クリスマス論争

@sakurayuki-ruika

クリスマスをどう過ごすのか

新年には神社へ参り、年末は寺で鐘を鳴らし、七夕では短冊に願いを書き、お盆ではナスやキュウリに割り箸を刺す。


食事中に食べ物を箸で刺すとマナー違反と冷ややかな目で見られるのに何故か刺す。


この様に宗教に関してあまりにも無節操な国である日本であるが、心に余裕があり、家で代々信じてきた宗教もなく、現在進行形で特定の宗教に肩入れしていない様な人物がいきなり宗教にのめり込む事はあまりないだろう。


むしろ、宗教というものを敬遠している人も少なくないんじゃないだろうか。


それはおそらく、元首相を射殺したり、地下鉄で毒物を撒いたりする、所謂カルト宗教の犯した犯罪がテレビなどで大々的に報道されているから。


もしくは、宗教にハマってしまい経典やらなんやらを買わされ、お金を毟り取られたという話をよく聞くからではないだろうか?


ここで誤解のない様に言っておきたいのが、俺は別に宗教批判をしたいという訳ではない。


宗教が多くの人の心の支えとなっているのは事実だろう。


しかし、あまり良くない噂をよく聞くのもまた事実だ。


ならば、現状に不満のない人がリスクを避けるというのは当然のことじゃないか?


「という訳で俺は今、宗教というものに対してかなりネガティブな感情を抱いている」

「だから俺はキリストの生誕を祝う宗教行事に加担するつもりはないんだ」


「長々とモノローグで話した割につまらない終着点だね」


「放っておいてくれ」


「でもさ、宗教に関して無節操、棺桶に入らず墓に入るくせしてクリスマスを祝う人がいるって事でしょ」

「それってつまり、クリスマスを楽しんでもキリスト教を信じているって事にはならないって事なんじゃない?」


「むっ」


「例えば、山が好きでも、海が好きでも無くても、せっかくの祝日なんだから山の日と海の日はあった方がいいでしょ?」

「クリスマスもせっかくの年に一度のイベントなんだから楽しまないと損じゃない?」


「ぐっ」


だがしかし、それは"楽しむ権利のある者"だけの話だ


確かに、クリスマスを楽しむ者の多くからすればクリスマスに祝うのがキリストでもムハンマドでも釈迦でも気にしないのだろう


何故ならクリスマスはただの建前だからだ


そして、さっきから話している俺の話もただの建前だ、クリスマスを楽しめない(具体的には楽しむ相手がいない)のでは無く楽しむつもりがそもそもないという


だからここで退く事はできない、何故ならそれはとても辛く、惨めな事だから!


「それは少し違うだろう、山の日や海の日は別に山に登ったり、海で泳ぐ必要はない」

「だが、クリスマスはツリーに飾り付けしたり、ケーキを食べたりしないといけない」

本来なら教会へ行って聖書を読んだりしないといけないことを考えたら宗教行事に参加しているのかかなり怪しいが…


「クリスマスの楽しみ方は他にもあると思うけど、そんなに嫌なら………残念」


そう言ってこちらを少し見た後、目を伏せる


もしかして俺は致命的な間違いをしていたんじゃないか?

だがこれは失敗したら悲惨すぎる……


「それじゃあ…予定空いてたらでいいからさ……その、他の楽しみ方っての…教えてくれる?」


すると、こちらの魂胆など全て見透かしたような目でフッと呆れたように少し笑うと



ニッと嬉しそうに笑い……

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