第9話「つむぎ糸」

 揺れる洋燈は、ペンデュラム型。

 側面は硝子で扉がある。それが開いて、きぃきぃと音を立てている。

 音もなく背後から忍び寄った赤い糸。腰を折るだけで避け、目論見が失敗して目を逸らしたスライムを睨む。

 

「そんな幼稚さで俺を倒せるとでも?」

 

 硝子窓から伸びた糸はだらりと地面に落ちて、魔導騎士の後ろまで伸びた後に鎌首をもたげて攻撃してきた。

 地面の色と見間違えようがないほど派手な赤を、騎士として鍛えた男は見逃さない。むしろ子供でも丸わかりだ。

 

「なんで見えてる?」

「俺が知るか」

 

 とりあえず人型スライムに近づき、力任せに硝子扉を閉める。

 すると糸が空気に溶けるように消えていき、跡形も残らなかった。

 

「その糸は何だ!?」

「女神の糸」

 

 隠すことでもなくなったらしいが、短い単語の繋ぎ合わせ方に動揺する。

 天の女神。運命の糸車を回す創世神話に出てくる存在。神聖教会が崇める二柱の片割れ。

 頭の中が真っ白になる。どうして魔物のスライムが、女神の力を使っているのか。

 

 しかしそれならば納得できる内容もいくつか存在する。

 常人には見えない糸。突然に意識や周囲の環境が変化。一番は幼馴染の悪女縁切れだ。

 背中で燃えていた五本の赤黒い糸。あれが悪女との縁が可視化したものならば、女神の力で焼かれたということだ。

 

「まさかナハトとキトラの婚姻はお前のせいか?」

 

 詰め寄る。するとスライムが数歩下がった。顔を凝視しており、青い瞳に映るのはオーガのような恐ろしい形相である。

 幼馴染の女運の悪さを知っている。その戦歴に愛しの淑女を入れたくない。

 どんなにナハトが善人であっても、譲れない真実は存在するのだ。

 

「ち、違う。遠因として心当たりがあるくらいだ」

 

 両手で掴んだ洋燈を盾にするスライムは、魔物の頃のようにぷるぷると震えている。

 

「原因であることは間違いないんだな?」

「わからない」

「やはり魔物は倒すしか……」

「じ、自分は悪いスライムではない!」

 

 剣に手をかけた瞬間に、人型スライムが何かを言っている。

 だが関係ない。助けたことを間違いだとは思いたくないが、現状の混乱が今後も続くならば防ぐのみ。

 

「自分は女神の力を借りて、あの人間の金運を上昇させただけだ!」

 

 必死になっているのか、声が大きかった。

 しかし裏庭に他の騎士の気配は存在せず、驚いたのはケイジだけだった。

 

「金運?」

「あの人間の金に関する縁が千切れかけていたから……」

 

 カラカラ。

 洋燈の中で小さな糸車が回る。白い炎に金粉のような輝きが舞い散り、花開くように糸が広がった。

 硝子越しで見る糸は絹糸のような光沢と滑らかさで、陽光を受けた雫のように煌めいている。

 

「これは?」

「つむぎ糸。星屑の光繭から作った、らしい」

 

 ほとんどが初めて聞く単語だったが、事前に女神の名前が出ていたおかげで少し冷静になる。

 蓮の花のような形の水引細工。糸車を中心に広がっている様は、魔法とは少し違う趣があった。

 洋燈の中でふわりと輝いていた糸に見惚れていると、ひょっこりとナハトが出てきた。

 

「なにを見てるんだ?」

 

 両手に籠。中にはパンなどが詰め込まれているようで、小麦のいい香りがした。

 しかし驚きすぎた人型スライムが手を滑らせてしまい、地面の上に洋燈を落としてしまう。

 かしゃーん、と扉が衝撃で開く。白い炎は中に入ったままだが、糸車から一本の糸が伸びる。

 緑の糸。それがナハトの腹を貫く勢いで刺さる。幼馴染は見えていないらしく無反応だが、ケイジは息を呑んだ。

 

「あ……れ……?」

 

 ぐごごごごごご、と怪獣でも叫んでいるかのような音。

 ナハトがいきなり青い顔になって、両手に持っていた籠をケイジへと押しつける。

 

「は、腹が痛い!」

 

 それだけを叫ぶと、あっという間に走り去ってしまう。

 自称イケメンも腹痛には負けてしまうようだ。その間に人型スライムはこっそりと洋燈を拾い上げて、硝子扉を閉めていた。

 籠をベンチの上に置き、改めて向き直る。

 

「今のは?」

「何か悪いものでも食べていたんだろう。そこの縁が繋がれた」

 

 ここでようやく違和感の正体がわかった。

 視界が違う。ケイジは洋燈から伸びる糸は見えるが、それだけだ。

 スライムは「別の糸」も見えている。だから女神の力を使って糸を伸ばし、事象を引き寄せるように繋げているらしい。

 

「お前はどれだけの糸が見えているんだ?」

「切れそうな糸。縁切り寸前のものばかりだ」

 

 あらゆる糸が見えていると思ったら、少し様子が違ったようだ。

 

「あの人間は金の縁が千切れかけていた。多くの鳥に啄まれていたのか、ほつればかりだった」

 

 昨日の話。

 だがそれだけでは終わらない。

 

「家とやらの前に出会ったのは、首吊り糸みたいに自重で待ち人の縁が切れそうだった」

 

 貴族街で巡回をしていた若い騎士。

 あの時は胸に刺さっていたが、部位によって意味があるかどうかは横に置いておく。

 

「さっきのは悪縁だが、洋燈を落としたから怒られたらしい」

 

 どうやら人型スライムも完璧に扱えているわけではないらしい。

 硝子扉は糸の伸縮を自らの意思で切り替え可能にするためのようで、今は開かないように指で押さえている。

 ガラガラ、と小さな糸車が激しく回っていても無視していた。

 

「女神紡ぎの紬糸。これで女神の依頼をこなさなくてはいけない」

 

 とうとう人型スライムの目的が語られる時が来たようだ。

 ここまで来たら驚く要素などない。女神以上の強い印象など滅多にあるものではない。

 

「二人目の神子に会いたい」

 

 聖女関係だった。

 驚愕が天井知らずということを思い知り、ケイジは昼の真っ青な空を見上げる。

 綺麗な青と感動する余裕もなく、赤い目を細めて深く長い息を吐いた。

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