 しかし仮に予め仲間をスパイとして侵入させていたとすれば、彼もその顔や名前を知っていなければおかしい筈だ。即ち、元々の職員が寝返ったと考える方が自然である。


「そして付け加えるなら、人質の中に混ざっていても違和感のない見張り役です」

「マジっすか……俺、謎解きとか苦手なんですけど」

「今のはあくまでも可能性の話です。現段階では寝返り説も妄想に過ぎません。そうは言っても、解放した瞬間に襲われるかもしれない点を頭の片隅に留めておいても損はないと考えます」


 ユーマは、肩を落とした。「おかしいですよ、そんなの」その脳裏には、かつての自分の境遇を語った際の、マオの薄暗い眼差しが浮かんでいた。


「逆襲されるかもって怯えながら人助けしなきゃいけないなんて、そんなのは……」


 それでも前へと歩く彼の双眸もまた、あのときの魔王と似た闇に彩られつつあった。

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