第26話「おいしいあめ」

 ジャルネット村は貧しい村である。

 ひたすら増やした畑と牧草地で一次産業が盛んだが、目立った特産品はない。

 老若男女問わずに朝から晩まで働いて、村人全員で力を合わせてようやく税収分以外の稼ぎが絞り出せるような収穫量。

 

 着ている服はボロボロで、若者達は都会を夢見て離れていく。

 王都の流行が届かないせいで時代遅れのおしゃればかり。宝飾品なんて家屋を漁っても見つからないような場所。

 少しずつ衰退の一途を辿っているのに、都会で夢敗れた者が戻ってきては少し立ち直るの繰り返し。

 

 視察という名目の小旅行で家族と来た時、エリは驚きで声が出なかった。

 笑顔で歓迎する村人達の晴れやかさは、予想していなかった。林檎パイのねっとりとした食感が苦手だったけど、なんだか美味しく感じる。

 食べるほど涙が出てくる。こんなもので誰も救われないのに、止めることができなかった。

 

 瘴気で覆われた村には思い出が残っているはずなのに。

 避難先の養護施設では以前のような暮らしや食事ができないのに。

 

 どうしてこんなに優しくしてくれるのか、エリにはわからなかった。

 手作りの林檎パイをご馳走だと振る舞ってくれる精一杯さを、受け止めるにはあまりにも無力な自分が嫌だった。

 

 ジャルネット村は貧しい村である。

 けれどエリにとって――管轄する貴族シャドー家にとっていい村だった。

 素朴で、静かで、温かい。そんな村が近くの沼から溢れた瘴気によって、数ヶ月で人が住めない場所になったのだ。

 

 村人達が困らないようにするだけで家財が減っていく。

 貴族として末端なのに、さらに落ちぶれていく。それでも構わないと、シャドー家は今も借金を重ねている。

 村を失った後に振る舞われた林檎パイに報いるには、どれだけの黄金を積み重ねても足りないのだから。

 

 だから声をかけられた時は天の女神が微笑んだと確信した。

 それが何かの罠だとしても、構わない。浄化によって村を取り戻せるならば、なんでもしよう。

 

 エリが語ったのは、自分の家がジャルネット村を管轄する貴族ということ。

 ケイジやナハトからすれば聞いたことある名前だが、あまり目立った功績はない家である。

 子供が侍女をしているくらいだ。元から裕福ではないところに、運悪く瘴気が管理地に噴出したのだろうと推測した。

 

「聖女様がお気にかけるような事情ではございません。どうぞお忘れください」

「え、やだ」

 

 あっけらかんとした否定に、若侍女が浮かべていた憂いが崩れてしまう。

 

「これから行く場所がエリさんの大事な場所なら、頑張るしかないでしょ?」

「しかし侍女ごときの事情に振り回されては、いずれお役目に支障が……」

「場所を指定したのは第二王子で、たまたまエリさんの好きな場所なだけだよ!問題ないって!」

 

 ソファの上で体勢を変えて振り返った聖女は、何も考えてないような無邪気な笑顔だった。

 その表情を真正面から見てしまった若侍女は、理知的な黒い瞳に大粒の涙をこぼす。嗚咽を飲み込もうとしてうつむけば、木の床に熱のある水たまりができた。

 まさか泣かれるとは思っていなかった聖女が慌てる中、人型スライムは若侍女のエプロンドレスのポケットへと視線を向けている。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「え?もしかして聞かない方がよかった?だったら忘れたふりしておくから泣かないで!」

「聖女様のお気持ちを傾けるように身の上話をしたこと……心からの謝罪を」

「そんなに悪いことじゃないと思うけど……あ、じゃあ飴ちょうだい!」

 

 軽薄騎士がさりげなく綺麗なハンカチを若侍女に渡す中、聖女が幼い子供のように両手を伸ばしている。

 涙を拭った若侍女はエプロンドレスのポケットから紙袋を取り出し、その中に入っている飴玉を差し出す。

 白い包み紙に包まれており、中には透明な黄色の丸玉。二個もらった聖女は、一個を人型スライムに手渡す。

 

「これは?」

「蜂蜜飴らしくて、すっごく美味しいんです!」

 

 初めて飴を見たであろう人型スライムは、若侍女が飴が入っている紙袋をしまうポケットへと再度視線を向けた。

 そして聖女の指先を真似するように包み紙を解き、黄金色の飴を口の中に入れる。

 固形物に興味を持っていなかった人型スライムが目を輝かせ、少しずつ溶けていく感触を楽しんでいるようだった。

 

「飴は素晴らしいな。とろりとした液体を固めるとは、持ち運びにも便利そうだ」

「どういう視点なんですか?」

「あー、そろそろ授業の続きに戻ろうか」

 

 泣きやんだエリは佇まいを直し、ナハトには後日洗濯して返すと言い渡している。

 その凛とした真っ直ぐな姿勢は美しく、幼馴染は微妙そうな表情を浮かべていた。おそらく手を出すと怖いことが起きる女性だと認識したのだろう。

 どんどん話がずれていきそうな気配を感じたため、魔導騎士は本来の目的を口に出した。

 

「聖女様、私に敬称は必要ございません」

「でも年上だし?」

「あの……恥ずかしながら今年で十五でございます」

 

 一歳年下の衝撃を声で表した聖女に続き、こっそり話を聞いていた冷や汗騎士まで仰天の表情を浮かべて仕切り板から顔を覗かせていた。

 その様子に面白そうな気配を感じた幼馴染の愉快犯的な表情は、人間関係が増えていくことを示唆している。

 結局、その日の授業はそれ以上まともな内容にはならなかった。

 

 屋敷に帰って一息ついた魔導騎士。そこへ人型スライムが手持ちの金貨を差し出してくる。

 

「これで飴は買えるのか?」

 

 甘味は贅沢品だ。特に砂糖を使用したものは貴族の間で親しまれており、商店街でも買うのも一苦労である。

 しかし人型スライムは服や住まいを他から提供してもらっており、執事の使いや軽薄騎士からの施しでもらった金銭を使用したことは一度もない。

 下手に魔物に貨幣の価値を教えてもいいものかと迷ったが、飴程度ならば問題ないだろうと判断する。

 

「充分だ。セバスに確認しよう」

 

 そう言って部屋に人型スライムを残し、執事がいるであろう巡回路の廊下へと足を向ける。

 執事はいわば屋敷の総合管理人だ。使用人達の動きや仕事ぶりを評価し、その内容を私情挟まず正確に主人へと伝える。

 仕事に関する主人代行人。それ故に責任は重く、屋敷内を見回ることで日々の暮らしに異変がないか監視しているのだ。

 

「セバス」

 

 燭台を手にして廊下を歩いていた執事へ声をかければ、ゆるりと振り返る。

 その動作はゆったりとしているが、無駄が一切ない。長年の職務で削ぎ落として効率化した姿勢は、仕える相手への礼儀を忘れない。

 まとめられた銀髪が乱れることもない一礼。高齢だというのに、折り曲げた腰を元に戻すことを容易にこなしてしまう。

 

「夜分にどのような御用でしょうか?」

「ライムに飴を買って欲しいと頼まれたんだが」

「……坊っちゃま」

 

 空気が少し変わる。

 つい気が緩んでいたせいで忘れていた。

 

「それくらい呼び鈴でお済ませください」

「悪い。セバスは甘いものが好きだから詳しいと思って」

「しかも客人に頼まれたからと坊っちゃまが歩くなど……嘆かわしい」

 

 言われてみれば小間使いにされたようなものだ。人型スライムがいる生活に馴染みすぎたのと、自分で仕事をこなす悪癖が滲み出てしまっている。

 貴族の務めとは人を動かすことだ。執事を始めとした使用人達や、事業で雇った部下に護衛の騎士など。管轄地で国税を徴収するのも、そうやって人材を養うためだ。

 王国によって地位や土地を与えられた雇用主。それが貴族であり、自ら動くことは高貴ではないと笑われてしまう。

 

「商店街にておすすめのお店を紹介いたしますので、次回からはそちらで購入なさるように」

「わかったって。ありがとうな」

 

 私室に隠していたという秘蔵の水飴壷を受け取り、ケイジは苦笑する。

 手の平に収まる大きさの小壷だが、ずっしりとした重み。高齢だというのに、細身の執事は病気よりも甘味を優先しているようだ。

 執事の私室は必要最低限のものしか置いていないが、窓際の月光が届く小机に天の女神像が置かれていた。

 

「部屋にも女神像を置いているのか」

「信心深いもので」

「疲れないか?」

「人生に華を添えてくれる存在でございます」

 

 熱心なのは知っていたが、部屋にまで置くのに教会所属ではないことは昔から不思議だった。

 しかし執事曰く「これも女神が与え申した運命でございます」と、今の状況に満足しているようではあった。

 そのまま寝る準備を進める執事の部屋を後にして、ケイジは人型スライムが待っている私室へと帰るのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る