life.7 魔王の力

 本人も言うように、魔王とは全ての魔人の頂点に君臨する絶対的な存在であり、またそうあって然るべき立場だ。

 例えば、今からユーマが戦場に赴いて平和を訴えたところで殺されて終わってしまう。何故なら説得力に欠けるからだ。もっとシンプルに言えば力が足りないのだ。

 仮に訴えたのが彼ではなくRPGの強大無比なラスボスだったなら、それが戦場に降り立ったその日が終戦記念日になるだろう。


 結局のところ、大いなる責務を果たすには大いなる力と信念が必要なのである。一つでも見失ってはならない、大切な要素だ。


「マオ! 勝ってこいよ!」

「大げさだな、キミは。だけど……うん、思っていたより悪くないね」


 颯爽と出陣するマオの背に声援をぶつけながら、ユーマは彼女なりに揃えたであろう三つの要素を決して見逃すまいと睨む。

 世界最強を謳う魔王が目の前で戦いを披露してくれるのだ。ならば学ぶことは多い筈、と気合いを入れる彼の両手は酷く震えていた。

 そんなユーマの決意を他所に、魔王とポーションが衝突した。


 そして次の瞬間には、彼の決意をせせら笑うように決着がついていた。


▼life.7 魔王の力▼


 戦いの軌跡を丁寧に記そう。


 魔王の余裕が成せるものか、譲られるように先手を取ったのはポーションだ。その愚鈍そうな巨躯からは想像もできない俊敏さでマオに迫り、豪腕を振り下ろす。

 だが並みの人間なら束にして磨り潰せてしまえそうな一撃も、当たらなければ意味はない。マオが即座に空中に身を翻すや否や、地を抉る轟音と土砂の雨が舞った。


 ポーションには知性が足りない。その言葉を自ら証明するように、筋肉質な怪物はマオを見失ったことで動揺したのか、呆然とクレーターを見下ろす。顔があったなら醜く口を開けて呆けていたに違いない。


 跳躍を終えて自由落下に身を任せるマオの右脚は、果たしていつの間に顕現させたのか、大剣を象った黒い靄ですっぽりと覆われていた。

 そうして流星のように宙を弾かれた剣身がポーションの腹を貫き、そのまま剣身を高速回転させながら地面もろとも串刺しにする。


 このときになって、ようやっとユーマの肉眼は魔王の戦いを捉えた。

 常人では目視不可能な速度で舞い踊る彼女の姿は、ダイレクトに実力の高さを示している。もし見えなかったというなら、それが二人の間に横たわる現段階での実力差だ。


「グギャァァァァッ!?」


 たまらず絶叫染みた悲鳴をあげるポーション。ラムネ瓶に似た異形の頭をしているせいで忘れがちだが、胴体が人間に似ているということは、中身もまた同様だ。肉と臓器の詰まった一個の生物なのだ。

 それを刃に巻き取ったままの大剣が高速で回転したのだから、中身の末路は考えるまでもない。


 ここまでくるとポーションに同情したくなるが、更に恐ろしいのはまだ辛うじて息が残っている点である。魔物故の頑丈さが裏目に出たのか、心臓を逸れていた為に即死できなったのか。

 わざと心臓を狙わなかったのだとユーマは直感した。そうでなければ、マオが剣状の霧を纏った左手を掲げる理由がないのだから。


「死罪。それがお前への裁きだ」


 首にギロチンが振り下ろされたタイミングを見計らって、彼は強ばった笑みを隠せないまま言う。


「随分と、派手に散らかしたな」

「ボクの実力の一端を教えたかったのさ」


 マオは、頬の返り血を拭き取りながら答えた。その眼差しは微かに不安に揺れている。


「……ボクが怖いかい?」

「目の前でスプラッターを見せられて震えない奴がいるかよ。マジでチビりそうになったわ」

「……それだけ? 他の感想は?」

「なんだよ、恐ろしいから距離を取りますって言えば満足するのか」

「そうじゃないけど」


 恐ろしくないと言えば、ユーマは嘘つきになる。あの正体不明の黒い霧を自在に操る力を用いれば、大抵の魔物は容易く屠ることができるだろう。その理不尽に近しい異能を振り撒く姿は、まさしくマオが魔王の座に相応しいといえる。

 加えて、人間という種族は恐るべき強大な力を目の当たりにしたとき、それが自分に振るわれないかを心配し、その排除を試みる臆病な生き物だ。ただし、これは人間や一個人に限った話ではないが。


 故にユーマが彼女を怒らせるまいと心に誓ったのは当然の帰結である。

 それはそれとして、彼の脳裏にはもう一つの想いが過っていた。


 あれが魔王の力の欠片だとするなら、魔王の担う責務がどれだけ強大なのかも嫌でも理解できてしまう。それ程の力がなければ、世界平和は不可能なのだ。

 そして、そんな魔王としての力と責務を背負わされたマオの抱いた信念の大きさも。


 先程の派手なスプラッターは、彼への警告にして確認作業だろう。文字通りラスボス染みた規格外の能力を有している女であると教えた上で、尚も共に過ごすのかを選ばせようとしているのだ。

 強引な手段を取ったのは、雰囲気から察するに過去の体験が影響しているのかもしれない。それでマオはユーマを試そうとしている。


 唯一、魔王と対等に向き合える存在──勇者なのかどうかを。


「ふざけんじゃねぇよ!」


 秘められた思惑に気付いた瞬間、ユーマは怒号を放っていた。

 マオは彼を侮り過ぎだ。


「たかが三日かそこらの付き合いだけど、強さだけがお前の取り柄じゃないってことはよく知ってるぜ! 手料理は美味いし、ゲームも上手いし、優しくて気配りも抜群で、顔もスタイルもそこらのアイドル顔負けじゃねえか!」

「……ボクはそんなにいい女じゃないよ」

「いいや、断言するね。マオは俺が知る中で最高にいい女だ! 勇者の俺が保証してやる! 何度だって叫んでやる! だから自信を持て……マオは世界最高だ!」


 さながらマシンガンのような早口トークを捲し立てた末に、ユーマはふと正気に戻る。そして酷く赤面した。冷静になって振り返ると恥ずかしくて堪らないのだ。

 しかし言いたいことを全部言い切ったからか、心拍数に反比例して心の内は晴れやかだ。


「……」


 その一方、不意打ちを受けたマオは硬直した。だがそれも一瞬の間だけで、いそいそとポーションヘッドの回収作業に移る。


「ぼんやり立ってないでボクを手伝ってくれたまえよ。これをギルドに持ち帰って上役に報告しないといけない。それに薬草の頭も採らないとね」

「そうだったな。袋があるなら貸してくれ。薬草を詰め込んでくるから」

「任せたよ、勇者」


 その呟きには、温もりと信頼が宿っていた。


 ユーマは力強く頷いて、回収作業に参加した。

 もう少しこの時間が続いてくれたら、と淡い理想に心を浸らせながら。


 尤も、そう言った瞬間のマオの瞳が妖しく瞬いたことに彼は気付いていない。

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