第30話「気の緩みと張り詰める状況」
夕焼けが広がる町の中。赤い芋虫のような人型スライムを、こっそりと馬車から連れ出す。
普通であれば巨大な荷物を持ち歩く姿に見えるだろうが、魔導騎士は魔法学校を主席で卒業している。
赤一色の布地に魔法をかけて、その色から目を逸らすように周囲に小さな暗示をかけるくらいは朝飯前だ。
最初は若侍女などの使用人達が乗る馬車を選ぼうとしたのだが、選ばれた騎士の面々から嫌な予感を覚えた。
神聖騎士団や王宮騎士団など三大派閥が入り混じってはいる。しかし素行が悪いことで有名な者や、汚職疑いが噂になった貴族の子息など。
どうにも第二王子の影が見える。人型スライムは意図せずとも喧嘩を売った状態のままなので、逆恨みを買っている可能性が捨てきれない。
第二王子の意向は怪しいとは思いつつも、浄化遠征で聖女に危害を加えることはないだろうと予測する。
聖女の浄化遠征失敗は、第二王子の評価に直結する。大きな戦乱が起きていない現在において、それは痛恨の一撃となる。
第二王子が一番望む結果は、浄化遠征の成功だ。
成功した直後。そこを一番警戒しなければいけない。
聖女は若侍女が筆頭になって世話を受けている。遠征企画について詳しいものが立ち替わりで声をかけており、周囲の目が途切れない状況だ。
しかし人型スライムは聖女の要望で連れて来られたオマケだ。明確な役目は与えられておらず、遠征同行者の中には疑問に思う者も少なくない。
下手なことを聞かれて墓穴を掘られても困るし、うっかりスライムだとバレてしまうのが一番危うい。
魔導騎士は自らに与えられた部屋へ入ると、ベッドへ人型スライムを放り投げた。
何故か気絶しているが、目覚める気配は近い。むー、と寝言を漏らしながら寝返りを打っている。
からん、と床を転がったペンデュラム型の洋燈を手に取る。美しい硝子の筒内部では、糸車を中心に白炎が燃え続けている。舞い散る金粉のような煌めきは、衰えを知らないようだ。
枕元に洋燈を静かに置き、置かれている状況にため息を吐く。
遠征前までに人型スライムにあらゆる縁を見てもらい、ナハトやセバスにも情報を集めてもらった。
判明したのは「三人目の神子」探しが始まりかけているということだった。
神子が二人同時に存在した記録はない。
天の女神が選ぶ唯一。それこそが神子であり、死亡した後でしか探すことはできないのに。
異世界の人間。史上初の召喚された神子であり、あらゆる可能性を内包している。
一人目の神子はこの世界の人間だった。
二人目の聖女は異世界からの来訪者である。
では別々の世界であれば、同時に存在することが可能なのではないか。
召喚成功が成し遂げられた今、次々と神子を招く暴挙は難しくない。
問題は世界規模の拉致が行われてしまうということだ。聖女はたまたま楽観思考なおかげであまり口に出していないが、心のどこかでは元の世界の面影を探している。
人型スライムが聖女の本当の名前を呼んだことで、証明された事実だ。
元の世界に戻す手段の構築が終わっていないのに、もしも十人単位で呼ばれたら――。
その中に極悪人が混じっていたら、異世界の人間をこの世界の法律で裁くのか。
三人目の神子召喚を考えている派閥は、成功例の幸運さに気づいていない。
平和な世界基準で一般的な少女。
それがどれだけの奇跡的な確率で召喚されたのかを、わかっていないのだ。
魔導騎士としても浄化遠征は成功させたい案件だった。
ただの成功では駄目だ。誰もが認めるような「大成功」が必要なのである。
半端な成功で二人目の聖女の価値が過小評価された時、三人目の試みが行われてしまう。
価値が認められなかった異世界の人間を残すほど、優しい世の中だとは思わない。
そこで必要になってくるのは、未知数ではあるが人型スライムの存在だ。
真意はいまだにはっきりしていないが、聖女に助けると伝えていた。そして人類の紡績である縁の縫糸について、遠征前に洋燈を手にしながら告げた内容。
人類の願いや希望は星に負けない素材として紡がれる。
天の女神が紡ぐ紬糸。それは星屑の光繭から作られていると言っていた。
ならば縁の縫糸の中でも、願いに関わるものは女神の領域に届くのではないか。
実証はされていない。それでも洋燈によって起きた不可思議現象を、魔導騎士は何度も見てきた。
魔法使い百十人程度の魔力しかない聖女では、成功すら難しいだろう。
だが人型スライムと女神の力を発揮する洋燈が揃えば、ほんのわずかな勝機が掴める気がした。
そのために魔導騎士ができること。
遠征の最中、二人をあらゆる危険から守る。
陽が沈むのを窓越しに眺めながら、魔導騎士は苦笑する。
いつの間にか得体の知れない魔物を信用して、守ろうと考えている自分がいた。
あんなに苦手だった聖女を心配して、助けになろうと行動を始めている。
幼馴染ならば、こんな時は簡単にまとめてしまうだろう。
騎士として当たり前だ、と。
「……初めてだな」
仕事はこなしてきても、騎士として自らの意思を通そうとしたことはない。
政に従い、派閥の均衡を鑑みて、貴族の体面を保ってきた。才能があったから進んだだけの道で、奇妙な出会いによってそれらしい行動を選ぶ。
これが今までで一番苦しくて、楽しい。なんとも皮肉な話だが、活力に溢れていると自覚できた。
「何がだ?」
ようやく目を覚ました人型スライムには、魔導騎士の独り言が聞こえたらしい。
気恥ずかしいと思いつつも、大したことは口にしていない。それでも浮かれているのだろうとは思った。
魔物が横で寝ているのに、気を抜いた。言葉にすれば恐ろしく感じるが、さほど身に染みてはいない。
「ここまでの面倒ごとは、生まれて初めてだ」
「自分もだ」
同情からの言葉ではなく、人型スライムの本音である。
それくらいは気軽にわかるようになってしまったが、打ち解けすぎていないかという不安は特にない。
油断はしたくないが、常に張り詰めていては心身が保たない。ある程度の信用くらいはしても問題ない時間は共に過ごしている。
「……外が騒がしい」
「浄化遠征を応援する民衆の声だ」
視線をあちらこちらに動かす人型スライムだが、耳を塞いでいる様子はない。
変な癖を二つ持っているが、耳を塞ぐ時は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
今はぼんやりとしているが、次第に眉間の皺が深くなっていた。
「敵意はないのか?」
「あるわけないだろう。自分達を救ってくれる存在なのに……」
視線の動き方が変わった。線を辿るような、縁の糸を見つめる仕草。
人型スライムが見えるのは切れそうな、もしくは繋がりそうな縁。確定した糸は視界から消えてしまい、認識できないらしい。
どうして、今。敵意について話したのかを考える。
「糸の先を辿れるか?」
「無理だな」
首を横に振った人型スライムは、呆れたように呟く。
「数が多すぎる」
蜘蛛の巣が重なって、織物みたいに隙間がない。
敵意や殺意、あらゆる害意が蔓延っている。触れるだけで皮膚が裂けるような、鋭い縁の糸。
誰が、誰に。それさえもわからないほど大量の悪意が、浄化遠征に多数張り巡らされているのだった。
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