第31話「星空の下で冷酷な刃のごとく」

 ジャルネット村へ向かう道中は、様々な町や村に立ち寄ることになった。

 中には宿馬が充分に確保できないこともあり、そういう時は町長を始めとした民家を借りることで凌ぐ。

 冬が目前に来ているというのに、わずかな蓄えを使って素朴ながらも大量の料理を振る舞う人々。彼らは厳かに祈りを捧げる。

 

「聖女様にご加護があらんことを」

 

 両手を胸の前で交差させ、深々と頭を下げる。

 神々を信じる民衆が幼い頃より覚えた礼儀作法は、流れるように自然で美しい。

 最初は恐縮しながらも笑顔で対応していた聖女だったが、次第に陰が差し始めた。

 

 目的地まで半分を過ぎた頃。王都より出立して九日目。

 人型スライムの視界で糸が消えかけた。無数の中の、ほんの小さな一本。

 小さな村の穏やかな夜。何も起きないことの方が当たり前のような時間の中で、異変が始まろうとしている。

 

 全ての悪意の縁を辿るの無理だ。

 しかし今にも成就しそうな糸ならば、話は別である。

 

 同じ部屋にいるはずの魔導騎士は村長に気に入ってもらえたらしく、遅くまで帰ってこないと告げていた。

 部屋は宿場の一階。これでもいい方で、馬車で寝泊まりする者も増えてきた。

 周囲を見まわし、窓からこっそりと抜け出す。点滅するように視界から消えかけている縁の糸は、星や月の光など関係なくいつでも見える。

 

 糸自体が色を放つようにほんのり光っており、太陽の下でもはっきり認識できる。

 だからこそ人型スライムの足取りに迷いはなく、街灯がない小さな村の畦道でも間違えることなく進めた。

 そうして少し小高い場所で、星空を眺める聖女が立っていた。

 

 桃真珠色のローブマントが夜風に揺れており、小さな口からは白い息が大量に吐き出されている。

 指先が寒いと擦り合わせているが、赤味が消える様子はない。

 人型スライムが近づいているのも気づかず、ぼんやりと空を埋め尽くさんばかりの星を見上げていた。

 

「ハルカ」

「わっ!?あ、ライムさん……」

 

 名前を呼ばれて心底驚いた聖女は、その場で小さく跳ね上がった。

 軽やかな足捌きで体勢を立て直した後は、少し安心したように笑いながら振り向く。

 元の世界の制服を再現した服装の上に、ローブマント。ブーツを履いているとはいえ膝などは露出しているようなものだが、外見よりも寒さを感じていないようである。

 

「どうしたんですか?夜も更けてきましたよ」

「……占いでここは危ないと」

「えー?」

 

 占いは好きだが、心の底から信じているわけではない。

 そんな聖女は笑顔で疑問を浮かべており、ライムの言葉を真剣に受け取らない。

 

「ここはいい村じゃないですか。人は優しくて、信心深くて……。

 今日なんかおばあちゃんに手を握られて、祈られたんですよ」

 

 言いながら指先が赤い手を見つめる。年頃の少女らしい、綺麗ながらも小さな両手。

 それを皺だらけの老婆が痛くなるくらいに強く握りしめて、泣きながら願うのだ。


 頑張ってください。

 貴方ならできます。

 世界に安寧と平和をお与えください。

 

 何度も、何度も。人も年代も性別も変わるほど祈られた。

 町や村を経由して九日。数えることもできないくらいの期待と祈りが、聖女に預けられたのである。

 異世界ではどこにでもいそうな少女に、世界を救ってほしいと願うのだ。

 

「だから私、失敗しちゃ駄目なんです」

「……」

「いい人達に応援されて、期待とか受けて、いっぱい素敵なものを貰ったから」

 

 聖女は明るい笑顔を浮かべて、星を見上げる。

 

「世界を救わなきゃ」

 

 異世界に来てそう決心した少女は、前向きに告げた矢先。

 

「なんで?」

 

 当たり前のように世界救済へ疑問を吐いた。

 

 夜風は冷たい。冬が忍び寄る、体の芯から凍えるような寒さに肌が痛む。

 聖女が胸の内側に感じているのは、痛みにも似た激しい動悸だ。確信を突かれるという言葉に、初めて納得しそうになる。

 胸を刺す疑問。ライムはいつものように淡々とした表情のままだ。

 

「だって困ってる人がいて、私はそれを救いにやってきたから」

「ハルカの意思ではない」

「浄化の力は神子が持つ特別な」

「魔法使いならば誰でも使える。子供だってやればできる」

 

 静かに切り返され続けて、少しずつ言葉が消えていってしまう。

 無力で、どこにでもいるような、普通を意識させられる。異世界に召喚された意味を、聖女は何か特別なのだと思っていた。

 それをライムは否定していく。優しさからではない。真実だからだ。

 

 今だけは信頼ではなく苛立ちが勝る。

 

「どうしてそんなことを言うんですかっ!?」

 

 拳を強く握りしめて、あらん限りの大声を出す。

 老婆の力強さを、歯が抜けた少年の笑顔を、魔物に片足を奪われた男性達の願いを叶えて何が悪いのだろうか。

 この世界の人々に望まれて聖女になった責任を果たすべきなのに。

 

「ハルカが異世界の人間だからだ」

 

 一番告げてほしくなかった言葉を、本当の名前を読んでくれる唯一の人が口に出す。

 

「この世界の問題を、お前に押しつけている」

「でも……私……」

「どうして当事者であるこの世界の人類が解決しないのか。憤るべきだ」

「……っ」

 

 役に立ちたい。異世界に来た意味を残したい。

 できるならば最高の功績を残して、誰かに喜んでほしい。

 そんな誰でも抱くような些細な野望を、無意味だと冷静に諭されている気分だ。

 

「ハルカ。お前が救うとしたら、それは元の世界だ」

「そんなの、もっと偉い人がやってくれてます。私でなくてもいいんです」

「同じことだ。この世界の偉い奴がやるべきことを、何故お前が成功させなくてはいけないんだ?」

「神子だから……」

「失敗したらお前の責任になるんだぞ」

「だから失敗しらた駄目なんです!」

 

 叫ぶようにライムの言葉を遮る。

 夜の静けさも破り捨てるように、肩を尖らせるほど強く。

 

「自分は助けると言った。そのために必要なのはハルカの覚悟だ」

「……」

「覚えておけ。この世界の問題は、愚かな人類のせいだと」

 

 今にも泣きそうな少女へ追い討ちをかけているとも知らず、ライムは強く言い聞かせる。

 普通の少女である。異世界出身である以外、そこらの村娘と変わらない。たった一人が世界単位の危機を左右するならば、そんなものは滅んで仕方がない。

 だから女神の提案に乗った。人型スライムにとって、こんな世界はそういうものなのだ。

 

 怖いと言った。死にたくないと告げた。

 その本音を隠してまで世界を救わないといけないと、思わせたのは誰なのか。


 冷たい星空の下。

 視界から消える糸。

 銀の一閃が虚空を裂いた瞬間、聖女は突き飛ばされた。

 

 闇に溶けるような黒衣がひるがえり、聖女が立っていた場所を鋭い長剣が襲う。

 地面に転がった聖女が立ち上がる前に、ライムが腕を掴む。そのまま小さな体を持ち上げ、抱えて走り始めた。

 

 暗闇の中でぼんやりと光り、少しずつ輪郭が強くなっていく糸を追う。

 白と赤と黒。色が入り混じる縁を追いかけて、背後から追ってくる三人から距離を取ろうとする。

 

「なになになにー!?!?」

 

 驚きすぎて同じ単語を繰り返すことしかできない聖女の声に耳が痛むが、足を止めることはできない。

 体は小さいが、筋肉がないライムには重い。速度は自然と緩んでいき、三人にあと少しで追いつかれるという状況の中で。

 真っ黒な茂みに隠れていた四人目が、短剣を体の中心に据えて突進。

 

 避ける暇もなく、冷たい刃が柔らかい皮膚に突き刺さるのだった。

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