life.14 戦争の欠片
刃がぶつかり合った瞬間、弾かれるようにしてハルトライナーは後方へと大きく跳躍した。
その判断は正しい。もし退かなければ、マオが振り下ろした右手を覆う黒い刃によって彼は剣もろとも真っ二つにされていただろう。それ故、マオの腕力に身を任せる形で退いたのだった。
襲撃を仕掛けるだけの実力は、確かにある。
マオは直感し、体勢を立て直すや否や、強引に一歩目を踏み出し、強く地面を蹴った。ただそれだけで常人には捉えることのできないスピードに到達するのだから、魔王の力が如何に桁外れかを暗に伝えている。
だがハルトライナーは、それすらも瞬時に反応してみせた。
判断を迷う素振りを見せないまま、地面に片手剣を突き刺すと、またも逃げるように飛び退く。
数秒の空白の後、刀身の半ばからへし折られた剣が宙に舞った。
顔をしかめたマオが、剣の残骸の傍らに降り立つ。右手を覆っていた筈の黒い靄は既に霧散し、手の甲からは夥しい量の血が流れていた。
地面に突き刺された剣に自ら超高速で突っ込んでしまったが為である。
尤も、これが魔王にとって掠り傷にもならないことはハルトライナーも承知していた。
「あーあ、手を切っちゃった。レディの肌に傷をつけるなんて酷いことするなあ」
「わざとらしい。その程度は傷の内にも入らないでしょうに」
ハルトライナーは肩を竦めた。会話の間にも彼女の右手は再生を開始しており、直ぐに元通りの美しい肌を取り戻した。その高い再生能力も、魔王に選ばれた魔人だけが有する特権の一つだ。
前述の黒い靄と合わせて、魔王の特権能力の強大さは直前に披露してみせたマオだけでなく、サタンやベルゼブブなどの歴代魔王の存在からも窺い知ることができる。即ち、彼女達が各地の戦場に武力介入を行えた理由がそれだ。
というより、殺戮兵器が我が物顔で闊歩する戦場に割って入る役割だからこそ、単騎で兵器を凌駕する程の力を与えられたとすべきだろう。
「必然的に、歴代魔王の方々はただの一人として例外なく、各々の時代の最強として武名を轟かせていたと聞いている。今代の魔王はどうだろうな?」
「自分で確かめなよ」
「勿論。次は本気で挑むとしよう」
マオは驚愕に眼を見開く。ハルトライナーの右手親指に嵌められた指輪が輝きを放つと、何もない空間から白銀の槍が吐き出されたからだ。
異空間に武器を収納しているのか、それとも予め指定しておいた座標と繋げたか。
現代技術では実現できない摩訶不思議な芸当に、マオは何匹も苦虫を噛み潰す。何故なら奇妙な現象の正体に気付いたからだ。
槍を召喚した未知の技術の正体は、条約で禁止・消滅した筈の魔法だ。
「やっぱり保存していたバカが隠れてたか」
口調に隠しきれない怒りを滲ませるマオを、ハルトライナーは鼻で笑う。
「折角の便利な技術をただ廃れさせたのでは勿体ないだろう? 偉大なる先人の遺産だ。ならば遠慮なく使わせてもらうさ」
「受け継がれてはいけない禁忌だと、まだキミ達は分からないのかい?」
「分からんよ。俺だけじゃない、猫も杓子も本当に理解していないんだ。だから二度も大陸戦争が勃発したという事実を魔王殿はお忘れかな?」
「忘れてないさ。だから
怒りに呼応するように、彼女の全身から黒い靄が噴出する。靄はそのまま無数の刃へと姿を変え、次には一斉にハルトライナー目掛けて強襲した。
驚嘆すべきは、彼の動体視力と反射神経だ。
即座に槍を右手に滑らせるや、不吉に煌めく超高速の刃を器用に捌いてみせたのだ。額に脂汗こそ浮かべているものの目立った外傷はなく、逆に黒い豪雨の向こう側に佇むマオを睨んだ。
そして黒い雨がほんの少し弱まった瞬間、待っていたとばかりに彼は逆襲に転じる。
狙うは、攻撃に集中して無防備を晒した本体だ。
指輪が発動した召喚魔法は所有者の求めに応じて直ちに、ハルトライナーの身の丈に匹敵するサイズの巨大な盾を、豪雨から彼を守るかのように顕現させた。とはいえ、盾自体は市販のものである為に、刃の猛攻に耐え切れないことは明白だ。数秒もせずに跡形もなく粉砕されるだろう。
ただしその数秒間、マオの視線もまた同様に遮られている。次の一手を悟らせないことが彼の狙いだ。
手にした得物を槍から短剣に入れ換えると、ハルトライナーは身に着けていたプレートアーマーも異空間に収納した。代わりの普段着は防御力こそ比べるまでもないが、身軽になったその肉体は驚異的な速度での移動を可能とする。
そして遂に、盾が砕け散る寸前に後方から飛び出すと、弾丸のようにマオの眼前に肉薄した。
やった、とハルトライナーは内心で歓喜した。
盾を囮にして一気に首を描き切るこの作戦は、事前に想定されていた幾つかのシミュレーションの一つであり、盾も短剣もその為に用意したものだ。人質などを用いない、一騎討ちでの討伐に拘る彼の希望に沿って練り上げられた、まさに渾身の一手だった。
後はこのまま勢い任せに首を落とすだけだ。
成功を確信したのも束の間、マオと視線が合った瞬間にハルトライナーは思わず戦慄した。
彼女は、黒い靄の球体の中でケタケタと嘲笑っていたのだ。
ここに至ってようやく、ハルトライナーは先程の集中豪雨の真意を悟る。
彼がそうしたのと同じようにあれは囮に過ぎず、敢えて隙を晒すことで彼が自らマオの間合いに突っ込んでくるように仕向けた罠だ。無論、一時的に攻勢が弱まったのも奇襲を誘う目的である。
気付くには、致命的に遅かった。
「俺が飛び込んでくるのを待ち構えるとは、魔王殿も人が悪いな」
「魔王を侮ったキミの自業自得だよ」
間合い深くに入り込んでしまったが為に、もう離脱は間に合わない。新たに盾を召喚するまでのラグを彼女が見逃す筈もなく、プレートアーマー越しならまだしも生身で受ければ行動不能は確実だ。
せめてもの悪足掻きに首を狙った短剣も、彼女の全身をすっぽりと覆う靄に阻まれ、呆気なく砕ける。刃を象ったそれに鉄をも上回る硬度と切れ味を付与できるのなら、本体を守る靄にも同じことをできて当然だった。
有り体に言って、ハルトライナーは詰んでいた。
「殺したりはしないよ? 聞きたいことが大量にあるからね」
マオは、獰猛に笑う。靄の一部が、鋭いレイピアへと形状を変えて、ハルトライナーの首に突きつけられた。
▼life.14 戦争の欠片▼
魔王と騎士の攻防を遠くより眺めていた大男が、「だから忠告したのです」と呆れたように呟いた。
徒党を組んで狙ったのならば話は変わるが、一騎討ちで倒そうなど彼女を侮り過ぎている。それ故の忠告を押し切っておきながら、このザマだ。
尤も、立候補したのはハルトライナーだが、最終的に決定したのはミコラである。
そのことを思い出して、男は口を尖らせた。
「殿下も何故にあの騎士バカをお選びになられたのか……正直、今回の判断は理解しかねます。お陰で手間が増えてしまったではありませんか」
「推測〉ハルトライナーは性格にこそ難があるものの、戦闘能力は我々の中でも上位に入る。故に今代の魔王の実力を見定める為の試金石として宛がわれたと推測」
自慢のカイゼル髭を撫でながら不平不満を溢れさせる大男に対して、隣でぼんやりと空を眺めていた白衣の少女が、視線をそのままに告げた。
ナンセンスですな、と大男は肩を竦めた。
「個人が武名を轟かせるなど、300年よりも更に大昔の、カビの生えたファンタジーに過ぎません。これからは豊富な資金源と効率的な組織運営こそが重視される時代です」
「提案〉だがハルトライナーはこのタイミングで消耗されるべき人材ではない。故に身柄の即時奪還を提案」
「……前から思っていましたが、クーリオの言葉は小難しくてイマイチ分かり辛いのです。もっと噛み砕いた説明をしてもらえませんか?」
「補足〉奪還or放棄。先程の提案をより簡単な内容に変換して補足」
クーリオと呼ばれた白衣眼鏡少女の、抑揚のない無機質な問いに、「成る程」とタンクトップの大男は静かに頷く。
捕まったハルトライナーを放置することは組織の情報を抜かれることと同義だ。本人の安否は別にして、情報漏洩は防がなければならない。
「魔王に挑むのもまた一興ですな」
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