第10話「軽薄騎士の愚かさ」
「聖女とは誰だ?」
二人目の神子に会いたいと告げてきた人型スライムは、聖女がそれに該当すると繋がらなかったらしい。
考えてみれば当たり前だ。聖女は教会が意図的に流した「通称」であり、正式名称ではない。
魔物からしてみたらそんな仕組みを知るはずがない。どうやら会話を聞いている内に何度も出てきたので気になったようだ。
しかし正体不明な魔物と神子を会わせていいのか。
まずスライムは神子に会いたいと言ったが、どうしての部分が抜けている。目的はわかったが、それだけで終わるとは思えない。
はぐらかすか、正直に告げるか。
頭の中に浮かぶのは、一人の顔。
「神子だな」
どうせナハトに聞かれたらわかることだ。
下手な嘘を吐くと、現状の問題に追加事項が発生する。これ以上の頭痛の種は遠慮したい。
この選択が報われることを願いつつ、スライムの返事を待つ。
「……二人目の?」
「そうだ」
「ややこしい」
率直な意見だった。
一人目の神子は教会が探し出した存在だったのだが、二人目は王宮主導で召喚された。
教会側からしてみれば面白くなかっただろうし、一人目の悪評を二人目に繋げたくなかった王宮としても都合がよかったのが――聖女という呼び方だ。
「派閥とは?戦っているようだが」
「一定の目的で集まった者達が派閥で、戦いは縄張り争いみたいなものだ」
魔物でもわかるようにと噛み砕いて説明することに慣れてきてしまい、感覚が麻痺してきたのを自覚する。
しかし女神信仰のケイジとしては、その力の一部で状況を変えられるなら神のご加護と試練かもしれないと思い始めた。
そう考えないとやってられないという面も否定できないが。
「お前は縄張り争いの中心にいるのか?」
「なぜかな……」
本来の中心は聖女のはずだ。しかし彼女の片恋慕が問題を引き起こしている。
明日は聖女との魔法に関する授業が待っている。そこではっきりと告げるべきかもしれないと思い始めた。
「それで、か」
ぽつりと囁かれた言葉を逃すわけにはいかなかった。
「どういうことだ?」
「様々な薄い糸が蜘蛛の巣のように絡み合っているが、その多くがお前に伸ばされている」
あちらこちらに視線を動かすスライムは、雲一つない青い空を見上げた。
ケイジには何も見えなかったが、視認できた際の光景など想像したくない。
あらゆる思惑が交差した先にあるのは、大抵が人を突き落とすための罠なのが定番だ。
「その内の一つが繋がれそうになっている。見えるか?」
「俺が見えるのは洋燈から伸ばされた糸だけだ」
「……女神信仰の優秀な魔法使い?」
「自分で言うのもなんだが、そうだな」
視線が動き回る人型スライムが、迷いながら問いかけてきた。
答えた後に恥ずかしくなったのだが、魔法学校主席卒業は他者から見ても優秀の証としては申し分ない。
ただし女神信仰となると珍しいだろう。魔法使いの多くは人類に叡智を授けた魔神信仰だからだ。
魔神。前世界の遺神。
混沌の海から現れた一柱。梟の頭に人の体。夜闇のローブを身にまとい、持ち歩く本にはあらゆる知識が記録されている。
混沌の海は一度滅びた世界。それを魔神が現れた時に、呼称として「前世界」と定義するように授けられた。
男神へ恩義を返すために魔神はあらゆる知恵を人類に与えた。
それは穏やかな火であり、破滅の雷であり――美しい火花だったという。
エルフという種族の始祖は、魔神の一番弟子だったと言われている。そのためエルフは人類の中で一番魔法が得意であり、森を好む。
魔法を学ぶ時に祈りを捧げるのは、魔神が基本である。
神聖教会は天地の二柱を主神としているが、それ以外の神々に関してもある程度は使徒のような扱いをしている。
どうしても魔神等の神々を主神としたい場合は、神聖教会と別派閥の教会に信徒となることが多い。
「なんの話をしてるんだ?」
またもやひょっこりと顔を出した幼馴染は、すっきりした笑顔だ。
そして人型スライムが持っている洋燈を指差して、不思議そうに告げる。
「二人して空っぽの洋燈を見つめてるし」
糸だけでなく、洋燈の中で糸車を中心に燃える白炎も不可視のようだ。
そういえば学生の頃に女神信仰はもう古いとか言って、美神信仰に鞍替えしていたことを思い出す。
美神は彫像を作られる時、女神よりも女性的な魅力に溢れすぎた体型であることが多い。思春期にあからさまな下心を神に抱くなと呆れていた。
「洋燈占いだそうだ。ライムには洋燈の中に炎が見えて、その燃え方で占うとか」
「へー!じゃあ俺の恋愛運は?」
適当をでっち上げたが、これはスライムへの助け舟だ。
おそらくこれから洋燈を使って行動することが多くなり、女神の力を発揮するために硝子扉を開くはず。
それが自然に見えるような内容が、資格や証明が必要ない占いである。
「……お金に注意」
なんとなくそれを察知したのだろう。少し困惑した表情になったが乗ってきた。
意外と的確なことを口に出したところを見るに、やはり切れそうな縁が糸として見えるのは本当らしい。
ということは、幼馴染はまた悪女に狙われるのだろう。哀れな。
「他には?」
「え……と」
鎖の根本を掴み、青い瞳の前で洋燈を揺らす。
白い炎越しでもわずかに見えた目には真剣な色を宿しており、水晶玉占いの動作にも似た神秘性を思わせた。
ナハトからすれば硝子越しでスライムと目が合っているかもしれないが、焦点はすれ違っているだろう。
「あ」
間抜けな声は二度目だ。
嫌な予感しかしない。
「怪我注意。他者から攻撃される」
スライムの視線が忙しなく動き始めた。
ある程度話を進めたおかげか、それは糸の先を辿るように直線的だとわかる。
そしてある一点で視線が止まる。方向的に騎士団の詰め所門前あたりだ。
「あそこに誰かいる。鋭くて、危ない」
「え?」
「首と胸、背中……刺さりそうな、もの」
人型スライムの視界が何を映しているかは不明だ。
それでも背筋が冷えるような言葉の並びに、気づけば走り始めていた。
門前を警備する騎士二人が交代するところだったようで、食堂から移動しているところに運よく出くわす。
「お前達、門前に不審者がいるとの通報だ!すぐに確認してこい!」
「は、はい!」
魔導騎士団第二隊長の肩書きと顔が上手く作用し、休憩終わりののんびりした空気が払拭された。
指示された騎士達はあっという間に駆けていき、数分後には言い争う声と金属が地面に落ちる音が響く。
急に走ったケイジを心配して追いかけてきたナハトの目に映ったのは、包丁に手を伸ばす元恋人――悪女のミランダだった。
「あんたの家に全部奪われたのよぉっ!!」
そう泣き叫ぶ女の顔は濃い化粧が涙や鼻水で溶け落ちて、不気味な怪物みたいに歪んでいる。
優しさから近寄ろうとするナハトの腕を掴んだのは、人型スライムだった。
「お前のせいではない」
燃えた赤黒い糸は、恋人としての縁。
爛れて、搾取して。欲望によって別の縁まで食い千切ろうとしていた悪縁だった。
しかし泣き叫ぶ悪女の切れた縁は全て、誰かが意図的に断った痕跡がある。ほつれはなく、刃物を使ったような綺麗な断面。
今のナハトへ伸びているのは殺意の糸。
銀と黒をかけ合わせたような、鋼色。それがナハトの首から胸や背中に向けてぐるぐると巻かれている。
繋がってはいない。しかし消える様子がなかった。
「……ありがとう。でも、ごめん」
そう言って軽薄騎士は手を振り払い、悪女へ近づく。
美しい夜の蝶。多くの男を惑わす魅力。ナハトも彼女に惚れ込んだ男の一人だった。
「ミランダ」
「なんで……アタシが何をしたのよぉ……!」
「ゆっくり話して。そして俺に立ち上がる手伝いをさせてくれよ」
聞く耳を持たずに叫ぶ元恋人に、愚かで優しい男は続ける。
「美神に愛されたような君を、俺は助けたい」
幼馴染のそういうところが駄目だと思いつつ、ケイジは薄く笑う。
だからこそ友人として、今も縁が続いているのだから。
人型スライムは不可解そうな表情で、軽薄騎士の背中を見つめる。
「……人類は愚かだな」
その呟きは悪女の叫び声で掻き消されるのであった。
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