転姧編

life.13 時代錯誤な者達

 緊急での国際中継が行われて一日が経過した。当初こそ様々な憶測や流言飛語が世間の間を飛び交ったものの、その混乱も一定の落ち着きを見せたらしい。

 クリップボードを交えてのキャスターの解説に、リビングで朝のニュースを眺めていたマオは一先ず安堵の息を吐いた。


 ポーションの出現は一種の宣戦布告だろう、とはマオの推測である。

 平和の象徴たる魔王に魔物を差し向ければ、その情報は各国首脳を介して瞬く間に拡散される。そのようにして世間を混乱状態に陥れ、暗躍しやすい土壌を築くことが犯人の第一の目的なのだろう。

 徒に混乱を長引かせてしまうのは、まさしく相手の思うツボだ。


「でもさ、各国が連携して対策を練るってことぐらいは犯人も予想できるだろ。却って自分の首を締めることになるんじゃねえの?」


 彼女の隣で同じくニュースを見ていたユーマが尤もな意見を口にしたが、それは警察機構が正常に役割を果たしている場合だ。


 長い平和の代償として、各国の警察機構や軍隊は既に衰退・消滅した後である。


「だって捕らえるべき犯罪者もいないし、戦争もないんだからね。それよりも技術研究なんかに投資した方が世の中の役に立つでしょ?」

「冒険者ギルドが警察の役割の一部を果たしてるようなもんだしな」

「それでも護衛や魔物討伐がボクらの主な仕事さ。犯罪捜査のノウハウなんて誰も知らないよ」


 テレビを消すと、マオは疲れたように言った。それはユーマがはじめて見る表情だった。

 上役との会議で忙しかったことだけが理由ではない。

 中継の折、首脳陣の会話に名前が出たことで、彼女は改めて世間の注目を集めている。彼らの視線に宿るのは、魔王である彼女ならこの事態を解決してくれるだろうという自分勝手で無責任な期待だ。


「俺もできることは手伝うぜ」

「ありがとう、ユーくん。でもボクは大丈夫さ」


 マオは微笑んだ。普段の爽やかで明るい笑みには程遠い、酷く寂しげなそれだった。


「どうか隣で見ていてくれたまえ。魔王たるボクが悪を打ち倒し、世界を平和に導く姿をね」

「だったら尚更、お前は健康に気を付けるべきだろ。夜更かしは身体に毒だぞ」

「……気付いてたのかい?」

「今日はゆっくり休んでくれ。ギルドには俺から電話しておく。飯も俺が用意するから」


 彼の強い口調での懇願に苦笑するマオ。どうやらユーマは本気で、世界の命運よりも彼女の健康を優先するらしい。


「分かったよ。お言葉に甘えようじゃないか」


 観念してマオが頷いた直後、ピンポンとけたたましく呼び鈴がなった。


「おーい、バカップル共! 留守なら留守だと返事しやがれ!」


 訪ねてきたのは、ライバードだ。


▼life.13 時代錯誤な者達▼


「やあやあ、よく来てくれたね。まあ立ち話もなんだし上がってくれたまえよ」

「遠慮なく邪魔するぜ。しかし心配して様子を見に来てやったが、その顔だと元気そうじゃねえの」


 リビングに案内されながら、ライバードが言った。彼女が訪ねてきたのは、マオがギルドに休む旨の電話をしたらしい、と会社の男連中が騒いでいたからである。

 その原因であろう一件については、既に国際緊急中継を見て知っていた。


「あんなニュースが流れた直後に休んだだろ? だから昼夜ぶっ通しで調査でもして倒れたんじゃないかと思ってよお。お前、集中すると飯も平然と抜くからな」

「へー、そんなことが」

「調べ物をすると時間を忘れてしまうのさ。あのときはライが来てくれて助かったよ」

「バカヤロー、あまりオレに心配かけさせんじゃねえっての」

「今度は程々にするさ」


 ライバードが釘を刺すも、糠に釘という言葉もあるように、当の本人に反省した様子は見られない。


「ユーマも、彼氏なら手綱を握れよな」

「別に彼氏じゃないんですけど……分かりました。目を離さないようにします」

「二人とも酷いな。まるでボクをペット扱いだ」


 一頻り笑い合った後で、ライバードはいよいよ本題を切り出す。


「──戦争になっちまうのか?」


 単刀直入な物言いは、彼女の性格もあるだろうが、何より下手な誤魔化しを許すまいとする迫力があった。戦争、と口にしてユーマも息を呑む。


 この世界の住人達もそうだが、ユーマもまた戦争を知らない世代だ。学校の授業やニュース番組で見聞きした範囲の知識を持っているだけで、自分自身が戦場に赴いた経験はない。

 そんな彼からすれば戦争とはあくまで、愚かな歴史或いは遠い国の出来事に過ぎない。具体的なイメージや現実感に致命的に欠けているだけに、ユーマは急速に近付いてくる戦争の足音に戦慄を覚えた。


「手っ取り早く秩序を破壊するならね」


 マオは、言い切った。

 隣に座るユーマが、「そんな!?」と悲鳴に近い声を洩らした。脳裏に、銃を手にした兵隊達が行進するモノクロの映像が過った。


「あくまでも可能性だよ。別に明日いきなり勃発する訳じゃない」


 苦笑するも、彼女の眼は笑っていない。


「ポーションを送ってきた相手の正体が現段階では不明である以上、あらゆる予測を立てるべきだ。単独犯かもしれないし、もしくは大規模な犯罪組織と結び付いているかもしれないよね?」


 それこそ国家とも手を組んでいるかもね、と彼女は言った。


「戦争は莫大な資金が流れるから、投資先として軍需産業は悪くない。他国に先んじて兵器開発や製造工場の建設を進めておけば優位に立てるし、一部の連中は笑いが止まらないだろうさ」

「マオって時々えげつないこと考えるよな……」

「ユーくんはそう言うけどね。この程度のことはボクが少し考えただけで容易に思い付くんだ。本腰入れて準備してる連中なら更に酷いことを計画してる筈だよ」


 マオの補足に、「ちょっと待てよ」とライバードが口を挟んだ。


「サタン平和条約によって魔法や兵器の開発なんかは禁止されてる筈だろ? 技術者を集めたってノウハウがなきゃ無理なんじゃねえの?」


 サタン平和条約とは、約300年前に勃発した第二次大陸戦争の終結時に結ばれた条約である。最終的に魔人そのものの絶滅寸前にまで至ってしまった前大戦の反省を踏まえて、魔法をはじめとする殺戮兵器及びそれらの設計データの廃棄、兵器の保有禁止、研究開発の永久禁止などが盛り込まれている。

 立案した当時の魔王の名を取ったその条約は、首脳陣の顔触れこそ変われど、現在に至るまで大陸諸国の間で結ばれたままの筈なのだ。

 事実、そうしてこの世界は平和を保ってきたのだから。


「全ての技術が廃棄されたとは、ボクにはとても信じられない」


 魔王サタンは負の遺産の処理を各国に任せ、報告義務も課せたが、監査までは行わなかった。

 つまり幾らでも誤魔化しようはある。


「こっそり技術を保存しても誰にもバレないってことか。どうして平和の価値が分からねえんだ」

「命よりも利権を優先する層はいつの世にも一定数いるのさ。これまでは潜んでいただけで──さて、話も長引きそうだ。ボクは追加の飲み物でも買ってくるよ」

「おいおい、そんぐらいオレが行くぜ。オレが勝手に押し掛けたんだからな」

「いいさ。客人は留守番していてくれたまえ。でもユーくんに手を出したら怒るよ?」

「出さねえよ!!」


 冗談だよ、と高笑いしながらマオは家を出た。しかし向かう先は普段のスーパーではなく、以前にも薬草採集に出かけた草原である。


 二人に嘘をついた理由は、巻き込みたくないからだ。


「随分と早い登場だね」


 視線を向けた先には草木が生い茂っているだけで、一見すると誰もいない空間に喋りかけているように思える。


「さっさと出てきなよ」


 だが最後通牒を突きつける彼女の横顔は鋭く、そこに潜む何者かの気配を明確に見抜いているようだった。数秒の沈黙の後、パチパチと木陰から拍手の音が響いた。

 若い男が一人、颯爽と姿を現した。

 銀色の派手なプレートアーマーを装着したその男は、挨拶のつもりか、腰に吊り下げた片手剣を高く掲げる。


「はじめまして。魔王マオ殿」


 精悍な顔つきに違わず、爽やかな声音が響いた。


「……キミは誰だい?」

「これは失礼した。俺の名はハルトライナー。魔王討伐の任を果たすべく参上した一介の騎士さ」

「そっか。期待はしないけど頑張りたまえよ」

「ああ、期待しないでくれ。そうして油断したまま大人しく殺されてもらえると助かるな。俺は単なる人間なのでね」


 ハルトライナーが戦闘態勢に移ると同時に、剣が白い輝きを放った。


「世界崩壊の象徴として死んでいけ」

「魔王の裁きをくれてやる」


 その直後、黒い刃と白の剣が衝突した。

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