第13話「授業しろよ」

 魔法の占術というのは、運勢を見るものではない。

 予知を行い、一年間の災害や収穫量などを鑑みて政治に反映させるものだ。

 しかし外れること前提では成り立たない。かつて王宮の専任占術魔法使いは結果に責任を持ち、外れた際は命で償ったという。

 

 魔法学校でも占術については教えるが、それは選択授業でしか受けることができないし単位数も低い。

 街にいる占い師の多くも趣味が高じての場合が多く、魔法使いで占術専門とするものは相当の変わり者だ。

 誰かにそのことを追及されたら終わりだと思ったが、聖女自身が興味を示したことで最初の危機は免れた。

 

「ライムさんって彼女いるんですか?」

「交尾が必要なっ!?」

 

 ただし人型スライムが魔物の価値観で話し始めるので、その都度ケイジが教材用の本で頭を叩くのである。

 怪我しないように力を加減するのがコツなのだが、これが意外と難しい。手応えや皮膚の感覚は人間なのだが、血が出る段階になるといきなりスライムとしての特徴が現れるのだ。

 先ほども廊下の床に頭を打ちつけた際、額に傷がついてしまった。するとそこから水がこぼれ、傷口からわずかにスライムの透明な皮膜が見えたのである。

 

 先に部屋で待ってると告げた後、慌てて水を飲ませたところで傷は綺麗になくなった。

 腕が千切れた時も骨などは確認できなかったが、外観だけならば完璧に人間であることがややこしい。

 水分摂取で形状を保っている節もあるようなので、それを欠かさないように配慮をする必要があった。

 

 赤い絨毯だから誤魔化せた面もあるが、地面や石畳の場合は透明な水はあっさりバレるだろう。

 それでもスライムの発言を野放しにしていると、聖女が違和感を抱く可能性が高い。

 

「コウビガ?」

「独自の占い用語だそうです」

「なんかケイジ様が口止めしていましたよね?」

「頭に刺激を受けることで、運命の扉を開く手伝いをしただけです」

 

 口からスラスラと嘘が出てくることを、ケイジは自己嫌悪していた。

 しかし珍しく聖女がケイジに興味を向けていない。口調も慣れていない令嬢ではなく、彼女の素に近い状態である。

 後はどうにか婚約者の話に持っていけたらいいのだが、聖女は人型スライムに質問を続けている。

 

「じゃあ私に素敵な彼氏はできますか?」

「えっと……?」

 

 鎖の先に繋がれた洋燈。ペンデュラムのように揺れている。

 糸車もカラカラと回っているが、硝子扉は開いていない。糸が伸びている様子もなかった。

 普段であればあちらこちらに動く視線が、不自然なほど聖女の顔で固定されている。

 

「努力次第で運命の相手と出会えるかもしれない」

「え!?本当?やったー!」

 

 呑気に喜ぶ聖女に対し、スライムの曖昧な言い方に引っかかりを覚える。

 内容もどうとでも取れるというか、結果に左右されない類だ。まず運命の相手と本人が判別できなければ、当落すら不明。

 花を飛ばすように嬉しそうな聖女から少し遠ざかり、人型スライムに問いかける。

 

「何があった?」

「縁の糸が見えない」

 

 人型スライムは切れそう、もしくは断絶された縁の糸が見えることは判明している。

 全く見えないということは、聖女にはそういった糸がないと考えたが。

 

「聖女に女神の糸が繋がらないらしい」

 

 あちらこちらに視線を動かす人型スライムは、洋燈の硝子扉を開いた。

 しゅるり、と黄色の糸が伸びる。滑るように部屋の宙を浮いて移動し、聖女へと近づいていく。

 しかし困ったように揺れ動いた後、糸車の回転に合わせるように戻ってくる。

 

「この通りだ」

「……まさか」

「異世界の人間に、女神の力は及ばないようだ」

 

 予想していなかった事実が明らかになり、ケイジは聖女の特異性を改めて認識する。

 異世界の人間。その前提をすっかり忘れて、対応していた。名前くらいならばさほど問題ないだろうとも思っていた。

 

「二人ともどうしたんですか?」

「あ、その……」

「騎士殿は婚約者との円満交流の秘訣について尋ねてきたので」

 

 ケイジの嘘も大概だが、人型スライムの適当な発言も負けていなかった。

 もう一度本の角で頭を叩こうとした矢先、聖女が驚愕のあまり「ええっ!?」と大きな声を発する。

 

「ケイジ様、婚約者いたんですか……?」

「ああ。レイニー家のキトラと言ってな、幼い頃からの付き合いだ」

 

 聖女派閥のせいで離縁を言い渡されたことは黙っておく。

 婚約者について語るケイジは柔らかく微笑んでおり、十分くらいは話が止まらなかった。

 途中で人型スライムは飽きていたが、聖女は興味深そうに頷いていた。

 

「いるなら言ってくださいよ!あー、恥ずかしいっ!危うく寝取りみたいなことするとこだった!」

「申し訳ありません。周知の事実だったので……」

 

 顔を真っ赤にして焦り始める少女は、十六歳の年相応な姿で喚いている。

 どうやら本気でケイジの婚約について知らなかったようで、今までの行為が恥辱に値すると思ったらしい。

 異世界の人間。常識や文化が全く違うのだから、婚礼についても異なることを知っていればよかったのだ。

 

「貴族の子供は十歳になる頃には婚約を結ぶことが普通なのです」

「自由恋愛は!?」

「ありません。ただ十歳になるまでに、自分が好きな相手を決めておけば大抵は叶います」

 

 そう告げると聖女は少し考え込んだ。

 

「ケイジ様は何歳から好きなんですか?」

「十歳の頃、六歳でありながら聡明な彼女に惚れ込みました」

 

 この話をすると、実は意外と笑われてしまうのだ。

 大体の貴族は浮気前提、愛人を作る暗黙の約束付きで婚約を受け入れる。恋愛と婚礼は別物であり、幼い頃の気持ちはまやかし扱いである。

 ケイジはただ一途で、不器用なほどまっすぐに愛してしまっただけなのだ。

 

「めっちゃいい」

 

 しかし聖女は笑わなかった。むしろ感動すらしているようだった。

 キラキラと瞳を輝かせる彼女からは、肉食獣の気配は消えている。夢見る乙女のような、うっとりとした声音で告げる。

 

「応援してます!」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ずいっと一歩前に出てくる聖女は、恋の話で盛り上がっているようだった。

 そして話に飽きて座ったままボーっとしていた人型スライムへと向き直り、素早く近づいていく。

 

「ライムさん、ケイジ様の恋を応援しましょう!」

「え?なんで?」

 

 素面で心底わからないといった様子なのだが、猛牛のように興奮した聖女には関係ないらしい。

 人型スライムの肩を掴み、がっくんがっくんと前後に揺らして駄々をこねる。

 

「いいじゃないですかぁ!恋は素敵で最強なんですからぁ!」

「えー?」

 

 ものすごく面倒そうに返事をする人型スライムは、背筋に走る悪寒に気づく。

 気配の先に視線を送れば、鬼の形相で魔導騎士が睨んでいた。

 

「わかった……で、具体的には?」

「恋占いです!定番ですよね」

 

 洋燈を手に取ったスライムが、白炎越しにケイジを見つめる。

 視線があらゆる場所へ動く様を、聖女も首を動かして追いかける。動きに法則性はないが、羽虫を捉えようとする仕草に似ていた。

 

「対策は二つ。元凶を潰すか、相手から補強してもらうか?」

「補強って?」

 

 聖女の問いかけに、人型スライムは静かに答える。

 

「婚約者が騎士殿以外と結婚しない、と想いを固めればいいわけだ」

 

 あ。

 間抜けな声がケイジの口から漏れる。

 聖女と人型スライムは当たり前のように受け取ったことを、魔導騎士はすっかり頭から吹き飛んでいたのであった。

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