第29話「出立の馬車内部」
浄化遠征は王城から馬や馬車に乗って、見送ってくれる民衆に威光を示すところから始まる。
まるで祭りのような賑わいの中を進み、壁を越えて結界の外へ。
馬車の中で手を振り疲れた聖女は、すでにぐったりとしていた。
誰にも中を見られたくなかったので、壁を越えた瞬間に馬車窓のレースカーテンは閉めている。
石畳の上でもかなり揺れたが、地面だとさらに激しい。口を動かすだけで舌を噛みそうになり、笑顔を維持するだけで精一杯だった。
遠征は往復で二週間かかるので、身体的な負担を考えて侍女長達はついてこなかった。
最近は若侍女のエリがほぼ専属で聖女の身の回りをこなし、侍女長達はあまり仕事をしていない。
以前から交わす会話は少なかったが、エリが来てからは無言で終わる日も多い。
楽だった。
侍女長達はすぐにあれこれ言っては、ため息ばかり。これだから……みたいな空気で胃に刺激を与える態度である。
若侍女は違う。仕事は黙ってきっちりこなし、聖女に問題がある時は柔らかく説明しながら正してくれる。
第二王子から侍女達の配置変えがあると聞いているので、その際に侍女長達を本来の仕事に戻ってもらうよう頼んでみようかと思う。
でも何故。エリが専属のように動いたのだろうか。仕事から縁遠い女子高生の思考では、上司の指示かな程度の認識である。
揺れる馬車の中で思考を続けようとした矢先、向かいの座席からコンコンと板を叩く音。
「あ」
間抜けな声を出しながら思い出す。
転ばないように立ち上がったつもりだが、揺れた際に床へ尻餅をつく。ふわふわとした絨毯が敷き詰められているおかげで、怪我はないのが幸いだ。
膝をつきながら向かいの座席蓋を開ける。本来ならば荷物を詰めて置く場所に、占い師が体を折り曲げて入っていた。
「大丈夫ですか?」
「体中の水分がかき混ぜられてるみたいで気持ち悪い」
それはなんとなくわかる。地に足がついていないと、体が全て頼りないゼル状の個体になった気分だ。
大きな地震の後に続く小さな揺れの頻発。それをずっと味わっていると、大地の上で海に出たような心地になる。
這いずるように出てきた占い師は、座席に寄りかかるようにして窓から姿が見えないよう気を配っている。
魔導騎士の黙認のもと、馬に乗れない占い師を聖女の配慮で馬車に乗せたのである。しかし許可は取っていない。
もしも事情を知らない者が見ると遠征の行軍が滞ってしまうため、魔導騎士から耳が痛くなるほど注意された占い師の機嫌は悪かった。
絨毯と同じ赤い色の布地を体に巻き付けて、占い師は体を縮こまらせている。
聖女の馬車ということでカーテンもつけているため、窓の隙間からじっくり覗かれない限りはすぐにバレないだろう。
ガタガタと揺れる馬車の中で、聖女は座席の上で寝転ぶ。桃色真珠色のローブマントに元の世界の制服を再現した服装。膝丈スカートと膝の位置には充分注意する。
「こんなのが二週間かぁ」
「道中で立ち寄る町や村で宿場を借りると言っていたな」
始まったばかりの遠征に憂鬱さを隠さず、早く馬車が止まらないかと願う二人。
レースカーテンから差し込む光は真昼の日差し。穏やかな明るさで車内を照らすが、それで激しい揺れが収まるわけではない。
「……ライムさん。魔物って怖いんですか?」
「わからない」
不安からの問いかけ。
元の世界では襲ってくる動物に直接出会ったことはない。映像などで見たことはあった。体験としては近所の犬に吠えられるくらいだ。
もしも凶暴化した魔物に出会ったら、どうすればいいのか。ケイジ達が守ってくれるとはいえ、最悪を想像してしまう。
「ライムさんはこの世界で生きてるんだから、知っているでしょう?」
「質問の意味がわからないんだ。
魔物がどうとかではなく、敵意を持って襲ってくる相手ならばわかる」
「どう違うんですか?」
「人類も魔物も変わらない。どちらも生物だ」
聖女にはわかりづらい話だった。
魔物といえばモンスターだ。ゲームでは必ず勇者一行を襲ってくるような、絶対的な敵対者が相場である。
実際にスライムだって存在するらしい。聖女はまだ見たことないが、かなり身近なようだと、会話の中で感じていた。
「……魔物は生まれたら悪いのか?」
「え?」
「生まれてきてはいけない生物は、倒されて当然なのか?」
ぷるぷる。ゲームの中で見た台詞。
言葉が通じる不思議な魔物。悪くないと訴えて、役に立とうと頑張っている。
人間には善悪があって、どうして魔物にはないと決めていたのだろうか。おそらくその方が都合がいいから。
ゲームの世界ではない。薄々と感じてはいた。
まっすぐ見据える青い瞳から目を逸らせず、聖女はゆっくりと答える。
「その答えを探したい」
正しい解答はまだ出せない。
あまりにも知識が不足していて、気軽に判断できる物事ではなかった。
「でもね」
車輪の音にかき消されそうな小さな声で、聖女は本音をこぼす。
「死にたくない」
安全保障なんてどこにもない。それもなんとなくわかっていた。
今までは大事にされてきただけで、命の危機を感じなかった。しかし遠征という目的ができて、そのための授業を受けてわかった。
大勢の命が天秤の上に乗っていて、その中に自分がいる。そして天秤を動かす力さえも、自分には備わっている。
若侍女の涙を見てしまった。
その時は深く考えずに安請け合いしたけれど、涙の意味を知ったら後戻りはできなかった。
大事なものを取り戻すためにできることはしてあげたい。だから手を震わす恐怖を少しでも和らげたい。
「そうか」
「うん」
「自分もだ」
普段は淡々とした話し方の占い師だが、今の言葉だけは実感が込められていた。
「……ライムさんはスライム愛好家でしたっけ?」
「そう言われているな」
「じゃあ魔物が好きなんですか?」
「別に。動物や人類と変わらない生物だと思っている」
話を聞くたびに占い師について、不明な点が増えていく。
どうにも点と線が繋がらない。それも神秘的な要素となって魅力なのかもしれないが、聖女としてはもう少し距離を近づけたい。
この世界で現状唯一の本当の名前を呼んでくれる存在。心の拠り所というと大げさな気もするが、つい頼りたくなってしまう。
「じゃあ逆に嫌いな生き物は?」
「騎士」
即答。しかしそれは生き物ではなく、役職名である。
聖女が騎士と聞いて真っ先に思い出すのが、占い師とよく一緒にいる魔導騎士のケイジである。
もしかして意外と仲が悪かったのかと焦るが、占い師の性格的に本当に嫌いな相手とは話もしないように感じられた。
「な、なんで?」
「昔にちょっと色々あって……」
消沈した声のせいで、それ以上深く聞くのは無礼な気がした。
実際は無表情で答えているのだが、赤い布地で体全体を隠しているので、聖女からは表情が読み取れい。
「あと女神も。口うるさい」
その瞬間に馬車がガタンと大きく揺れて、占い師が愛用している洋燈が内部で転がる。
どこかにぶつかった弾みで大きく跳ね上がり、天井にぶつかったと思いきや勢いよく占い師の脳天に直撃した。
布地を体に巻いていたおかげで外傷はなかったが、脳震盪を起こしたらしい。宿場がある町に着く夕方まで、占い師は気絶したまま動かなかったのである。
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