life.12 プロビデンス
ポーション。″Magna medicamen″の学名を与えられたその魔物は、ハレムライヒ帝国領に生息する薬草の上位亜種の一種であり、危険度は上から三番目の銀階級に分類される。
原種との差異にしてポーション最大の特徴は、ラムネの瓶に類似した形状の、水色の結晶を凝縮させたような頭部だろう。
眼も鼻も口も何もかも削ぎ落とされたつるんとした無機質なフェイスは、筋肉質で生物的な肉体とあまりにもアンバランスだ。
果たしてどのような方法で獲物を捕捉しているのか、そもそもどういった進化を経て今日の姿に辿り着いたのかは現在でも解明されておらず、今後の研究が待たれる。
特徴的な頭部にばかり注目が集まりがちだが、ポーションの脅威はそれではない。
真の脅威は、薬草の数倍を誇るとされる圧倒的な身体能力だと、それを支える強靭な肉体だ。脚のバネを駆使して軽々と跳躍し、発達した剛腕で標的を動けなくなるまで叩き潰すのだ。
ポーションの生態に関する解説は程々にして、戦闘の結果だけを記そう。
二体のポーションはマオの敵ではなかった。
何故なら、連中は本能のみで動く魔物に過ぎないからだ。知性に欠けた獣が数ばかり増やしたところでマオの前では鎧袖一触だ。
彼女が悲しげな顔を浮かべた理由は、また別の要因にある。
「これについて、キミらはどう考える?」
唐突なマオの問いに、ユーマとライバードは互いの顔を見合わせた。改めて訊ねられなくとも、二人も既に同じ結論に至っていた。
「……どう考えてもエンカウントし過ぎだ。だって本来の生息地は他国なんだろ? いくら獲物を探してるからって、こんな辺境にわざわざ揃って現れるかよ」
「右に同じ。オレはこの仕事について長いが、こんなことは今までになかったぜ」
「ま、短期間にこうも出くわすのは不自然だよね」
結論。一連のポーションの大量出現は人為的に引き起こされたものだ。
犯人の正体や具体的な目的は不明だが、その延長線上に世界平和の崩壊があることは間違いない。そうでなければ駆け出し冒険者には荷が重いとされる魔物を用い、しかも魔王を狙う真似はしないだろう。
「責務を果たすときが訪れたのかもしれないね」
マオの声音には、確信めいたものが強く混ざっていた。
「魔王たるボクの存在は、将来的に世界平和が脅かされることを保証してしまっている。遂にその日がやって来たのさ」
「これからどーすんだ?」
ライバードの問いに、「急いで村に行こう」と彼女は告げた。ギルドの上役や冒険者仲間達に事情を説明して、迅速に協力体制を築くべきだ。無論、王政府を通じて各国首脳にも協力を仰がなければならない。
そうして、それらは直ちに実行された。
魔王マオの緊急の訴えに、列強の七大国は少しの首脳会談の末に記者会見を行い、諸国の綿密な連携を約束すると同時に、引き続き世界平和の維持に貢献していく考えを示した。また犯人を確実に捕縛することも彼らは合わせて強調した。
だが皮肉にも、社会を安心させるべく行われた臨時国際中継での発表が、それを見守る民衆に平穏な時代の終わりを感じ取らせた。
ただし、無垢な民衆に混じって、口許を愉快そうに歪める幾つかの影があったことに、世界の殆どは気付いていない。
▼life.12 プロビデンス▼
ナローシュ王国が農業大国であるのなら、大陸中部を支配下に置くハレムライヒ帝国の礎は機械技術だ。歴史を紐解けば、蒸気機関の開発による産業革命を成し遂げ、工業化と近代化を最初に果たし、それによって一気に″大陸の工場″と讃えられる技術大国へと上り詰めた。
そのような経緯を持つが為に、主要城塞都市の大半がベルトに例えられる工業地帯で占められており、工場と労働者用の居住区域と繁華街のネオンが都市の景観を形成する柱である。
当然、首都であるハベラスブルクの夜景も欲望とネオンに彩られ、輝きが消えることはない。
「この偉大なる帝国が犯罪の波に侵食されつつあることも知らずに。呑気とは罪だよ」
ハベラスブルクのとある最高級ホテルの一室で、ミコラ=ライターは夜景の感想をそう吐き捨てた。しかし彼女の声音と笑みに含まれる感謝の念は紛れもなく本物だ。
何故なら、彼女もまたこの帝国で暗躍している犯罪者達の一人だからだ。
より具体的に記せば、ミコラという女は、先のポーション大量発生を引き起こした犯罪組織″プロビデンス″の指導者である。
素顔を悟られないように顔の上半分を仮面で覆い隠したその姿は、黒一色で統一したスーツと相まって、どことなくトランプのジョーカーを彷彿とさせる。
しかし不気味さを醸し出す一方でどこか神々しい雰囲気も纏っているのだから、彼女の持つカリスマ性が窺い知れた。
そんなミコラに、この場に似つかわしくない学生服を着た人間の青年が歩み寄った。
その傍らに美しく着飾ったドレス姿の美熟女を三人も侍らせている点からも分かるように、彼はどうやら相当な熟女フェチらしい。
「失敗しましたわ。既に首脳共にも話は伝わっとるみたいで、国際中継で平和だの協調だのアホみたいに叫んでましたわ」
「軽い挨拶のつもりだったけれど些か手を抜きすぎたようだ。やはり野良の魔物では戦力として心許ない」
「だから言うたやないですか。殿下が出るまでもありませんよ。魔王討伐の件は僕に任せてください」
ミコラは、首を横に振った。
「それは許可しかねるな、戦闘院。お前自身は戦闘に不向きだ。前線に割くことはできない」
「妥当な評価ですけど、それやと今度は誰が魔王のところに出かけるんです?」
戦闘院と呼ばれた青年が訊ねると、「ハルトライナー達を向かわせた」とミコラは返した。
ミコラの目的は現状の世界平和の転覆であり、その為に長い潜伏期間の中で同志共を集めて″プロビデンス″を結成した。また組織の活動をより円滑に進めるべく後ろ楯になり得る存在にも秘密裏に接触し、協力体制を結ぶことに成功している。
魔王マオの妨害も、手段の一つに過ぎない。彼女の強大さを考慮すれば、限りある人材と時間を消費してまで剣を交わすのは得策ではない。本来は。
魔王の首の価値は、平和を崩壊させる一手として極めて高い。
「既にナローシュ王国に向けて出立済みだ。魔王討伐は彼らに任せようじゃないか」
「……りょーかい。ほんなら僕はレディ達と一緒にカジノで遊んでますわ」
「仕事をサボろうとするなよ。お前には大臣との会合という任務があるだろう? 政府の豚に飴を与えるのも今は大切な仕事だよ」
「えー、またですか。人使い荒いなあ」
ぶつくさと文句を言いながらも、
向かった先は、このハレムライヒ帝国で大臣を務める男が宿泊しているホテルである。
即ち、後ろ楯とはそういうことなのだ。
平和に思えたこの世界は既に腐敗が進んでいる。
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