15
退院してしばらく経ち、何とか食事も十分に摂れるようになった。
私は雅也に会いに、彼が眠る場所へ行った。きっと一人では来られないと思っていた。これも全部、藤村君のお陰だ。
「雅也、結構いい友達持ってるじゃん」
雅也に話しかけて、私はコスモスの花束を供えた。
──そういえば……前通ったあの道にあったコスモスは誰が……。
ふと疑問がよぎったとき、私を呼ぶ声がした。
「秋ちゃん」
藤村君がこちらに向かって歩いて来ていた。その手には、コスモスの花束。
「雅也に会いに来たの?」
隣に並んだ藤村君が言った。
「うん、っていうか藤村君、その花……」
「雅也好きでしょ? コスモス。あっ、なんだ。秋ちゃんもコスモスじゃん」
そう言って藤村君は、私の花束の隣にそっと自分のものを供えた。そして小さく、そういえば、と呟いて私に向き直る。
「ね、なんであいつってコスモスが好きなの?」
「えっ……」
「いや、最初知ったときに、なんで? って聞いたんだけど、珍しく答えなくてさ。秋ちゃんなら知ってるかなと思って」
思わず私は黙った。そんなこと、私以外の人にも言ってたなんて知らなかった。
急に黙りこんだ私に藤村君は慌てた様子で、
「あっ、もしかして、秋ちゃんがコスモス好きだからとか?」
と聞いてきた。
「いや、違う、違う」
私は手を振って否定して、続けた。
「……あのね、男みたいで嫌だったんだけど、実は私の名前〝あきお〟っていうの」
「えっ、そうなの?」
「うん……そうなの。で、そのあきおっていう字、〝秋〟に〝桜〟って書くんだけど」
「うん」
「これ、〝コスモス〟とも読むのよ。それ知ってから雅也、コスモスはお前の花だからとか言い出して……あいつ昔は男、男って散々からかったくせに……」
話していると、いつかの記憶が蘇った。いつものように私の部屋で二人、並んでベッドにもたれてくつろいでいたときのこと。
『俺、コスモス好きだわ。お前の花だし』
『もう、ほんっと恥ずかしいからやめてよそれ!』
『あ、違うか。あれは二番だな』
『はあ……?』
『そうだ、二番だった。ごめん』
『またいきなり……。じゃあ、本当の一番は?』
『決まってんじゃん。お前だろ』
『………うっわあぁ〜! ちょっともう、ほんと黙って』
私もつくづくアホだと思うけど、あのとき本当はすごく嬉しかった。飛び上がってしまいそうなくらい、すっごく。あんまり恥ずかしいこと言うから、素直には笑えなかったけれど。本当に嬉しかったよ、雅也。
「……秋ちゃん」
「ん〜?」
「……顔ニヤけてるから」
私は慌てて両手で顔を隠した。頬が熱い。そんな私を見て藤村君が笑った。笑われると余計に恥ずかしくなって、さらに顔が熱くなった。
「笑わないでよ!」
「自分だって笑ってるじゃん!」
何が可笑しいのかわからないくらい二人で笑った。こんなに心から笑えたのは、久しぶりだった。
「あのさ……」
藤村君が風に揺れるコスモスを見ながら言った。
「秋ちゃんが引っ越してきたばっかのとき、杉本さんが秋ちゃんの部屋に入っちゃったじゃん」
「うん」
そうだ。思えばあれがきっかけで私達は親しくなった。
「あのとき本気で焦ったんだけど、杉本さん抱いてる秋ちゃん見て、いろんな意味でホッとしたんだ」
「え?」
「葬式のときは俺もまだ混乱してたから……秋ちゃんにあのプレゼント返せなくてさ。でも俺雅也の家知らなくて、どうしようかと思ってたら、あの部屋に秋ちゃんが越して来てた。いつも雅也に写真見せられてたから、すぐにわかった。さすがにいきなり、『雅也の友達です』なんて言えなかったけど、これをきっかけにそのうち話せるはずだって……。なのに、仲良くなってくうちに嫌われるのが怖くてずっと切り出せなくて……情けなくてごめんね」
私はただ、黙っていた。藤村君は不安気な表情で私の言葉を待っている。
「藤村君ってさ」
「う、うん……」
「ちょっと変わってるよね」
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げた藤村君に、私はつい笑ってしまった。戸惑った様子だった彼も、笑う私に安堵したのか目を細めて微笑んだ。
夏ももうじき終わる。少し冷たくなった風が、そう告げている気がした。頭上を過ぎゆく雲が、二人の影を消しては流れていく。
「藤村君、本当にありがとう」
「また言ってんの? 病院のことなら本当にもういいって」
「そうじゃなくて、いろいろ。助けてくれて、本当にありがとう。藤村君がいなかったら、ここにも来れなかったと思う。こんな風に笑うことも出来なかった。すっごく感謝してる。ありがとう」
藤村君は黙って私を見つめると、おもむろに言った。
「俺、光汰っていうんだ」
「えっ?」
私は驚いて聞き返した。
「俺の下の名前。〝
藤村くんが私の顔を覗き込むようにして、満面の笑みで言った。
日差しが目に入って眩しい。思わず手をかざした。太陽が私の手に隠れる。
前から彼の笑顔は、何かに似ていると感じていた。それが何なのか、今やっとわかった。彼の笑顔は、太陽に似ている。じりじりと焼けつく日射しではなくて、燦々と降り注ぐ午後の太陽の柔らかな暖かさに、とてもよく似ている。
穏やかな空気を纏った明るく心地よいその笑顔を、私は心から好きだと思った。
「ありがとう、光汰。これからもよろしくね」
私も彼に負けないくらいの、とびきりの笑顔でそう言った。
「こちらこそよろしく、秋桜」
青く透き通った空を仰いでみる。
きっともう大丈夫だ。私は前へと進める。
毎日変わる空模様みたいに、たまに泣き崩れて立ち止まってしまうこともあるかもしれない。それでも、きっと大丈夫だ。雨が降っても嵐が来ても、絶対に晴れるこの空のように、私は何度だって立ち上がって見せる。
私が雅也を愛して忘れない限り、雅也は私の中に生き続ける。雅也と一緒に、私は前へと進もう。
(今度、家に帰ってみようかな。久しぶりに)
私は心の中で呟いた。
「じゃあ、一緒に行きますか」
光汰が笑った。穏やかな笑顔だった。私は頷いてもう一度、揺れるコスモスを見やった。
雅也は光汰と私を会わせててくれた。きっと私が前を向けるように。
雅也がくれたこの出会いに感謝しながら、私達は一歩ずつ歩き出した。
幸せへと続く、この道を。
>>>END
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