第32話「左二の腕」
地面に押し倒された人型スライムは、二の腕の痛みに呻く。
抱えていた聖女は放り投げてしまい、畦道を転がっていた。助けようと起きあがる前に首を掴まれ、腹に重い膝蹴りをくらう。
人間であれば一瞬で胸の内にある空気を全て吐き出すような状況。転生に失敗したせいで、同じ症状に陥る。
聖女の叫び声が遠く、視界の端で三つの銀色が振り上げられていた。
夜空ごと少女の体を裂く斬撃が、桃真珠色のローブマントへと次々に襲いかかる。
道の上に力なく倒れた聖女へと黒衣の者達が手を触れようとした矢先。人型スライムの視界で赤と黒と白の三色糸が消えた。
一撃目は魔法の火の矢。
二撃目は燃える仲間から離れようとした者を足蹴に。
三撃目は応戦しようとした敵の剣を刃で受け止め、力任せに跳ね除ける。
聖女を背中に庇った魔導騎士が、四人目を赤い瞳で睨む。
首を絞められた人型スライムは指先一つ動いておらず、胸元には小型の剣が杭のように突き刺さっている。
魔導騎士達の背後から騒ぎを聞きつけた村民達が鍬や鋤を手に駆けつけており、状況不利と見た黒衣達はあっという間に去っていった。
魔導騎士は急いで人型スライムの胸元から剣を抜く。
ぶしゅっ、と噴き出る液体。胸から噴水のように出てくるのは――透明な水である。顔にかかったそれを、マントで拭う。
傷口に布地を押しつけて誤魔化す。証拠品はそっと隠していると、灯りを持った村民達が悲鳴を上げた。
「聖女様っ!?」
地面にぐったりと倒れている様子は、素人目には生きているとは思えないだろう。
人型スライムの正体隠しのために後回しにしたのだが、狼狽した村民達が信じられないような目で魔導騎士を見ている。
「騎士様、聖女様が……」
「それなんだが」
「びっくりしたー!?」
がばり、と起き上がった聖女は傷ひとつない健康体だった。
桃真珠色のローブマントどころが、その下の再現制服にも裂け目などない。
臆病な草食動物のように、驚きすぎて気絶していたかのような無傷ぶり。これには村民達は奇跡だと崇め奉り始めていたが、魔導騎士が人型スライムを抱えながら説明する。
「聖女の服は鎧よりも強く」
「奇跡じゃぁ!これぞ世界を救う神子の証ぃっ!」
「魔法や斬撃が数回くらいならば完全に防げるし」
「歴代最強神子だべ!聖女様は神々によって守られし鋼鉄の乙女だべさぁ!」
「胴上げの用意じゃぁっ!そーれっ!」
酔っ払い達の勢いには勝てなかった。
異常な状況で酔いが覚めたと思ったのだが、興奮と奇跡を目の当たりにしたと勘違いした暗示のせいで、村長を筆頭にはしゃぎ回っている。
困惑する聖女を胴上げしながら村へと戻っていくので、その賑やかさに紛れる形で魔導騎士も宿の部屋へと足を向けるのであった。
宿場に着く頃には護衛達も奇妙なことに気づいたらしく、真っ先に若侍女が聖女へと駆けつけてきた。
怪我の有無や状況の聴取などが行われているのを横目に、魔導騎士は窓から部屋へと入る。
ぐんにゃりと脱力している人型スライムをベッドに横たわらせ、胸以外から水が出ている部分を確かめる。
左二の腕に深い刺し傷。それが少しずつ広がっているが、浅くなっている。
最初に出会った時を思い出す。どうして腕が千切れたのか不思議だったが、どうやら生命核を守るスライムの特性らしい。
傷をわざと広げることで皮膜の厚みで塞ぎ、水分の過剰放出を防ぐ。スライムの単純構造のせいで、生命核は水に覆われてないと活動を維持できないのだ。
体以上の水を飲むことで皮膜の再生を早めるとするならば、宿場の者に頼んで水をもらってこようと部屋から出る。
しかし大勢の客を突然迎え入れた宿側は慌ただしく、飲み水もすぐに汲むこともできないと怒られてしまった。
無理強いするつもりもない魔導騎士は別案を考えながら部屋へ戻る。
ぼとり。
床の上に落ちた左二の腕。断面にはスライム特有の透明な皮膜。
聖女に支えられて起き上がっているが、半分は気絶している。もちろん左腕からはボタボタと水が落ちていた。
重みのせいで膝立ちで若干のけぞっている聖女。その視線はまっすぐと左二の腕断面に注がれている。
「……」
「……」
目の前の状況を受け入れたくないと、扉を閉めようとした。
しかし廊下の曲がり角から聖女を探す若侍女の声が聞こえたので、慌てて部屋の中に入って背中越しに扉へ鍵をかける。
通り過ぎていく足音に安堵する暇もない。千切れた左二の腕を凝視する聖女が、ぽつりと呟いた。
「ゾンビ?」
「アンデッド魔物ではないな」
聖女の知識では二の腕が千切れる類は、そういった魔物らしい。
しかし問題はそこではない。聖女が人型スライムを「人外」と知ってしまった。
今までは魔導騎士だけが秘めておけばよかったことが、聖女まで巻き込む羽目になったのである。
「ということは魔物?」
「……」
聖女の察知能力が悪い具合に発揮されてしまった。
魔導騎士の言い方から、正解に辿り着く。記憶を消す魔法は魔導騎士の実力では儀式が必要なため、今すぐ実行することは叶わない。
冷や汗騎士にも負けないくらいの汗を冬前に味わうケイジへ、聖女は困ったように呟く。
「重い」
少女の細腕にはつらいことを、ようやく把握した。下手に押し倒すことになったらそれはそれで面倒なので、左二の腕を拾い上げてからベッドへ横たわらせる。
うっすらと瞼を上げているが、青い瞳に活力はない。まるで廃人のようにぼんやりと宙を眺め、口はだらしない半開きだ。
水分が一気に抜けたからだろうか。病人のような怠そうに動けない様子は、傍目から見ても異常だった。
「おみずください」
人型スライムも弱っていることを自覚しているのだろう。
態度が変わっている。敬語を使ったのは久しぶりなことだった。
「魔法で作る水球なら」
手の平に西瓜くらいの水球を作る。触れれば波紋が起きるが、掴んでも濡れることはない。
かぷりと歯を立てれば、果汁のように弾ける水分。水が少ない環境下で重要視される魔法で、いかに美味しく見せるかで若い頃は競ったものだ。
迷わず受け取り、じゅるぅっと吸い上げる人型スライム。しかし一口飲んだ直後、青い顔で文句を吐き捨てる。
「くそまずい」
感謝の言葉を告げなかったので、千切れた左二の腕を使って手刀。
片手で飲むのは大変らしく、仕方ないのでくっつくまで左二の腕を支えたやることにした。
数十秒ほどで皮膚自体はすぐにくっつき、人型スライムの腕や胸から傷が綺麗に消えている。
「ら、ライムさんって……その……」
「スライム」
もう隠すのも駄目だとわかれば早かった。
即座に正体を明かしたライムに対し、聖女は把握するまで時間がかかっている。
強烈な臭いを嗅いだ猫のような表情である。魔法の真理に思考が追いつかない学者も似た顔をしていた。
「まさかスライムが好きすぎて、人間辞めちゃったんですか?」
スライム愛好家という出まかせが、とんでもない誤解を生み始める。
観念した魔導騎士は一から説明すると共に、絶対口外しないでほしいと聖女に強く言い聞かせるのだった。
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