第27話「人類の紡績・縫糸」
雪が降る手前。
聖女の浄化遠征が決まったことは、すぐさま王都に広がった。
場所は田舎のジャルネット村。瘴気噴出の規模としては小さなものだが、神子としての役目を果たすには相応しいだろうと選ばれた。
王国の西側の村であるため、冬将軍が雪風を連れてくる前に移動しなければ春の訪れに間に合わない。
騎士の選抜も始まり、王宮や神聖、魔導騎士団でも名のある者達が集められている。
聖女の教育係を担っていたケイジも当然のように選ばれ、副隊長であるナハトや部下達に不在時の緊急時対策について何度も話し合う。
「なあ、ケイ。貧民街の巡回はどうする?」
「王都在住の騎士が減るんだ。仕事を増やすのは負担が大きすぎる」
「まあ、そうなんだけど……うん」
騎士団内の詰め所は普段よりも騒がしく、年末にかけての決算についても動き始めた。
それくらいの雰囲気を察知している軽薄騎士が、あえて今を選んだということ。なにより彼自身が婚約騒動前から、貧民街に関する対策案に取りかかっていたのは知っている。
資料に目を通したところ貧民街の治安対策というよりは、瘴気問題で増加する魔物の脅威について重点を置いていたはずだ。
「あそこで冬場に問題が起きたら貧民を壁内部に受け入れるかのあたりを、どうにかまとめておきたいんだ」
「……お前、何を知っている?」
聖女との授業が毎日となった際、ナハトも暇があれば顔を出すようになっていた。
その都度ケイジよりもわかりやすい説明をしてくれるが、時折詳しすぎる内容も頻出していたのは引っかかっていた。
聖女達は特に気にした様子もなかったが、魔導騎士からすれば小さな疑いを抱くには充分である。
「ミランダ達と付き合ってる時、小耳に挟んだんだよ」
「少し横に逸れるが、まさか……」
「今は会ってないよ。つーか、迷惑になっちゃうだろう」
悪者になることでめでたしを喜んだ幼馴染は、こういう時ほどものわかりがよすぎる。
そのせいで魔導騎士が複雑な感情に苦しむのだが、表に出すことはない。
「貧民街で地面の亀裂が増えてるかも……って」
「土地の異変ではなく、瘴気の前兆と疑っているのか?」
「それを調べたかったけど、巡回許可が降りなかった。
浄化遠征が上手くいけば問題ないんだが、ライムはどう思う?」
急に話題を振られた人型スライムは、水飴を棒で練る手を止めた。
水のような飴があることに喜び、練ると美味しくなる方法を知ってしまったことで虜になってしまったようだ。
暇があると水飴を食べているか、水をごくごくと飲んでいることが多い。聖女の要望のせいで、魔導騎士団の詰め所で毎日この状態だ。
「占いでやべーとかさ」
「時期が悪い」
「どういう意味だ?」
「浄化遠征が決まってから、あらゆる物事が複雑になっている」
そう言いながら練った水飴を口の中に入れて、もごもごと味わっている。
視線はあちらこちらに動いているが、線の流れを辿るように綺麗だ。縁の糸を見ているのだろうが、今まで以上に増えている。
最近は出番が減っていた洋燈を取り出し、白炎越しに宙を眺めている。軽薄騎士にしてみれば、空っぽの洋燈で占っている動作と誤解してくれるだろう。
「特に聖女関係は酷い。占うにも、対象の近くまで行かないと無理だ」
「そっかー」
「……おい」
人型スライムを手招きし、気になったことを小声で確認する。
「聖女には縁の糸が繋がらないのでは?」
「女神による運命の糸はそうだが、人が作る縁の糸は別だ」
糸の違い。洋燈から出てくる糸以外が見えない魔導騎士にとって、それは初めて知る内容だった。
しかし婚約騒動の頃から切れそうな糸という存在があったのは覚えている。運命の糸がそんなに脆いものかと、今さらながら当然の疑問が湧いた。
女神が紡ぐ紬糸。
それとは別に人類が総出で紡績する縫糸。
視線をあちらこちらへ動かしながら、人型スライムは二つの糸について説明した。
婚約騒動で人型スライムが目撃した、伸びていたり切れそうになっていた糸のほとんどが縁の縫糸。
人をあらゆるものに縫いつけて、人生という布地を固定して彩っていく。これは人類が知らぬ内に生産しては、結びつけようと躍起になっているものだ。
女神の力が及ばずとも、聖女には人類の作る糸が届いてしまう。人型スライムはそれを目撃して確証を得ていた。
「切れそうなものばかりだが、何が繋がるかわからない。用心は必要だ」
「……ナハト、お前はどうして貧民街を気にかける?」
知り合いがいたと聞いたことはない。悪女五人衆関係ならば手を引けと助言するつもりだった。
しかし軽薄騎士の思考は魔導騎士にとって予測もつかない方に働いている。
「俺が騎士だからだよ」
軽やかなウインクと一緒に、気軽な調子で告げる当たり前のようなこと。
現実と物語は違う。どう足掻いても権力や地位の前に塞がる壁が、容赦なく理想というものを押し潰してしまう。
それでも幼馴染は笑いながら求めるのだろう。昔から変な具合に夢想家なところは変わっていない。
しゅるり、と久々の音。
洋燈の硝子扉が開き、美しい銀色の糸が伸びている。
それは軽薄騎士の周囲を守るように渦巻き、心臓の裏側から体内へと消えていった。
「思うがままに進め。天の女神が守ってくださる」
「お!かっこいー!」
人型スライムの占いを茶化す幼馴染は、何も見えていない。
運命の女神が紡ぐ紬糸。その効果を何度か見たことがある魔導騎士は、人型スライムもお人好しに弱いのかと苦笑する。
「でも俺って美神信仰だけどいいの?」
ガタガタと暴れ出した洋燈。その硝子扉を即座に閉めた人型スライムは、無表情のまま手の甲にはっきりと青筋が浮かぶほどの力を込めている。
横目で様子を伺うケイジの視界では、白炎が真っ赤な色に変化していた。
中心の糸車は激しく回り続け、硝子筒を埋めるようなどす黒い糸が紡がれ続けている。
美神は女神に比べると肉体的な魅力に溢れた像が多く、芸術家が愛する神とも言われている。
過去に女神との対立が描かれた物語も数多く作られ、信徒からは不敬だと文句をつけられるのが日常茶飯事だったらしい。
「ほら、やっぱり像とか見ると美神って超美人だからさ」
ガッタンガッタンと跳ねて暴れ出した洋燈を、人型スライムは腕の中に抱えてソファにうずくまる。
これ以上は天罰が降りかねない。話を切り替えるために、ケイジはとある書類に隊長印を押してナハトへと手渡す。
「これで一回だけ隊長権限を行使できる。お前を信用して渡すが、使い所には気をつけろ」
「ありがとな、ケイ!第二隊の金庫室にしまっておくぞ」
そう言って身軽にピューッと去っていく幼馴染の背中が消える頃、疲れ切った様子でソファに寝転がる人型スライムの体勢が変わっていた。
洋燈はいつも通り静かで動かない。しかし人型スライムの視線が忙しなくあちらこちらへ動き、目を回しすぎて酔っているように顔色が悪い。
両手で両耳を塞いでおり、今にも気絶しそうなほどの大音声を聞いているかのようだった。
「大丈夫か?」
「そう見えたらお前の目は節穴だ」
憎まれ口を叩く余裕はあるらしい。
聖女の授業を連日行い、浄化遠征の準備は増え続ける一方。
騎士としての仕事もこなすため、魔導騎士は苦しむ人型スライムを放置するのであった。
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