life.5 魔王の意味
「おやすみ、ユーくん。いい夢を」
「ああ、おやすみ」
風呂も夕食も楽しいゲーム大会も歯磨きも終えて、二人はベッドに潜り込んだ。
ユーマが前に暮らしていたワンルームの部屋がすっぽり収まってしまうような広い寝室。その隅に鎮座するこれまた大きなベッドは一人で寝るには落ち着かず、二人だとやや窮屈だ。
彼が転がり込むまではマオは一人暮らしだったので、妥当なサイズの範囲内だろう。
恐るべきは、一緒に寝ようと言ってのけるマオの豪胆さにある。
勿論、ユーマは昨日も今日も丁重に断った。
空室を頂戴するような烏滸がましい真似はせず、リビングのソファを借りると申し出た。しかし彼女には頑なに聞き入れてもらえず、結局こうしてベッドの片隅を借りているのだ。
必然、発生する問題が一つ。
マオとの距離があまりにも近いことだ。
年齢と彼女いない歴が等しい身のユーマからすれば、シャンプーのいい香りとパジャマ越しに背中を侵食する柔らかい胸の感触は劇薬の一言に尽きる。
さりとて手を出す訳にもいかず、悶々としたまま時間だけが過ぎていく。明日も寝不足確定であることは言うまでもない。
「……眠れないのかい?」
「少し考え事だ。悪いな、起こしちまったか?」
「いいや、大丈夫だよ。ボクも寝付けなかったからね。何を考えていたんだい? もしかしてボクの家の前で倒れる以前のこととか?」
「あー、まあそんなところだ」
まさか背に押し付けられたメロンについてとは口が裂けても言えず、彼は適当に誤魔化した。
「……前の生活に戻りたいと思ってる?」
「どうだろうな。俺に家族はないし、故郷に戻ったところで特に目的もない」
ユーマは両親を幼い頃に喪い、育ての親だった祖母も去年亡くしている。彼女も親しい友人もいない。あのまま社畜生活を駆け抜けても、待っているのは老人の孤独死だ。
それに比べて、この世界での生活はどうだろう。
せかせかした現代日本と違って村の雰囲気はどこか牧歌的でゆったりとしていて、今更ブラック企業に戻ろうとは思えない。
「何よりマオがいるからな」
「ボク?」
「美人で家庭的でゲームも上手いときた。世の男の理想と言っても過言じゃない」
「褒めすぎだよ。そんなにボクはいい女じゃない。ただの世界最強の魔王さ」
「そういや、その魔王ってなんなんだ?」
「ああ、そういえば説明してなかったかな」
誤魔化しと率直な疑問をない交ぜにして、ユーマは訊ねた。
「……悲しいことに、どの時代にも必ず一人、まるで宿命のように規格外の能力を有した魔人が存在している。第二次大陸戦争の英雄サタン、騎士団王シェムハザ、六週戦争のベルゼブブ……誰もが偉人として教科書にその名を刻む魔王達だ」
「いや教科書に載ってるのかよ。なにか凄いことをしたのか?」
「戦争根絶に尽力したのさ」
「まさかのノーベル平和賞だった!?」
厳つい名前をしておいて、とんでもない偉人揃いであるらしい。ユーマは驚愕を隠せなかった。
サタンとベルゼブブはファンタジー物語やRPGのラスボスとして人気な魔王であるし、シェムハザは組織″グリゴリ″を率いた長の一人であるとされる堕天使だ。誰も彼もが平和賞とは正反対の、それこそ厄災が服を着て歩いているような、邪悪の代名詞達である。
それがこの世界では、戦争根絶に動く偉人だ。
恐ろしい形相をした悪魔や堕天使達がスーツ姿でスピーチする光景を思い描いて、ユーマは吹き出しそうになった。
「先代が亡くなるとまた次の魔王が出現し、紛争根絶に向けて尽力する。そうして歴代の魔王達は理想郷を目指し、保ち続けてきた。そして今代はこのボクだ」
「だからマオも世界平和を目的に掲げてるのか」
「考え方自体はノブレス・オブリージュに近いだろうね。大いなる力には大いなる信念と責務も約束されるのさ」
「……すげえな、魔王は」
ユーマが溢した驚嘆の呟きは、本物だ。
事も無げに彼女は言うが、世界平和がどれ程に難しいか、彼は知っていた。以前の世界でそれが実現化することは遂になかったのだから。
故に理想を成し遂げようと動く歴代の魔王達には感心するし、それに続こうとするマオのことも、彼は素直に凄いと思った。
だが、そう語るマオの口調は悲しげで、背中を向けているというのに、ユーマには彼女の浮かべた表情が手に取るように分かってしまう。
理由は簡単だ。
彼女が語るには、どの時代にも宿命のように魔王が出現しては世界平和に動くらしい。
つまり魔王の存在こそが、世界に平和が欠けていることの証左に他ならない。
「辛くないのか?」
「幸運なことに今の時代は世界情勢も安定してるからね。紛争地域に乗り込むなんてことは……当分ないと思いたいけど」
「全ては儚い理想か」
「ボクの存在が未来の戦争を保証するのさ」
資源・種族・宗教etc。戦争の勃発には少量の火薬で足りてしまう。そして世界には、それを分かっていても火をくべる愚かな人種がいる。
そのとき、マオは己の役目を果たす為に動かなければならない。戦場へと飛び込むのだ。
ユーマは身体ごと向き直り、彼女を見つめる。
「……俺は、のんびりとスローライフを送りたい。お前と二人で」
「急にどうしたんだい? そう不安にならなくとも別に今日明日いきなり戦地に赴く訳じゃない。それにボクは……魔王なんだ。忌々しいことにね」
「残念だったな、実は俺の正体は勇者なんだ。魔王の思い通りにさせてやらねえよ」
「ふふ、楽しみにしておくよ。もう夜も遅い。今宵のお喋りも幕引きにしよう。おやすみ、勇者」
「おやすみ、マオ」
はぐらかされたことに気付かない振りをして、二人は向かい合って眼を閉じる。
二人でスローライフを送りたい。
それが彼の掲げる勇者らしからぬ願望である。
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