第25話「聖女のお仕事」
「では本日の授業は魔力と瘴気の関係性について……」
用意した教材通りに授業を進めようとしたケイジだったが、聖女がおずおずと手を上げる。
ソファにちょこんと座っている姿は小型犬のようで、横に座っているライムが天井付近を見上げて不可解そうな表情を浮かべていた。
対面に座るケイジとナハトは虫でも飛んでいるのかと思ったが、今日は寒さが一段と強い日だ。若侍女のエリも澄ました顔をしているが、指先がほんのりと赤づいている。
「第二王子から一ヶ月後に浄化できるように、って」
浄化遠征。
神子の仕事であり、これから聖女が危険地帯へ赴くことを意味している。
今まであらゆる理由で仕事から引き離していたはずなのに、急な方針転換に騎士達は顔を見合わせる。
聖女派閥の動きを鑑みると、社交会などで聖女の地位を盤石にする方向だった。
そのための婚約騒ぎが起こり、クラウド家が大きく巻き込まれている。少なくとも一年くらいは浄化遠征はないと見込んでいた。
その間に被害は大きく広がるだろうが、押さえ込む手段や防衛策は用意されている。急ぐ必要はどこにもない。
しかし第二王子の命を無視することはできない。
それがたとえどんなに理不尽で、納期を考えてない問題注文だとしてもだ。
浄化自体は魔法使いならば誰でもできる。
しかし土地から噴き出た瘴気を世界への力に変えて、男神の体である土地の傷を塞ぐことは神子の圧倒的な力が必要になる。
歴代の神子の中でも最低に近い魔力保有量だとしても、魔法使い百十人分を一度に賄えるのは聖女だけなのだ。
「本日の教材ですと実践は難しいので、当分は知識面で補佐いたします」
授業が始まってから言われても、即時対応など夢の話である。
おそらく聖女の要望を渡して逃げ去ったことを根に持たれているのだろう、と大方の検討をつける。
聖女が少し臆したように表情を歪めたが、気を取り直して姿勢を正す。真面目な前のめりは悪くない傾向だ。
「でもケイは教え方下手だろ?」
「そうなんですよ!」
幼馴染からの予想外発言に大声で乗っかる聖女。
全く自覚していなかった魔導騎士は机の影に隠れて足を蹴ろうとしたが、身軽な軽薄騎士がさっと避けてしまう。
「お前、昔から相手も知ってる前提で話すからわかりにくいんだよ」
「当たり前のことを話すのは時間の無駄だろう」
そういえば幼馴染は学生時代からテスト前になると大人気を博していた。
テスト問題に関しては特に困ることがなかったケイジは、むしろ静かに勉学ができる時期でもあったのだが。
もしかして教え下手というのが周知の事実だったので、誰も集まらなかった可能性があるのでは……と数年越しに気づくのである。
「今日は俺も手伝おうか。聖女ちゃんは浄化ってどんなものかわかる?」
「何かを綺麗にするのかなって思います」
浄化は世界に必須な機能であり、女神が人に与えた力だ。子供ですらおとぎ話で学ぶ内容を聖女は知らない。
そんな当たり前をようやく把握した魔導騎士は、幼馴染のさりげない気遣いに感謝する。
「それならば女神と男神の神話から」
「長い」
バッサリと人型スライムに続きを切られ、その頭を片手でわし掴む。ぎりぎりと力を込めれば、腕をペチペチと指先で叩かれる。
それも見慣れ始めたらしい幼馴染達は話を進めており、浄化について簡単に説明を終えていた。
浄化とは瘴気という危険な気体を、魔力という内容に変化させることである。
この瘴気というものはあらゆるものに通じる毒のようなもので、一気に大量に吸い込んだり長時間浴び続けると死の危機に瀕してしまう。
死ななくても体の一部が腐敗したり、精神を蝕んで凶暴になったりしてしまうなど。
一番は魔物の出現だ。
普段であれば無害な水や木が生命体のように動き出し、状況によっては人を襲いにくるのだ。
そのあたりでスライムの話が出てきたので、魔導騎士と人型スライムも説明を聞く体勢になる。
「スライムは比較的無害で、その材料は幅広く使われているんだ。俺達の騎士服にも使われていて、伸縮性があって動きやすいんだよ」
「毒スライムとかメタルなスライムはいるんですか?」
実際にナハトの袖口を掴んで引っ張る聖女は、動けるスーツみたいなものかなと思いながら別の質問を口に出す。
聖女の世界は比較的平和そうな印象ではあったが、魔物に対する知識がある程度備わっているのはどういうことだろうか。
「それは場所によるかな。毒沼とか水銀が豊富な鉱山だと、発生した話はあるね」
「%%&&##しやすいとかあるんですか?」
「ご、ごめん。聞き取れなかったや」
聖女の世界独自の単語が出てくると、魔導騎士達は聞き取ることができない。
人型スライムだけが「レベルアップ」とわかったが、その単語に込められた意味までは理解することはできない。
それも聖女にはわかったのだろう。聞き流してほしいということで、次の話題に移っていく。
「神子の仕事は瘴気を魔力へと変える――浄化ってこと。
魔物は瘴気がなくなっても動き続けるんで、それを倒すのは騎士の仕事だね」
「魔力は危なくない?」
「使い方次第だけど、基本的には世界に満ちている自然の力なんだ。空気みたいなもんだよ」
「聖女様も魔力はお持ちですよ」
ケイジがそう告げると、少しの沈黙。
少し経ってから聖女は驚きで声を上げ、両手を動かしながら自分の体を探っている。
「じゃ、じゃあ私も魔法が使えるんですか?」
「浄化が使えますね」
「ケーイー……。浄化は魔法の一種なんだ。ただ神子の場合は浄化しか使えないわけ」
「えぇ……」
明らかに不満そうな顔をしているが、それほど落ち込んでいるわけでもない。
初めて使える不思議な力に期待したのだろうと思えば、聖女の世界には魔法という存在はあっても技術としてはなかったのだろう。
「神子は女神に選ばれた人間なんだ。それまでは普通の人間が、女神によって浄化専用の魔力器を与えられるって感じ」
「魔力器?」
「魔法使いの間で使う、目に見えない臓器という意味合いかな。これを意図的に動かして魔法を使う者が魔法使いってこと」
「なんか……専用単語の多い難しいゲームって感じですね」
聖女の目が胡乱になってきたが、今のところ集中力が途切れている様子はない。
もしも魔導騎士が説明を始めていたら、魔力器があるかどうかで魔法使いの素質が判明することや、人体は魔力を貯めることはできても使う術がないなどややこしいことになっていたはずだ。
「まあ聖女ちゃんが興味を持った時に調べてくれよ」
「はーい」
「魔法使い一人で小屋の範囲を浄化できれば上々なんだけど、神子の場合は広大な土地を綺麗にできるんだ」
「……ど、どれくらい?」
「畑一つは余裕じゃないかな」
小屋と畑の大きさの比較がわかりやすかったのか、聖女は驚きすぎて声も出なくなっていた。
小声でぶつぶつと「でもあんまりチートじゃない?」というのが、人型スライムの耳には届いている。やはり聖女が使う言葉は、意味までわからないものが多い。
「ちなみにどこに行くとか聞いているの?」
「えっと……ジャルネット村だったかな」
「あ」
間抜けな声を出したのは、それまで沈黙を保っていた若侍女だった。
恥ずかしさから口元を指先で押さえているが、それが逆に肯定を示している。
長い睫毛を伏せて憂う黒い瞳を少し隠している。横顔からもわかるのは、不安と期待が入り混じる複雑な感情だ。
「知ってるの?」
聖女の問いかけに、若侍女は困ったように告げる。
「我が家の領地でございます」
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