第28話「遠征前の夜会」

 遠征が決まってからはあっという間に事態は進んでいき、出立前日には国王直々の夜会が開かれた。

 国王の挨拶の際には聖女が多くの貴族に見守られながら、慣れないドレス姿で紹介をされていた。ケイジ達は遠目に見守っていたが、明らかに緊張して動きが固い。

 しかしかなり礼儀作法を叩き込まれたらしく、派手な失敗というものはなかった。その後は貴族達が群がる前に別室へ移動となった。

 

 夜会には騎士達の親族や知り合いなども招待することが可能で、婚約者であるキトラと肩を並べながらケイジは微笑む。

 

「可愛い娘さんでしたね」

「おてんばで困ることばかりだ」

「私よりも可愛がってるのでは?」

「仕事が忙しく、ゆっくり話ができなくて本当にすまない」

 

 婚約者から滲み出る圧を感じ、魔導騎士は気まずそうに返事する。

 しかしクスクスという笑い声を聞き、からかわれたのだと理解した。その仕草やいたずら心も好きなのだから仕方ない。

 

「そういえばライム様は?」

「あいつ……って、なんで知っているんだ?」

 

 慌てて白の長髪を探そうとしたが、婚約者がいつの間にかその存在を知っていることに驚く。

 基本的にケイジと一緒に行動していたため、キトラと会うタイミングはなかったはずだ。最初の婚約破棄と復縁時の立会いくらいしか接点がない。

 

「セバス様におすすめについて教えているところ、今後に必要だからとご紹介いただきました」

「……」

「希少な潤滑油についてご存知で、何故か距離を置かれてしまいましたけど」

 

 おすすめ。

 潤滑油。

 覚えがあるのが嫌だった。


 キトラの性癖に関しては話し合いを続けるつもりなのだが、彼女自身は野望達成のために下準備を粛々と進めているらしい。本格的に逃げることができなくなったら、ケイジに残されているのは白旗を上げるくらいだ。

 美しく愛おしい婚約者の話を聞きながら、執事経由で知り合いになったことを把握。問題を起こしていないならば追求するつもりはない。

 

「ナハト様は夜会にはいらっしゃらないのでしょうか?」

「引き継ぎが多くてな。なにより騒動後は面倒だろう」

 

 ケイジとキトラの美男美女を注目する視線は多いが、それは美しさに魅了されているだけではない。

 クラウド家による婚約破棄騒動。貴族街でも話題の中心であり、真実の愛によって結ばれた二人だと持て囃されている。その影響でナハトは悪者扱いであり、本人も「仕方ない」と納得しているようだ。

 幼馴染のそういうお人好しな部分は好きなのだが、モヤッとする原因だ。しかし訂正して周っても意味がないことくらいは理解している。

 

「……無事に帰ってきてくださいね」

「ああ」

 

 肩を寄せて、祈るように囁かれた。

 それは愛の告白よりも切実で、祈祷よりも強い気持ちが込められている。

 浄化遠征。騎士の役目は魔物の討伐であり、事前情報を持っていても新しい魔物が現れて苦戦するなど当たり前だ。

 

 もしも固有名がつくような魔物に出会ったら、生きて帰れる保証は限りなく零になってしまう。

 元気づけるように婚約者の細い肩を抱き寄せている最中、テラスの方で水をグビグビと飲んでいる人型スライムを見つけてしまう。

 誰かが近づけばスーッと移動して逃げるか、洋燈を使って遠ざけている。前者はいいとして、後者はあまり気軽に使ってほしくない類である。

 

 婚約者か、未知の魔物か。

 もしも夜会で正体がバレると大変なことになる。しかし久しぶりに婚約者と会ったので離れたくない。

 迷った魔導騎士は両方を選んでしまおうと、ヤケになって人型スライムへ婚約者と共に近づく。

 

「ライム、夜会が嫌なら……」

「むー?」

 

 長い白髪を編み込みなどでスッキリまとめあげた人型スライムは、今だけ貴族の嫡男のように見えた。流行の青い夜会服は細身の体に沿っており、テラスで立っているだけで神秘的な雰囲気があった。

 腰にはペンデュラム型の洋燈が括りつけられているが、それが気にならないほどの身なりである。どうやら貸出服のいいものと巡り会えたようだ。

 

「む〜、むむ……むー?」

 

 とろんと蕩けた青い瞳に、奇怪な発言を続けている尖り口。

 なにより健康的な肌が、顔を中心に赤く染まっていた。頭はふらふらと揺れており、足取りがかなり危うい。

 手に持っているのはワイングラスなど生易しいものではなく、大ジョッキである。グビグビと飲んでいたのは水ではなかった。

 

「お前、酒に弱かっ!?」

 

 目の前で頭から背後へ倒れる人型スライムは、テラスの手すりに背中がぶつかって頭から真っ逆さまに落ちる寸前だ。

 夜会が開かれているのは王宮の二階部分であり、社交会でもよく借り出される場所である。下に茂みが多いのは、こういう事故が多いからだ。

 しかし人型スライムの場合は皮膚が裂けると、出てくるのが水である。傷口から透明な皮膜が見えてしまい、異常が周囲にバレてしまう。

 

 第二王子の時は適当な出まかせで誤魔化せたが、そう何度もできるようなものではない。

 急いで腕を伸ばし、首元を掴んで引き寄せる。ぐったりとされるがままの人型スライムは、楽しそうにむーむーと歌っている。

 

「酔ってしまわれたのですね。どこかで介抱いたしましょう」

「そうだな……」

 

 一人にすると危険だと婚約者も判断してくれたので、近くにいる配膳係に空き部屋を尋ねようとした矢先。

 

「ケイジさーん、ライムさーん」

 

 少し遠くの部屋から聖女の声が聞こえる。

 窓から顔を覗かせた少女は、ドレス姿のまま手を振っていた。

 

 二人で人型スライムを運び、途中で合流した若侍女の案内に従って聖女が休んでいる部屋へ入る。

 聖女は小分けにされたビュッフェの料理を好きなように食べており、今はミニケーキと紅茶を楽しんでいるところだった。

 む〜と眠そうにしている人型スライムはベッドに放り投げ、ケイジが身だしなみを整える頃にはキトラが華麗に挨拶を終えていた。

 

「――キトラ・レイニーでございます。お気軽にキトラとお呼びください」

「ひゃっ、ひゃい!」

 

 ふわりと広がる金の長髪は宝石の髪飾りで美しく整えられ、青い瞳は穏やかな微笑みに合わせて輝いている。

 華やかな水色のドレスは彼女の麗しさを際立たせ、首飾りをはじめとした宝飾類は全てが一級品。

 

 社交会の花。誰もが憧れる美しきご令嬢。

 そして聖女がうっかり敵対しかけた相手が、目の前に立っている。

 

 仰天しすぎた聖女はケイジへと詰め寄る。ふんわりとした桃色のドレスが動きにくそうだったが、それも気にしない速度であった。

 

「あんな美人が婚約者なんて聞いてませんよ!?早く言ってくださいよね!?」

「俺のせいか!?」

「勝てるわけないじゃないですかぁ!早めに教えてもらって本当に良かったぁ!」

 

 服の裾を掴まれ、ガックンガックンと揺らされる。

 まるで駄々をこねる妹に振り回される兄といった風体だが、キトラからしてみれば初めて見るケイジの表情だ。

 いつだって婚約者には真剣な男の、少し気を許した姿。嫉妬するには可愛すぎる光景である。

 

「キトラさん、私は婚約者がいる人とは絶対に恋愛しませんからね!」

「ええ、存じております。ライム様からある程度はお聞きしております」

「ライムさんから?」

「はい。ケイジ様との縁は強いから安心しろとも」

 

 ベッドの上で幸せそうに眠る人型スライムは、寝言でもむ〜と口に出している。

 それがどんな癖なのかはわからないが、顔を覗き込んだ聖女と魔導騎士はそれぞれの感想を呟く。

 

「まあ感謝してやるか……」

「ライムさんの占いってすごいですね……」

 

 三人が揃っていると、不思議な安定感が空気に満ちていく。

 それを感じ取ったキトラは少しだけ疎外感を覚えつつも、全く恋愛に発展しそうにない雰囲気に心底安堵するのだった。

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