第11話「下準備」

 泣き叫ぶ悪女があまりにも聞く耳持たず、最終的に押さえつけていた騎士達に向かって綺麗に整えた爪で顔面に格子模様つけていた。

 さらには優しい言葉をかけたナハトに対して平手打ち、からの飛び蹴りなど縦横無尽の暴れっぷり。

 止めに入ったケイジの顔を見て、ぽっと頬を染めたあたりで冷静を取り戻したようである。

 

 地面に倒れたナハトはその光景を見ておらず、目が覚めたのは昼過ぎだった。

 隊長専用執務室という名の仕切り板で区切られた空間内。そのソファの上でがばりと身を起こし、執務机へ目を向ける。

 朝の内に貯まった書類を片付けるケイジは、瞬きする手間も惜しいと言わんばかりに目を見開いて文字と向き合っている。

 

 ナハトが起きたことで空いた部分に、スライムが静かに座る。手の中にある洋燈の中身を見つめた後、あちらこちらへ視線を動かしていた。

 

「ミランダは!?」

「反省のため留置所だ。事情聴取は明日で、お前を担当にしておいた」

「ありがとう!それにしても兄貴、何をやったんだ?」

「調べておいた。ライムから聞け」

 

 嘘である。そんな短時間で情報を集めるのはほぼ不可能だ。

 しかしスライムには切れそうな縁の糸が見えており、さらには切れた後の様子もわかるとのことだ。

 悪女はあらゆる縁が断絶されており、それは意図的であったという。ならば女神の力を使ってもう少し詳しくわからないか聞いた。

 嫌そうな顔をされたが、渋々と承諾したのが一時間前である。

 

「どうやら職を失ったらしい。さらに家への支援が打ち切られたと」

「家……孤児院か!?」

 

 スライムは上手い具合にぼかしているが、幼馴染は勝手に白状してくれた。さらに悪女の背景が語られていく。

 

「ミランダは私設孤児院の出身で、一部の善良な貴族の寄付でどうにか保っている状態なんだ」

「噂の流布もあるらしい」

「ミランダが夜の街で働いているのは、孤児院のためなのに……」

 

 なるほど、と書類から目を離さないケイジは納得する。

 フォーグ・クラウド。ナハトの兄であり、現クラウド家当主。五人兄弟の長子であるからか、厳格な面が強い人物だ。

 だからこそナハトの女遊びに関して面白くないと思っていたのだろう。そこに聖女の婚姻話とケイジとキトラの関係性から、準備を整えた。

 

 あらかじめ噂は流しておく。ナハトに話を通す時期と合わせて、揺るがない事実として悪女達に打撃を与えるのだ。

 しかし影響が強すぎる。明らかにクラウド家だけでは成り立つ勢いではない。

 聖女派閥。それが動いているのは確実だろう。

 

「まずミランダの孤児院に行ってくる!その後は他の彼女達の様子も!」

「待て。セバスへの手紙を書いたから、これを持ってドラコー家へ訪ねろ」

 

 こんな興奮状態の幼馴染を一人放置しても、下手な危険を招く可能性が高い。

 ドラコー家の執事。その影響力は住宅街まで届き、あらゆる人間が力を貸してくれるはずだ。

 小言や余計な発言はあるが、異常なほど有能でなければドラコー家に四十五年も仕えることなどできない。

 

「わかった!じゃあライム……ちゃん?くん?」

「呼び捨てでいい」

「ライムはケイを助けてくれよ!占いとかで!」

 

 それだけを言うとあっという間に部屋を出ていき、すぐに窓越しで門前に向かって走る音が聞こえた。

 様子をこっそり覗いていた部下達が、おそるおそる入ってくる。

 

「隊長……留置所の女性は、聴取を隊長にしてほしいと」

「無視しろ。留置所で保護してるだけ温情だ」

 

 騎士を刃物で殺そうとした、殺人未遂の容疑。本来であれば問答無用で司法の手へ渡すべきだ。

 だが司法も王宮側の執務であり、下手すると聖女派閥の者が手ぐすね引いて待っているかもしれない。

 スライムからも変な糸が伸ばされてるのが見えていると言われたので、騎士団の留置所で匿うのが最善だと判断した。

 

 これ以上悪女を追い詰めて自殺などされたものなら、幼馴染が立ち直れないかもしれない。

 そうすると現状の問題である婚約に関して頓挫する可能性がある。円滑を願っている場合、彼の協力は必要不可欠だ。

 そしてスライムの縁を見る力も。嘘を吐かれたら終わりかもしれないが、そういう手段を人型スライムは持っていないようだ。

 

 魔物の中には人を惑わして罠へ誘い込む類もいるが、スライムでそういった個体は確認されていない。

 基本的に水を摂取してぷるぷると震える魔物だ。人を襲うのも水分枯渇により生命の危機に瀕した時だけ。

 嘘をつく機能が必要ないのである。人間を騙して水を得るよりも、水場に住む方が早いからだろう。

 

「明日は俺も聖女の授業があるし、ナハトも聴取。隊のことは任せとくぞ」

「は、はい!」

 

 言外に「隊の信用を損なわないように」という圧であるが、若手の部下は期待されていると勘違いしたらしい。

 高揚した様子で元気よく返事してきた。これで問題が起こらないなら、特に文句はないので黙っておく。

 

「それで……お連れ様は?」

 

 朝から気になっていたのだろう。

 意を決して問いかけてきた。何も説ていないので、当然のことだ。

 

「明日の授業に必要な教材作りの助手だ。明日の授業にも連れていく」

「だ、大丈夫なんですか?」

 

 動揺するのは無理もない。

 聖女は王宮が大事にしている人材だ。それこそ過剰なほどの護衛騎士で囲み、侍女の質も厳選している。

 下手に不審者を近づけたものならば、あっという間に捕まって処刑台行きという噂まで流れている。

 

 魔導学会の代表で、聖女の指名とはいえ……魔導騎士団第二隊長にそこまでの無理を通す力はない。

 しかし勝ち目はある。

 

 洋燈。

 女神の力を使って、縁を結ぶ糸。

 何度か見たおかげで、結び方によってある程度の変化を見込めるのだ。

 

 そして人型スライムの協力も取りつけている。

 ナハトが気絶している間に、条件に従うならば聖女と出会えるようにすると提案したのだ。

 

 聖女に害を及ばさない。

 ケイジに悪影響を出さない。

 そして――魔物と知られてはならない。

 

 この三つを守ることが、スライムへの条件だった。

 魔法には占術に関わるところも多く、聖女自身もケツエキガタ占というものを最初の頃に聞いてきた。

 血を使って占うなど禁術に近いと思ったが、聖女の世界では普通のことだという。

 

 ずっと書類と睨み合っているのは、一秒でも早く業務を終わらせるためだ。

 そして占術に関する教材を作り、明日の授業にスライムを占い師として連れていくこと。

 魔法使いでなくても、占術は広く普及している。歴史を紐解けば、かつては祭事や政治に深く関わっていた。

 聖女が興味を持てば、人型スライムを連れていくことも難しくない。王宮騎士団への説得は、知恵を駆使するしかない。

 

「……」

 

 明日、必ず聖女に告げる。

 ケイジが愛しているのは、キトラという女性だけなのだと。

 今日の騒動の中で肥大する気持ちが抑えられない。誰にも渡したくないし、利用されるなど以ての外だ。

 

 この想いを成就させるためならば、魔物に手助けしてもいい。

 

 書類に集中する魔導騎士の近く、ソファの上に座る人型スライムは視線をあちらこちらに動かしている。

 そして呆れたように小声で呟く。

 

「聖女、二人目の巫女……異世界の人間」

 

 聖女がこの世界に馴染み始めたからか、騎士はすっかり忘れている。

 聖女は全く違う世界に住んでいた人間ということを。

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