第23話「悪者のめでたし」

 それは悪い貴族の話だった。

 五男坊が遊び好きの酷い男。死んだ婚約者のことも忘れて、慎ましく暮らす女達に手を出したのである。

 それも五人。全員が家庭に事情があり、貴族の息子相手では逆らえない。どうにか機嫌を損ねないように付き合っていたとさ。

 

 けれど貴族の当主はそれが気に食わなかった。

 五男坊には罰を下さず、弄ばれていた女達に酷い制裁を加えた。あわや一家離散の自殺者多数となりかけたのだが。

 そこに現れたのは貴族のドラコー家。悪い貴族とは旧友の仲だが、これ以上の悪行を見過ごすことができないと動き出した。

 

 悪い貴族もドラコー家相手では敵わない。

 さらにはドラコー家に嫁ぐはずだった美しい令嬢を奪おうとしていたことが発覚。愛の力で令嬢を取り戻す頃には、悪い貴族も改心。

 真実の愛によって全てめでたしめでたしだったとさ。

 

「お前はそれでいいのか?」

 

 朝の日差しが入る執務室で、ソファに座る幼馴染へ声をかける。

 専用部屋と言えば聞こえはいいが、実質は仕切り板で区切っているだけの空間。部下達が聞き耳を立てれば、副隊長の話など丸聞こえだ。

 ありふれた童話のような語り口で、悪者を仕立て上げることで全て解決したという内容。それが住宅街を中心に流れて、悪女五人衆は無罪放免。むしろ悲劇のヒロインとして華々しく表舞台で言い降らすのだ。

 

 全てはクラウド家が仕組んだ悪事なのだ、と。

 

 ナハトという男の善意につけ込んで、金を奪っていた悪行はどこかへ流れ去っていく。彼女達を救うために奔走した事実は、不都合だと切り捨てられた。

 

「もちろん。彼女達が幸せなら、それでいいさ」

 

 軽薄な女好きの騎士は、気軽に告げる。

 罪悪を背負っても構わない。愛した女達の幸せのために、喜んで汚名を浴びるのだと。

 それは破滅的な献身であり、身近にいるものを不幸にする善性だ。少なくともケイジは怒りで全身が沸騰しそうだ。

 

 聖女派閥は尻尾も残さず逃げ去って、悪女達は堂々と罵詈雑言を吐き捨てる。

 それが善き行いだと認めたくない。しかし幼馴染は満足そうに笑うので、魔導騎士は深いため息で弱い抗議をするしかなかった。

 

「婚約者のことを一度も忘れたことないくせに……」

 

 女好きで軽薄。得意の身軽さで、とっかえひっかえ。

 そんなのは一側面だ。本当は今だって奇跡が起きればいいと願ってやまないのに、誤魔化すように遊ぶ愚者なだけだ。

 たった一つの想いだけは、今も幼くして死んだ少女に向けられたまま――誰にも届かない。

 

「というわけで救貧事業がドラコー家でやることになると思うから、頑張れよ!」

「父上の管轄だ。まあ母上が戻ってくれば、問題ない」

「それは俺のお袋も帰ってくることを意味するんだよなぁ」

 

 息子達が幼馴染ならば、母親同士は親友である。

 それくらいドラコー家とクラウド家は深い親交を重ねているのだが、住宅街の民衆にしてみればどうでもいい話なのだろう。

 この馬鹿みたいな童話を聞いた母親達が、烈火の如く怒り狂うのを想像しただけで身震いで風邪をひきそうだ。

 

「それで聖女様が詰め所に来るって本当か?」

「ああ……」

 

 身軽さだけでなく、耳も早い。まだそれほど広まっていない話を、幼馴染はしっかりと把握していた。

 聖女派閥にしてやられたばかりなので、その方面に警戒をしていたのかもしれない。なんにせよ嘘をつく必要はなかった。

 それを聞いたナハトはにんまりと笑い、鼻歌混じりに手櫛で髪を整える。一括りにされた赤毛の髪は、日差しの下では燃えているようだった。

 

「絶世の美少女だっていうし、ばっちり決めておかないとな」

「手を出す気か?」

「それは絶対にない。どんなに美しくても、集まる虫に毒があるのは怖いだろ」

 

 言い得て妙だが、確かに聖女自体は基本的に無害である。

 少々夢見る乙女成分が強いところもあるが、人型スライムと一緒にいる時はわがままを言う妹のような雰囲気だ。

 しかし聖女派閥に始まり、王宮騎士団や第二王子があらゆる動きに目を光らせて、絶好の機会を虎視眈々と狙っている。

 

「まあお前と並ぶ時は、少し気合いを入れないとな」

 

 短いが、さらりと流れる黒髪。思慮深く、奥底では燃えている真紅の瞳。

 鍛えられた肉体に、作法を叩きこまれた美しい姿勢。無骨な騎士服を優雅に着こなす姿は貴公子そのもの。

 乙女が描く忠義溢れる美形騎士といった風貌は、他のイケメン達を霞ませる破壊力があるのだった。

 

「それにしてもライムが占い師だったなんてな」

 

 美味しそうに水をごくごくと飲んでいた人型スライムが、ぴたりと動きを止めた。

 それは魔導騎士も同様で、書類に記していた文字が不意に途切れる。

 

「なんか雰囲気も変わったし……お金は大丈夫?」

 

 首を傾げながら心配してくる軽薄騎士を、人型スライムはちらりと視線を向ける。

 初対面時に変な誤解が始まりそうだったので、咄嗟に貧民風味のか弱い民草を演じたのである。しかも一人称まで変えて。

 その後の婚約騒動で有耶無耶になっていた部分が、落ち着いた今になって気になったのだろう。緑の猫目がじっと様子を窺っている。

 

「占い師っぽくしようと思って……お金はセバスさんのお使いで少し稼げました」

「そういえばセバスさんの使いだったね!ならよかったよ」

「服をありがとうございました。あの時のお金のことなんですが……」

「いいって!君が二度と行き倒れないのが一番だからね!」

 

 金の縁が薄いからと返そうとした金貨は、結局押し負けて人型スライムの手元に残ってしまう。

 人間社会の金銭に全く興味がないスライムにとっては荷物でしかないのだが、その表情が申し訳なさそうに見えたらしい。

 受け取ってほしい気持ちでいっぱいのナハトが明るく問いかける。

 

「じゃあ占い料として受け取ってよ!代わりに今日の俺の運勢は?」

「それくらいなら、まあ……うーん……」

「あと占い師っぽい口調の方が素だろ?俺の前でもケイと同じ口調でいいよ」

「わかった……」

 

 渋々と洋燈を吊るす鎖を手にして、人型スライムは視線をあちらこちらに動かしていく。その動きすら占術の儀式手順のように思えるので、ナハトは特に疑問を抱いていない。

 しかしケイジからしてみれば最初から見せていた癖なので、占いのためではないことを知っている。ただ縁の糸を見ているとも、少し違う気がした。


 人型スライムの視線を動かす癖は二種類ある。

 一つは羽虫を追うように、あちらこちらへと動かす。無秩序に首を振っているのが基本である。

 もう一つが直線、糸を辿るように真っ直ぐな動き方。こちらは曲線な場合もあるが、規則的だった。

 

 今は視線をぐるりと部屋の至る所へ向けた後、ナハトへと焦点を合わせた直後は流れるように右から左へ辿っている。

 

「……」

 

 洋燈の硝子扉が開いていた。視線が外へと繋がる窓に向けられていたため、魔導騎士の反応が遅れる。

 しゅるりと伸びた紬糸は茶色で、それが蜂の針のようにプスリと軽薄騎士の頭に刺さった。見えていないナハトは窓に目を向けたままだが、糸が見えている魔導騎士にしてみれば驚愕の光景だ。

 そのまま操り人形にされてもおかしくない様子だが、ちゅるんと麺を啜るように頭の中へ茶色の紬糸は吸収された。

 

「学ぶには良き日。他人に教えると幸いに転ずる」

「お?俺のインテリな部分を見抜くなんてやるなー!」

 

 学校で主席はケイジだったが、次席はナハトである。

 しかも女遊びや校則違反を重ねての成績なので、下手すると知識面で負ける可能性は時折感じていた。

 少し嬉しそうにしている幼馴染は放置して、人型スライムに詰め寄ろうとした時――。

 

「こんにちはー!」

 

 晴れやかな少女の声が、魔導騎士団の詰め所に響き渡った。

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